部下が死んだ。先代から組に付いている男で、仕事の出来る優秀な部下だった。ホリはその時まだ二十そこそこで、急逝した先代の代わりに継いだばかり。どうしようもない甘ちゃんで子供で、若かった。十年来の付き合いだった部下を失い、傷心だったホリは、せめて、身辺整理は俺がやる、としゃしゃり出たのだ。
 彼の部屋へと行けば、まだ年端もいかぬ子供がいた。あまり私事を語る男ではなかったが、内縁の妻と子供がいて、とは知っていた。何年か前に女は事故で死んだが、忘れ形見のその子を大切に育てている、そう言えば今年小学生になった、と自然な話の流れで聞いていた。彼にはまだ帰るべき家庭があったのに、と思うと、胃のあたりに更にずんと重い物が落ちた。
 何度でも言うが、ホリはまだその頃、青臭くて、しょんべんたれのガキだった。父親が死んだと聞いて、幼いにも関わらず必死に泣くのを我慢していたその子を見て、俺が引き取る、とホリは決めた。実際、代替わりしたばかりの不安定な時期だった。死んだ部下も、相当な恨みを買っている。その辺の施設や一般人である血縁者に預ければ、すぐ死ぬと思った。この子を死なせてしまったら、その部下へますます顔向け出来ない。そういう思いで、ホリはその子供を引き取ったのだ。

 しかしそんなの、100%自分の都合で、自己満足だ。果たしてどこの世界の父親が、自分の血の繋がった我が子を、裏の世界に身を置くことを望むだろうか。金を積んで戸籍をいじるだとか、海外に逃がすだとか、打てる手はいくらでもあった。
 つまり、ホリには、カシマをこの世界に引きずり込んだどうしようもない負い目がある。だから、この世界で身を守る術は全部叩き込んだ。性別を偽らせて、ホリの跡付きだ、と敵対組織にも吹聴して、簡単に手出しの出来ぬように守った。しかし、まだ早い、と言い訳して、汚い仕事を回すことはなかった。








