大理石のフロアに、目立ちすぎずも洗練された織りのペルシャ絨毯。頭の上にはシャンデリアがきらきらと幻想的に光っている。柱や手すり一つとっても、ため息が出るような美しい細工が見てとれた。そこに並ぶのは古今東西ありとあらゆるご馳走である。
 なんでも元は由諸正しい貴族の持ち家で、それを斡旋業者が買い取ったものだと言う。なんと、映画のセットにも使われたこともあるらしい。
 しかしどれだけきらびやかなシャンデリアがぶら下がっていようと、大好物の和食も山盛りに並んでようと、虎徹は滅入っぱなしだった。

 スポンサーありきのヒーロー業界。ポイントを稼ぎ、テレビに写る機会を増やして、スポンサーを世間にアピールする。
 あとはもちろん、スポンサー相手の接待だ。
 今夜は久々の大規模なパーティーだった。新しいスポンサーを見つける機会でもあるから、会社もずいぶん気合いを入れて会場を選んだようだった。

「タイガーさん」
 早々にスポンサーへの挨拶を済まし、一人もくもくと食事をかっこんでいた虎徹に(食べ物に罪はない。せめて食べなければやってられない、というものだ。)、バーナビーは声をかけた。
 虎徹が振り返ると、そこにはなんと珍しく、相棒とファイヤーエンブレムとが二人で連れ添っていた。

「おう。なんだよ、珍しい組み合わせだな」
「一人、そこにいるスポンサーが一緒なのよ」
「どうせなら一緒に挨拶してきたほうが早いとなりまして」
「それにしてもタイガー、あんたが逃げ出さないで、そこまで着飾ってるのも久々じゃない」

 そっちのほうがよっぽど珍しいわ、と笑ったネイサンに、虎徹はげんなりとした様子で答える。

「仕方ないだろ、今日途中で逃げ出したら会社で賠償金補填しないって言われてんだよ…」
 虎徹はパーティーが苦手だ。お世辞を言い合い、お上品に微笑んで、だなんて全く馬鹿馬鹿しい。
 まるで映画の世界のような華やかなパーティーに全く憧れがない、とは言わないが、正直肩が凝る。どうにも性に合わないようだ。途中でバーナビーに役割を押し付け逃げ出すこともしばしばである。
 だから、このように大きなパーティーで、ヘアメイクまで完璧に仕上げ着飾って参加するのは珍しかった。
 ファイヤーエンブレムはそういう虎徹を上から下まで見てうんうん、と頷いた。

「タイガーあなた、やっぱりそういうシンプルなドレスが似合うわねぇ。今日は久々に満点あげちゃう」
「お?やったね。ま、シンプルなのは単に金ないからだけどよ。こんなところでしか着ないのに、折半だとか。もうちょい経費で落ちりゃいいのに」

 彼女が今日身にまとっていたのは、濃紺のロングドレスだった。スリットなしだったが、代わりに肩と背中が大きく開いていて、セクシーである。首にはゴールドとブラックの三連チェーンネックレスだ。一本一本のチェーンは太く、クラシックというより、モード寄りだが、華奢でちっこい石が光ってるようなもんよりこういうやつのほうがずっとワイルドってかんじだろ、と、ちょっと前に語っていた彼女の弁を思い出してネイサンは少し微笑んだ。事実、虎徹の雰囲気によく合っている。

「まぁそうは言ってもねぇ?素材が良くないと中々着こなせないわよ、そのドレス。本当に30代後半には見えないわぁ」
 ねぇとハンサム、とファイヤーエンブレムは隣にいたバーナビーに意味ありげな視線を投げた。
「ええ。綺麗ですよ」
 そうやって、バーナビーはジェイクの一件が片づいてから、やたら素直だった。前ならば、おばさんのどこが綺麗だっていうんですかと鼻で笑うか、馬子にも衣装だとでも言えば上等だったはずなのに。
 余裕も出来て、ようやく周りに心を開き始めたのだろう。良い傾向だ。――だがしかし、虎徹は内心、少しばかり慌てる。
「なんだよ、ようやくオレの魅力に気づいたわけ、バニーちゃん。でも普段あれだけボロクソに言ってる奴からそんなん言われても信用ねーぞ?」
「僕が普段ボロクソに言ってるのは虎徹さんの言動や行動や業務についてです。あなたの見た目をけなしたことなんか、一度もないですよ」
 そして虎徹が必死に茶化そうとしても、これだ。そういとも簡単に言ってのけたバーナビーの表情は柔らかく、しかし真剣であった。
「素面で言ってのけちゃうんだから、色男はにくいねぇ。おばさん相手に持ち上げたって何の…」
 ――そこで虎徹はふと、不自然に言葉を切った。
 一点に釘付けになって、そのまま怒りの表情を浮かべる。釣られてバーナビーとネイサンの二人も後ろを振り返った。
 虎徹の視線の先にいたのは、ブルーローズだ。スポンサーであろう一人の男に肩を抱かれている。
 あまり、というか、全く誉められた行為ではないが、アルコールの入った席ならば、よく見る光景ではあった。女性ヒーローは、スポンサーからの多少のスキンシップは覚悟しなければならない。

