「『歩道が広いではないか……行け』」

「って、今のオレらみたいにタクシーに乗りながら言った奴がいたんだよォ」
「はあ、何それぇ? ちょーウケる」
恋人の突然の発言に眉を顰めてみせた女は、それが彼の至極どうでも良いような話題提供だと知るや否や、やはり、この上なくどうでも良いような笑みを浮かべた。
「いやマジでいたんだって!」 女の表情に不穏なものを感じ取ったのか。男は身振り手振りで説明を始める。 「オレこの前エジプト行ったじゃん? そしたら、そこのタクシーの運ちゃんが言うの。『10年ほど前に、そう仰ったお客がいたそうですよ』って」
「人殺しじゃん。超イッちゃってんね」
適当に相槌を打ちながら、女は後部座席から鏡越しに助手席を見遣る。そこには相乗りした若い神父が座っていた。こちらの話に対し、完全に無視を決め込んでいるような彼は全くの無表情であったから。女は安心して、恋人の話に意識を集中させる。
「で、本当に言うこと聞いたの? 道が混んでるってことはそこそこ賑わってるところだったんでしょ? このNYとどっちが混んでる?」
「そりゃあNYだろ。で、言われた通りに轢いて行ったらしいぜ。ただ、」
「ただ?」
「突然現れた、変な服装の男がそれを止めたんだってよ」
「はあ? 何それ、スーパーマンってわけぇ?」
「映画化決定! 全米が大絶賛! スパイダーマンでもいいぜ」
「えぇー、ダッサいじゃん。どうせならクリント・イーストウッドとかシブぅい人にやらせなよ」
彼女の言葉を受けて「あ、」と呟いた男は、間抜けな表情に益々拍車がかかる。それでも女にとっては見慣れたものなのか、彼女は黙って言葉の続きを待っていた。
「その人殺しを止めた男、若い頃のイーストウッドにそっくりだったってよ。そう! そう言えば運ちゃんが言ってた!」

「あぁ、ここで降ろしてくれないか」

 恋人たちの会話を途切れさせたのは、相乗りしていた男の一言だった。「畏まりました」 運転手は静かに減速し、料金とチップを貰う。
 それから運転手―― 名前は神父を降ろし、滑らかに車体を前進させる。後部座席の二人組は未だエジプトの話に夢中になっているのか、自分たちの肉体の変化に気付く様子も無い。名前ははて、と首を捻った。疑問は以下の三点。

 神父の傍らに立っていたアレは、何だったのか。
 神父はカップルの話のどこに、あんなにも腹を立てたのか。
 後部座席が完全に血の海に沈むのは、果たして何分後のことだろうか。



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