数年意識もないまま入院し続け、最近亡くなった姉のこと。ずっと気落ちしている両親のこと。家はいつもどんよりとしていて暗かった。そして、姉を慕い続けていた友達のココのこと。
 家庭と学校のことだ。中学一年生にとっては身近すぎる問題だし、嫌になって全てを投げ出して逃げるには、青宗はまだ子供すぎた。

 だからこの時、この人の隣が世界で一番呼吸がしやすい場所だった。


「そうかよ。それならオレは、酸素が出せる葉っぱだな」
 仕事をしながら、真一郎は青宗の取り留めのない話に耳に傾けてくれていた。ナットを締め上げながら、軽やかに真一郎はそう言ったので、青宗は思わず吹き出してしまった。
「光合成なんて難しいこと知ってたんだ、真一郎君」
 真一郎は、聞く限り学生時代の成績が相当悲惨なものだった。最も、このまま行くと青宗も学業に関しては、真一郎と近しい道を辿るのであまり笑えないが。
「おいおいあんまりバカにするなよ。オレだって高校は通ったんだから、高校レベルの理科は任せておけ」
「光合成は、小学生レベルだよ」
「おっと? こいつが不具合起こしていやがったのかぁ? ここさえ終わればやっと今日の仕事が終わるなぁ〜」
 自慢げに胸を張った真一郎だったが、青宗のツッコミにわざとらしく話を逸らして、仕事に没頭するフリをした。下手な誤魔化しである。
 こういうところだった。真一郎は、必要以上に深く聞き出そうとしないし、安くありがちな慰めを言わない。しかし中坊相手だからと、あしらって話を聞かないわけでもない。こんな子供相手にでも、適度な距離から、適度な言葉をくれる人だった。だからこの人の側はこんなにも心地が良い。総長を辞めた今でもたくさんの人が真一郎の元に集まるのはこういうわけだ。
「そういや、この前テレビでやってたな。酸素だけ吸ってても、人って死ぬんだってよ」
 ふと思い出したように、真一郎は言った。
「そうなの?」
「確か? 酸素は純度が高いとなんちゃらで、人間には二酸化炭素とか窒素とかも必要、みたいな? 仕組みはよく分かんなかったけど」
 あやふやな説明だった。だが、どうせ詳しく説明されたところで青宗も理解出来ないだろう。真一郎はそのまま、うーん、と少し考え込んだあと、意地悪く笑った。その様子は、どこまでも気軽さがある。
「まぁ適度に、二酸化炭素も出してやっか。死なれても困るしなぁ」
 オラ、パシられろ、と真一郎はポケットから財布を出して、青宗に投げつけてきた。
「わ、ちょっと……!」
 青宗は危なげなくそれをキャッチする。
「缶コーヒーとカレーパンな。セブンのやつ。最近ハマってんだよ、あれ」
 真一郎は理不尽にそう言い切った。真一郎の店から一番近いセブンまでは、少々距離があった。当然バイクなど持ってない青宗には、面倒な距離である。
 文句の一つでも言ってやろうかと真一郎の方を見ると、彼は快活に笑っていた。
「ついでにお前の好きなもんも買ってこいよ。戻ってきたら、直したバイクでひとっ走りするから。特別にケツ乗っけてやる」
 何が二酸化炭素だと、青宗は笑った。そんなことを言って、酸素ばかりを寄越しやがる。青宗は「行ってくる!」と大声で答えて、コンビニへと走り出した。
 真一郎とは、つまりそういう男だった。



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