「……あんの、クソジジイ」
 しかし吐き捨てるようにそう虎徹は呟いて、早足で歩き出したものだから、残された二人は慌てた。
 仮にもスポンサーだ、ブルーローズも愛想良く堪えてるのだろう。それだというのに虎徹は今にもあの男を殴り倒さんばかりの表情である。

 いきり立つ虎徹を止めようとバーナビーとネイサンは後を追ったが、――しかし、近づくにつれ向かう先にいたブルーローズが、今にも泣き出しそうな表情を浮かべていることに気が付き、顔をしかめた。

 虎徹は二人のところまで歩み寄って、ブルーローズの肩にあった男の手を容赦なく乱暴に払い落とした。そのままブルーローズの手首を掴んで、男から引っぺがすように身体を手前に引く。

「な、何を…!?」
「ハァイ、ミスターレノマ。ひっさしブリー」
「ワ、ワイルドタイガー?」

 どうやら虎徹の顔見知りだったようだ。男は彼女の姿を認めて分かりやすく動揺する。更にはバーナビーとファイヤーエンブレムが後ろに控えていたのにも驚いたのだろう、目を見開いた。

 嫌味ったらしい笑顔を作って虎徹は続ける。

「オレを差し置いて、若い子に鞍替え?なに、もうオレには飽きちゃったー?」
「い、いや、何を言って…」
「この子、まだピッチピチだろー、実年齢なんと17歳よ?手出ししたら立派な犯罪者だよねぇ。――ヒーローは、犯罪者に容赦ないぜ?」

 そう言って彼を睨みつける琥珀色の瞳は、どこまでも冷たい。

「ここでテメエの性癖、大声でバラされたくなかったら、今日のところはどうぞお引き取りを。――このドM野郎」

 そうはっきりと言い捨てた虎徹に、レノマは慌てて踵を返していった。
 虎徹はカリーナの手を引いて、ホールを出る。
 こういう時は、男が一人、連れ添ってやりなさいな、とネイサンが声をかけたため、バーナビーも一緒だ。
 …年頃の女子は、むしろこういう時男に側にいて欲しくないのでは、とバーナビーはちらりと思ったが、先ほど男を追い払った虎徹の言葉がどうにも心をざわめかせていたので、内心ネイサンに感謝しながらついて行った。
 ヒーロー達専用の控え室まで引っ張っていって、そこでようやくカリーナの顔にハンカチを押し付け、優しく抱き寄せた。

「あーあー、ほらもう思いっきり泣いて大丈夫だから。怖かったな?何かヤなこと言われたか?」
「別に、泣かないし、!」

 途端に堰を切ったようにぼろぼろと涙をこぼしながら、それでも強がってカリーナはそう答えた。よしよしと頭を撫でながら虎徹は続ける。

「どうせ夜ホテル来いとかそんなだろ?あんなんにお前が傷付く必要も理由もねーんだからな。犬に噛まれたと思って忘れろ、な?」
「……タイガーも、誘われた、の?」
「もうちょい若い頃な。もうすんげえ勢いで迫ってきて」

 その言葉に、カリーナもバーナビーも顔をしかめた。追い払った言葉からしてそうだろうとは思ったけれど、やはり、虎徹も誘われていたのか。

「…で、付いてったの?」
「あのジジイさ、パーティー中に、っていうか人前で?エロいこと囁くのが好きな変態で。しかも、ドが付くマゾヒストなんだよ。でも小声で踏んでくれとか豚野郎って罵ってくれとか言われたら、実際爆笑もんじゃん?で、人前で腹抱えて笑い転げたら、割と本気で泣いちゃって」

 そう冗談めいて言う虎徹を、カリーナはくすりと笑った。

「何やってんのよ…」
「おし。やっと笑った」

 虎徹はカリーナの頭をまたぐりぐりと撫でて、にっこりと笑った。
 今度から色目使われたら、それをネタに強請ってやんな。という力強い言葉を付け加えて、彼女の崩れたアイラインを直すべく化粧ポーチを取り出した。


