大体育館のすぐ隣、第三トレーニングルームにトレーニングウェアで集まったのは、15人の生徒だ。
 誰もが各クラスの優秀者ばかりである。もちろん、入学以来学年トップを守り続けている、バーナビー・ブルックスJrの姿も。
 静かに待っていろ、と命じられたわけでもないけれど、集められた生徒たちは、特に会話もなく不安げに口を閉ざしたままだった。

 ヒーローアカデミーは国で唯一、国立の専門学校として認可を受けている学校法人だ。年齢・学歴・宗教一切問わず、NEXTを持っていれば誰でも入学可能。まだ力の使い方が不安定なジュニアスクールの子供から、初老に足を入りかけてから突然能力に目覚めた人まで在学している。なのでハイスクールのように、心から打ち解けているクラスメートが一人も出来ないことだって、珍しくない。
 しかし、プライベートが仲睦まじくないとはいえ、そろそろ2年以上も共に学んできた間柄で、しかも大体がそろそろ成人を迎えた、いい大人だ。
 普段ならば、多少なりとも雑談をしているが、今日は誰一人として一切の無駄口を叩かなかった。

 今日は、特別講義の初日だった。体術の講義だが、もちろんただの実技授業とは違う。
 ここにいる15人は全員説明会を受け、更には各々教員と面談し、契約書にサインまでして、この特別講義を受講している。

 ――"対武装犯罪者格闘術"。
 格闘術、というと聞こえは良いが、実際に武装した犯罪者が現場で、スポーツマンシップに乗っ取ってマシンガンを乱射するわけがない。そのため決まった型もルールもなく、いかに迅速に正確に犯罪者を確保するか。そのための講義である。

 …が、しかし。
 説明会では、どれだけこの講義が辛く厳しいかを永遠に説かれ、更には多少の怪我どころか、重度の打撲・骨折程度の怪我は覚悟して臨むこと。
 そして、極めつけは契約書に、どれだけひどい怪我を負ったとしても学校及び担当講師は一切の責任を取らない、という一文まで添えられていたのだ。
 これほど脅かされて、新しい授業に心躍らせて待機出来るはずがなかった。
 いよいよ授業開始のチャイムが鳴った。
 と、同時に、一人の男が、トレーニングルームへと入ってきた。
 30代くらいだろうか。特徴的な顎髭を蓄えている、アジア系の男だ。

「ようこそ。特別講義へ」
 陽気な、人好きするような声だった。にっかりと浮かべている笑みも警戒心を緩ませるようなものだ。
 が、しかし、その男の登場に、集まっていた生徒たちは更に身体を強ばらせた。
 苦笑を浮かべながら、男は続ける。
「例年通り、噂は広まってるみたいだな。――オレがこの講義の特別講師で、噂の"鬼教官"、鏑木・T・虎徹だ」

 誓約書には、授業内容・担当講師については一切他言無用、という旨も明記されていたはずだったけれど。やはり人の口には戸は置けぬ。

 それは、代々先輩たちからまことしやかに囁かれ続けている噂だった。
 この講義だけ教鞭を執る特別教官は、契約書通り、ジュニアスクールに通っている子供だろうが、この講義を受講した生徒は容赦なく殴りつけ、投げ飛ばし、そしていとも簡単に骨を折る、まさに"鬼"と形容される男だ、と。

「最初に言っておく。すげー辛い実技授業だ。毎年半分以下も単位は取れないし、今日の最初の一回受けただけで途中放棄する奴も何人もいるだろう。――しかし、この講義の単位を取らない限り、司法局からヒーロー活動の認可は下りない」
 それは事前の面談でも説明を受けていた。
 この授業を受講してない者はヒーローになれない。それを考えて受けるか決めてほしい、と散々言われたのだ。
「ヒーローアカデミーって謳ってるけど、ヒーローを職業として本気で考えて入学している奴ばかりじゃないからな。制御の難しいNEXTを上手くコントロールするためだけに通ってる奴も在学してる。全員にこの講義を受けさせようっていうのは、ちょっと酷だろう」

