某株式会社世田谷区本社ビル屋上にて。
 怪盗は、先程拝借したばかりの宝石を夜空にかざした。月の明かりを頼りに、今夜の獲物を値踏みでもしているのだろうか。
 しかし、次の瞬間、いつものポーカーフェイスなどすっかり忘れて、キッドは大きなため息を吐いたのだった。
「…あーあ、これもハズレ、だ」
「何が」
 そして、そのつぶやきに対して、鉄柵へと縛り上げられたまま、高校生探偵がぶすくれて返す。
 まだ今夜のショーに観客が一人、残っていたことを思い出したキッドは落胆の色をすぐさま消して、にっこり新一へと微笑んでみせる。

 何か派手な仕掛けで警察の目を引き付け、その反対方向に逃げる。
 彼の常套手段だと気がついて、キッドを屋上に追い詰めるまでは良かったのだが、今日はあちらのほうが一枚上手だった。
 新一がここまで追い掛けてくることを読んでいて、見事返り討ち、この有様、というわけである。
 ここまでの完膚なき負かされたのは初めてで、新一はひどく不機嫌だった。
「悪いけど名探偵、これ返しといて」
 そう言いながら、手にしていた宝石を縛られた新一の目の前に、傷付けないよう丁寧に置く。
 新一は怪訝そうに眉を潜めて宝石を見た。
 前から思ってたんだけど、と新一は不機嫌さを滲ませて言った。八つ当たりに近かった。
「お前、毎回毎回返すくらいなら、何でこんなに派手に盗む?」
 どんなに優秀な警護でもどんなに固い鍵の下りている金庫でも、鮮やかに突破し、こじ開け盗み出しているのに、キッドはその全てを何らかの方法で、持ち主に返却している。不可解な話だ。
「さーあ?それを推理するのが探偵の仕事なんじゃねーの?」
 キッドはちょいと肩を竦めてはぐらかしてみせる。
 なるほど、金目当てではない。そして、先ほどうっかり呟いた『これもハズレ』だ。
「ーー何の目的で、一体何を探してるのかは知らねーが、最高にコストも効率も悪い。お目当ての宝石以外盗むつもりがないなら、お得意の変装術で侵入して、確認してから盗みゃいいんだ。この馬鹿けたパフォーマンスに、なんの意味も見出せねぇな」
 目当ては、ただ一つ。それを探すために盗みを働いている。
 しかし、それが分かったところで、新一にしてみれば、ますますさっぱりだ。
 いつもより容赦なくばっさりと切り捨てた新一に、キッドはおどけて答える。
「あーあ、相変わらずロマンのない男だ。泥棒の美学が分からないのかね。−−でも確かに正論だ。いい加減、退屈だよ」
 その台詞はあんまりではないだろうか。新一は眉をひそめる。
「こんな、馬鹿みたいなことをしていて退屈か?」
 毎度毎度、用意周到に種を仕込み、予告状まで出して徹底的に警察をおちょくり、世間を騒がしているというのに。何故このような行為に無駄に労力を割いているのか、新一には、全く理解不能である。

 しかし、キッドはそうとも、いい加減飽き飽きだね、と笑った。
 口元をにやにやと歪めながら、続ける。
「お前は、退屈じゃねえの?」
 新一は耳を疑った。
 新一も、毎度毎度、誰かが死んで、それを当たり前に新一は解決する。
 それだって、いい加減うんざりだろう。
 キッドは、笑ってそう言ったのだ。
「本当は、誰かを殺したくて堪らないくせに」

 ネオンから取り残された屋上は、暗くじっとりと浮かび上がっている。辺りは影と夜ばかりで、心許ない。
 そういう暗闇の中で、新一はキッドにずいぶんと無感情な目を向けていた。
 本気で怒ったのかもしれなかった。

「−−お前だって本当は、今すぐその宝石を踏み潰したいくせに」
 それはいつもどおり、冷静で真っ当で論理的な分析だった。そこに私情もぶれもない。
 だけれどそうやって突き付けられた真実に、キッドは声を上げて笑った。
「はは!そりゃそうだ!」
 この屈託のなさが恐ろしいのだと新一は考える。自身の意義の否定を、そう容易くに認めてしまう、純粋な無邪気さが。そうやって気後れする新一に構わず、キッドは続ける。
「全く似た者同士だね、オレらは」
 または運命共同体とも。

 だが新一には、それをただ笑い飛ばして受け入れるほどの寛大さはまだない。苦々しげに視線を投げただけだった。
 その様子に、キッドはまた声を立てる。

 ひとしきり笑ったあと、さてととキッドはマントを翻し、おどけた調子で頭を垂らした。
「――それでは今宵のショーはこれにて終幕。またのご来場をお待ちしていますよ、小さな名探偵君?」
「……うざ」
 お前だって普段これとあんま変わんねーぞとキッドはまた笑って、それから真っ暗闇の空へと白く飛び出した。




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