 酔い醒ましに、と虎徹は一人、庭へと出る。
 逃げるつもりじゃないでしょうね、と睨むロイズは、あと一時間もしないで終わるんだから逃げませんよ、と、なんとかなだめた。――たぶん、行くとしたら、今だ。
 手入れの行き届いた、見事なガーデンだった。隅の隅まで金がかかってるなとますます虎徹の気を滅入らせた。夜風がアルコールで火照った顔を生ぬるく撫でていく。いっそ冷たい風でビュービューと打ち付けて欲しかったが、そうはいかないらしい。
 まぁ大体この辺だろうなとあたりをつけ、だらだらと歩いていたところで。――いきなり手を引かれた。先ほどコケにされたことによほど腹を立てているのか、かなり荒っぽい。
 しかし初老に片足を突っ込みかけている彼の力では、鍛え上げた虎徹の腕に痕一つ残らないだろう。ざまぁ見ろ、とこっそり毒づいた。

「なんのつもりだね…?」

 ――目の前には、怒りにうち震えるレノマがいた。
 時間も場所もジャストとは、全く泣けてくるぜ、と虎徹は冷めた調子で返す。

「ほら、目の前で違う女を口説いてたら、面白くねーじゃん?」
「はっ!君が私にそれほど入れ込んでいたとは、初耳だよ」
「ははは、もうベタ惚れだぜマイダーリン」

 まったくの棒読みだったが、男はそこで意地悪く、ずいぶんと満足げに笑った。

「君は全くもって馬鹿だね。そうやって弱味ばかり見せて」

 首もとのネックレスをいやらしくなぞられた。久しぶりにこの男の趣味の悪い香水を嗅いで、全身鳥肌が立つ。
 喜ばせるだけなので、嫌悪感を見せないようなんとか取り繕って。ただひたすら面倒臭そうな様子で虎徹は返した。

「この三文役者め、阿呆らしい。あんた、狙いバレバレだぜ?――会社が変わってから、長いことご無沙汰だったじゃねーの?」

 そう言う虎徹を、なんのことだね、とレノマは鼻で笑った。そのまま顔を近付けてくる。
 葉巻臭いキスを受けながら、虎徹は、ギクリ、身を固くした。

 覆い被さってきたレノマの背中越しに、会場のバルコニーにたまたま出ていた、自分の相棒とばっちり視線が合ってしまったのだから。
 近くにあった適当な石に、ドレスが汚れるのも気にせず虎徹は腰掛け、首のネックレスを外すた。
 あのエロジジイに触られて、そのまま付け続けられるほどさすがに図太くない。本当ならば、すぐさま投げ捨ててやりたかったが、昨日急遽買ったばかりで中々値段が張ったものだ、と考えると、到底無理だった。
 所詮、骨の髄まで庶民だ、映画の女優のようになれやしない。そう小さく自嘲して、虎徹はネックレスをバックにしまった。家に帰ってから、アルコール消毒してしまえば問題ないだろう。
 座ったまま、虎徹はバーナビーを待つことにした。あの形相ではすぐ飛んでくるだろう。このまま会場に戻って、人前でギャーギャー騒がれても厄介である。一見冷静沈着に見えるが、案外沸点の低い激情型だ。

 レノマは去り際、相棒に見られ動揺していた虎徹に全く気付かずに、無理矢理手に二つ折りの紙を握らせていった。中を開けばいつものよう、メモ用紙にはホテル名と部屋番号が走り書かれている。
 日付は明日の18時、だ。ぐしゃりと握り締めながら、明後日が非番なのがせめてもの救いだろうか、とはぁと溜め息を吐いた。

 そうやってぼんやり座っていた虎徹の前に、息を切らしたバーナビーが現れた。
 どれだけ急いで走って来たのだろう、せっかく時間をかけてセットしていた綺麗な髪もぐしゃぐしゃだ。
(…映画のワンシーンのようじゃないの)
 しかしそれでも様になってしまうのだから、ハンサムはとことん憎たらしい。

「…よう。覗き見とか、趣味悪ぃんじゃねーの、バニーちゃん」
「こっちの台詞です…!」
 全くもってその通りだった。
「嘘は吐いてないぜ?笑って泣かしたのも、ドMなのも。女の腹黒い一面を見れて、お勉強になったろ?」
「あれが、痴情のもつれだとでも言いますか!それで、僕が納得するとでも!?」

 しかし相棒は、残念ながらとても賢く、とても馬鹿な男だった。
 はっきり公言して、一体誰が得をするというのだ。
 苦虫を潰したような表情を浮かべて、虎徹は吐き捨てる。

「…あれで黙ってるような男じゃない。ご機嫌取りしとかなきゃ後々面倒くせーんだよ、あのジジイ」
「そんなこと、一体…!」
「いつから?今まで何人と?一々数えっかよ、そんな胸糞悪ぃこと。…ま、こっち異動してからは一度もねえけどさ。良い会社だよ、アポロンメディア」

