寝ている娼婦たちを起こさぬようにと静かな行動を試みたものの、元々が夜の蝶として騒がしく生活していたのだから名前が足音を消せなかったのも無理はない。しかしプロシュートはその整った顔を顰めて「静かに!」と声を殺して叫ぶ。「それに急げ! ちんたらしてると誰かに気づかれるぞ」
「オープンカーってセットが崩れるから好きじゃあなかったけど、夜逃げするにはすごくいいのね。荷物が乗せやすいもの。今気づいたわ」
 プロシュートの叱責など意にも介さず、名前は浮き足立った様子で細い体いっぱいに背負ってきた荷物を次々と後部座席へ放り込む。
「娼婦ってのは荷物が多くていけねえな」
「女なら誰でもそうよ」
 待ちくたびれて煙草を一本吸い切ったプロシュートが胸元から新しいものを取り出す。「私にも」プロシュートが加えたばかりの一本をすっと奪って名前は悪戯っぽく笑った。「ちょうだい」
「……行くぞ」
「あ、ちょっと待って。娼館の皆に手紙を書いたんだけど、まだ切手を貼ってないの」
「どこから出す気だ? 行き先を勘付かれるぞ」
「大丈夫、ここに置いてくから」
 名前が娼館の裏口である寂れたドアの郵便受けを指差すと、プロシュートが自分のタバコを摘み出しながら「書置きに切手が要るかよ」と呆れ返った。名前はそれに「ああ、そっか」と肩を落とす。
「じゃあ、これでいいわね」
 客の前へ出向くわけでもあるまいに、きっちりと顔が作りこまれているのは娼婦の矜持というところだろう。しかし名前は言うや否やその顔で一際存在感を放っていた艶やかな真紅の唇を惜しみなく封筒の左上に押し付け、「切手代わりよ」とルージュの掠れた唇を小さく舐めた。
「シャネルの口紅だもの、それくらいの価値はあるはずよ」
「それ以上だろ? イタリアで一番良い娼婦のキスマークだ」
「あら、あんたってやっぱり良い男ね」
 ヂッ、とライターの火が灯り、プロシュートの口元から細い煙が立ち昇る。名前は娼館のポストへ向けて手紙を投げつけると、煙草を咥え直しながら弾むようにシートへ戻ってそのまま運転手の肩にしな垂れかかった。プロシュートが煙草の先を彼女のそれにつける。同時に息を深く吸い、白い煙となった吐息が互いの顔に纏わりつく。
「行きましょ、運転手さん」
「タクシーじゃねえぞ、オレの車は」
 運転手の文句もどこ吹く風で、名前は上機嫌に鼻歌を揺らす。
 夏の宵の路地裏。一人の娼婦はかくして暗殺者に攫われていった。



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