 夜もどっぷり更け、そろそろ日を跨ごうとしている。ホリは、自室のベッドでうとうとと微睡んでいた、その時だ。腹に殴られたような強い衝撃が。
 何事だ、と頭が考える先に、侵入者の胸ぐらを掴んで、枕元に隠していた拳銃を突き付けようとする。が、しかし。襲い掛かってきた犯人を見れば、なんと、カシマだった。彼女が馬乗りになってホリに抱きついているではないか。
 なにやってんだこの馬鹿紛らわしいことを!、といつものように思いきり殴って怒鳴り散らしてやろうと思った、のだが。目の前のカシマは、ずいぶん思いつめた表情でいて、ホリはすっかり毒気を抜かれる。あーもう一体なんなんだよ…、と銃を元の場所に戻してされるがままにしていた。
 ホリの寝室に、カシマがやって来たのはいつ以来だったろう。彼女を引き取った頃、眠れない小さなカシマが毎晩のようにホリのベッドに潜り込んできては、共に寝ていたが。思えば、子供の頃もこうやって飛びついてきたような気がする。カシマを引き取ってから、そろそろ10年だ。あんなに小さかった子供が、手足もずいぶん長くなったなとしみじみとホリは思った。
「でかくなったなぁ、お前…」
 そんなことを考えていたら、ずいぶん感慨深げな声が出た。あ、しまった、と思うも、すでに遅く、ホリの上のカシマは、更に傷付いた顔を浮かべる。
「…そんなの、今どうでもいいじゃないですか」
 こんな時まで子供扱い、と、泣き出しそうな声で呟く。最近すっかり見せなくなった泣き顔は、ますます小さな頃を思い出させたのだが。怒りを買うだけだと分かっていたので、それは言わないでおく。
 しばらくされるがままにしておいたが、カシマは、意を決してように口を開いた。
「……抱いて、もらえませんか」
 震える声で、やっとの事で告げられたのは、やはりそういう類のものだった。彼女が自分を想いを寄せていたのは、知っていた。だが、今までなんとなく距離を置いて、言わせないようにしてきたことだ。
「直球だな。いつもの女口説いてる時の、歯の浮くような台詞はどうした?」
 カシマがまた傷付くと分かっていたが、からかい混じりにホリは茶化した。背をあやすように撫でてやる。そうしてやれば、いつものようにカシマも怒って、話が逸れるだろう。ホリは逃げ道を作ろうと必死だというのに、とうとう、今日は騙されてくれなかった。
「……ボスが、私のこと、そんな風に見てないことは分かってます…。私を絶対抱きたくないって思ってるのも分かってます…。……いつか、私を手放そうとしてるのも、知ってます」
 ピタ、と、撫でていた手が止まった。気付いてたのか、とはさらに墓穴を掘るだろうから、言えない。
 事実、ホリはカシマを抱きたくなかった。カシマはホリにとっての優秀な跡継ぎで、可愛い子供で、妹で、唯一の家族だ。この血で血を洗うような世界で生きてきたホリに、当たり前の愛を教えてくれた存在だった。自他共に血も涙もない、どうしようもないクソ野郎だと認識していたのだが、まだ己に真っ当さが残っていたことを初めて気付かせてくれたのだ。
 そういう、いつでも変わらぬ真っ直ぐな瞳で、カシマをホリを見る。
「一度だけで、いいんです。抱いてください。その、一回の思い出だけで、私、一生あなたに飼い殺しにされても、このまま捨てられても、生きていける」
 見つめてきたその目に、迷いなどなかった。
 馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけれど、とことん、どうしようもないくらい馬鹿な女だ。ホリは深いため息を吐いた。
「……我ながら、お前を目に入れても痛くないくらい可愛がってる自覚がある。お前に好きな男が出来たんなら、…まぁとりあえず脅して一、二発は殴るだろうけど、それでもお前を諦めねぇって根性のある奴なら、お前を女に戻して、盛大な披露宴も上げてやって、この世界から足洗わせてやる、段取りもあった」
 実際一、二発どころか、半殺しにくらいはするだろうが。それでも諦めない、骨のある男でなければ彼女の相手なぞ認めるものか。今まで男物しか着せられなかった分、女らしい服も存分にめかし込ませて。どこからどう見てもイケメンなカシマだが、この美しい顔立ちだ、思いきり飾り立ててやればさぞ化けることだろう。式じゃ、バージンロードを一緒に歩いて、組の奴らと泣きに泣いて。そして、完全に裏の世界と繋がりを消すために、もう二度とカシマとは連絡を取らない。カシマが望む幸せのためなら、ホリはなんでもすると決めていた。そういう覚悟があるのだ。
「ーー生涯一度だけ?その言い方は、ダメだ。たった一回のお情けで、お前の一生を飼い殺しにするような男にくれてやるほど、俺のカシマは安くねぇよ」
 この世で、一番値打ちのある女だ。そういう風に育て上げたのは、他でもないホリである。
 例え本人が頷いたとしても、カシマにそんな半端な気持ちで触れるだなんて、許すわけがない。
「好きって言え。一生私のものになれ、って言え。そんで相手にもそう言わせろ。そうでなけりゃ、誰がお前をやるもんか」
 ああどうしようもねぇ矛盾だ。
 こんな血みどろに汚れた自分が、こいつを抱き締めていいはずがないのに。いつかは、表の世界に帰さなくてはと思っていたはずないのに。これが、彼女を突き放す最後のチャンスだと分かっているのに。
 なんでこいつは、よりによって俺なんかを選ぶんだ。抱きたくない、なんて、嘯いて強がっていたのに、台無しだ。
「……好き、です…!だから、お願いっ…、ずっと、側にいてください……!」
 泣きながらすがるカシマの手を、ホリが突き放せるはずがない。そんな分かりきってたことに目を背けていたホリは、もっと馬鹿だ。
 衝動のまま、ホリはカシマの唇を奪う。軽く何度も啄めば、は、と小さく息が漏れる。少しだけ唇が開いたところに、ホリは熱い舌を入れた。どうしていいか分からず縮こまるカシマの舌を、絡めとって吸い付いた。それだけで、びくりと彼女の肩が震えて、背に回せた手が必死にシャツを掴んだ。隠されていた女の部分を、残らず引っ張り出す、というだけで、背徳感にぞくぞくと背筋が熱くなる。
 呼吸が上手く出来なかったのか、涙をうっすら浮かべながらぼうっとしている。そのまま、力なくしなだれかかってきた。
 あんなに女にモテまくってたくせに、やっぱりなんの経験もないんだな、とホリは優越感に浸った。知らないのなら徐々に教えてこんでいけばいい。優秀なカシマのことだ、すぐ覚えるだろう、と、ろくでもないことを頭の端ではすでに考え始めている。逃がしてやらなくては、とつい先程まで散々悩んで考えていたはずなのに、とホリは自分自身に呆れた。
「……本っ当、ろくでもねぇ男に捕まりやがって。見る目ねぇのな、お前」
 ホリは本日何度目か分からないため息を吐きながらそうぼやいたのだが、カシマはそんなこと気にも留めない。能天気に、うっすら目には涙を浮かべ頬を紅潮させたまま、花の綻ぶような極上の笑顔を見せて、さらにホリにきつく抱きついてきたのだった。



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