 そこで、生徒の一人が手を上げた。
 虎徹は嫌な顔を見せずに肩をすくめてその質問を許可をした。
「今ヒーローで活躍する7人いますが、アカデミー出身者ではない者は?」
「ああ。昔はスポンサーと契約してから、司法局が認可を出していたからな。スカイハイまでは全員それだ。ブルーローズ、ドラゴンキッドはどちらもそれを補えるほどの強力なNEXTだ。先に認可は出たが、どちらもオレから講習は受けている」
 首を傾げてながら、またその生徒は続けた。
「クラスには、他にもヒーローに心から憧れてアカデミーへ入学した生徒も何人もいます。彼らが受講出来ないのは、何故です?」
「残念だが、他の必須科目で落第していたらその時点で弾かれている。…後は、意志はあってもテレビ映えしないような能力者は、除外らしい。スポンサーが付きにくい、ってさ」
 オレは雇われ講師だから、そこの詳しい選別は知らないと虎徹は首を振った。

 確かに、仮に認可は下りても、スポンサーが見つからないと企業はどこも雇わないだろう。この場にいる面々は、全員がテレビ映りの良さそうな能力者ばかりだった。

 そこで、また別の一人が手を上げて質問する。

「では、折紙サイクロンは?」
 折紙サイクロン。アカデミー出身者で、唯一現役で活躍しているヒーローだ。
 しかし、はっきり言って、テレビ映りが良い能力とは言い難い。
 彼が何故この授業に参加出来たのかは疑問である。

「あいつは例外だ。TVでのスポンサーの新しいアピール方法を授業でプレゼンして、在学中にそれがきっかけで企業からお声がかかった。もちろんこの講義もパスしている」
 それを聞いて、全員が全員、少しだけ安堵した。

 折紙サイクロンと言えば、ランキング下位争いに名を連ねているヒーローだ。熱心なファンはたくさん付いているが、武道派とは程遠いイメージの折紙がパス出来るのならば、試験自体はそこまで難しくはないのだろう。

 クラスの少し緩んだ雰囲気を見て、虎徹はこっそり意地悪く笑ってから、学年首席の名を呼んだ。
「――バーナビー・ブルックスJr。お前から、早速いっちょ手合わせしてみるか?」
「はぁ…。僕で、よろしいんですか?」
 ハイスクールの頃から、ウロボロスの情報を得ようと、ブロンズの治安の悪い場所をうろうろと出入りしていたバーナビーだ。何度も喧嘩に巻き込まれもしていて、元から腕っ節には自信があった。
 更にアカデミーに入学し、授業で体術をマスターしてからは、向かうところ敵なしだ。すでに、同学年どころか教官ですら敵う者は一人もいなかった。
 虎徹はそのずいぶんと生意気な発言を聞いて、目をぱちくりさせた後、けたけたと笑った。
「おーおー、自信満々じゃんか。世間知らずにも程があるぜ、可愛い兎ちゃん?」
「…待ってください。誰が、兎ですって?」
 一気に氷点下まで冷え切ったバーナビーの声に、周りの生徒らは、ああやってしまった、と息を飲んだ。

 幼少期から、語呂が似ているからとその馬鹿げたあだ名が付けられることがしばしばあった。
 しかしプライド高く、中身はまるで子供なこの男を、バニーなどと呼ぼうものならば、片っ端から手酷い仕返しを受けるのだ。
 入学当初、顔良し頭良し家柄良しと、非の付け所が全くないバーナビーを妬んで、そうからかった男が同じクラスにいたのだけれど。絶対的な権力を持つ彼の後見人こそ登場しなかったものの、その男を口先でも実力行使でも徹底的にやり込めてみせた。とにかく、バーナビーにそれは禁句なのだ。