 事実、会社が変わってから、レノマ含め、他からも一度も呼び出しはなかったのだ。
 全部断ってくれたのか、単にアポロンメディアより立場の弱い会社だったのか、とにかくアポロンメディア様々だった。

「なんでそんなことを…!いくらでも断れたはずでしょう!?」
「…あんだけ脅されて、断れる奴がいたら、面ァ見てみてえよ」

 一番の泣きどころ楓に留まらず、安寿、村正、トップマグ、ベンさん、当時のパワードスーツ開発チームに、アントニオ、果てはアントニオ所属のクロノスフーズまで。守秘義務は一体どこへいったと声を大にして叫びたいほど揃い踏みだった。

 ――ふと、そこでバーナビーは、虎徹の手にあったメモ用紙に目を止めた。
 視線に気が付いて、慌てて隠そうとしたが、取り上げられ、中を見られてしまう。

「――これは、なんですか!?」
「…見りゃ分かんだろ。明日のお誘い?」
「今のあなたは、アポロンメディア所属でしょう!?受ける通りなんてないはずだ!」
「そうだよ、会社は何も関係ない。――オレが、勝手に受けたんだよ。何が悪い?」

 口出しすんな。そう言外に告げたつもりだったけれど、バーナビーは食い下がる。

「そんなの誤魔化さなくたっていい、ちゃんと分かってますよ!――あなたがスポンサーに足開かなきゃヒーロー続けられないってことぐらい!」
「…っざんけんな、んなわけないだろ!」

 明らかな挑発だった。しかし虎徹は溜まらずつい怒鳴り返した。
 それだけは、背を預けるバーナビーに絶対に言わせたくない。

「なら、断ればいい!あなたにはアポロンメディアという最強の後ろ盾がいて、実績も実力もある『TIGER&BARNABY』でしょう!?」
「そうだよ、オレにはもうあんなちゃっちい脅しなんか効かない!――何のために、さっきあのジジイがわざわざオレの目の前でブルーローズにちょっかい出したと思ってるんだ!?」

 まさか、とバーナビーは肩をわなわなと震わせる。
 ないならこっちから弱味を出させよう。いかにもレノマの考えそうな手だ。
「――そんなの、尚更断れ!」
「断って、今度はカリーナにお鉢を回せってか?未成年だなんだって、ジジイが本気でやればいくらでももみ消せるんだんなもん!あんなクソ野郎にカリーナの処女捧げろって言うのかよ!」

 そしてあの時、虎徹が間に入らなければ、それはそれで新しいお相手が見つかっただけだったろう。
 一つ二つ卑猥な言葉をかけられたくらいで泣き出してしまった初心な少女だ。きっとあの男にしてみたら、彼女を都合の良いように脅すだなんて赤子の手を捻るより容易い。

「ふざけんな、なんだその意味不明な自己犠牲は…!あなたが身代わりになって、ブルーローズさんが喜ぶとでも思ってるんですか!?そんなの、虎徹さんがあの野郎と寝る理由になんかになりません!」
「カリーナを理由に正当化したいわけじゃない!売女呼ばわりされても仕方ないって分かってる!」

 バーナビーは言葉に詰まった。
 そして言いながらも、予想外に自分自身にも深く刺さった。

「…本当に、もう今まで何人と寝たのかよく覚えてないんだ。今更拒否るのもアホらしいし、どうせそんな使い古しだよ…。オレが寝て、それで丸く収まるなら、充分だろ」

 バーナビーは、虎徹のことが好きだ。
 自惚れでもなんでもなく、自分に向ける視線が時たま熱を含み、与えられる言葉も以前と比べものにならないほど甘さを帯びている。
 長年執念を燃やしていた復讐を終え、ようやく未来が開けたのだ。これから善意も愛情も、彼へと惜しみなく与えられるだろう。与えられるべきなのだ。

「――軽蔑していいよ。そのほうが慣れてるし、楽だ」

 目の前に立つ男は、こうやって怒った顔も、ずいぶん綺麗だった。男相手に綺麗も何もないだろうが、どんな俳優だろうがモデルだろうが引けを取らないだろう。――だが、自分はどうだ。
 眩むほど輝かしい人生だ、未来ある彼に、これほど薄暗く汚れた女が側にいるだなんて、到底許されることではない。
 いっそ頼むからもう突き放してくれよ、と、泣き出したい気持ちで虎徹は呟いた。
 もうこれ以上、虎徹は傷つきたくも、気が付きたくもない。

 それなのに、バーナビーは今日、一番の憤怒の表情を浮かべながら続ける。

「馬鹿にしないでください!――そんなの、あなたを軽蔑する理由なんかになりません!」

 ――だがしかし、気付かぬふりをさせてくれないこの男の、なんと憎いことだろうか。




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