 だがしかし、バーナビーが怒りの表情を浮かべてるというのに、虎徹はどこ吹く風である。
 構えるわけでもなく格好を崩したまま、余裕そうに、ひとつ笑った、だけだったのに。

「御託はいいさ、バニーちゃん。――ルール無用・手加減なし、が、ご所望なんだろう?」
 ――瞬間、背筋がぞわりと震えた。

 得体の知れない雰囲気に、気が付けば、バーナビーは反射的に本能的に、思いっきり目の前の男へ殴りかかっていた。
 …が、あえなく拳は宙を切る。
 次の瞬間すでに虎徹はバーナビーの懐に潜り込んでいて、そのまま容赦なく腹を殴られた。大した反応も出来ず、もろに食らう。
「ぐっ、はっ!??」
 本当にこれが授業の一環なのか、と疑いたくなるほどの衝撃を受け、思わずバーナビーは咳き込んで身体をくの字に曲げる。
 前屈みになったところへ更に首ねっこを掴まれ、足払いをされて、バーナビーは顔から床に引きずり倒された。慌てて腕を付いたが、膝も額もしたたかに打ってしまった。
 そこから流れるような動きで虎徹はバーナビーの背に馬乗りになり、更には足で片腕を踏んで動けないよう固定する。
 髪を掴まれ、首筋に、ひやり、冷たい物を押し当てられた。

「――っ!?」
 当然刃物を想像した、バーナビーは身体を強ばらせる。

 …た、ところで、虎徹はふっと力を抜いて、またけたけたと笑い声を上げた。
「はい死んだー。ちょっとは喧嘩慣れしてるみたいだけど。見た目通り、行儀のよろしいお坊っちゃんだ。禁じ手は一つも防げない」
 ただのボールペンだよ、と虎徹は意地悪く笑った。ボールペンをくるりと回して胸ポケットにしまいながら続ける。

「ちょいとナメたろ?いっつもランキングビリ争いの折紙にパス出来る試験だなんて、楽勝だ、ってさ?」
 周りで二人の組み手、という名の一方的な暴力を、唖然と見守っていた他の生徒たちを、虎徹はぐるりと見渡した。

「折紙の能力は"擬態"だ。火が出せるわけでもないし、力がパワーアップするわけでもない。一般人同然の人間が、拳銃持った犯罪者を逮捕するんだ。折紙は司法局から最低でも、この講義でSを取らない限り、ヒーロー活動の認可を出さないと言われてた。――オレが今まで教えた中じゃ、一、二を争うくらいに優秀だぜ?」
 だからお前らもっと折紙を敬いやがれー。と、虎徹は誇らしげに言っていたけれど。最早それは誰の耳にも入っていなかった。

 確かにバーナビーには誰一人として勝ったことはないが、今学年のアカデミー生は皆優秀で、全員が通常授業の教官相手ならば、そこそこやり合えるレベルではあったのだ。
 不安はあったが、そこそこの自信とプライドを持ってこの特別講義を受講した。はずなのに。
 それだと言うのに、あのバーナビーですら、一瞬で。

 青ざめる生徒たちに構わず、そのまま虎徹は、再びバーナビーの首を強く掴み直した。

「さて、ちょうどいいな。――最初の課題だ。"人質を取られ、満足にNEXTを使えないこの状況で、人質に傷一つ負わせることなく見事救出し、犯人を確保せよ。"」
 そうして、鬼教官と呼ばれる男は、その名に相応しく、挑発的に、獰猛に笑って続けた。

「――さぁ、かかってきな。鼻っ柱、端からへし折ってやるよ、若造ども」




 この半年後。
 辛く厳しい試験を見事パスし、念願だったヒーローデビューを果たすバーナビーだけれど。

 もちろん心から尊敬もしているが、同時に強いトラウマを植え付けた張本人、鏑木・T・虎徹こと、"ワイルドタイガー"とバディを組んでのデビューだということを、バーナビーはまだ知らない。




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