1



 女という生き物は、少なからず相手の心情を考えながら話をする。
 それがまぁずいぶん下手くそな女が時たまいるのだ。


「ひどいよね、堀先輩。鹿島くんに、あんなことするんだもの」
 入りは、冗談めいて。笑い飛ばせる範囲の言い回しと口調で。
 しかし、鹿島がちょっとでもそれにうなずいてみせれば、すぐさま同意し同調してみせる。
 誰かを下げて、さりげなく自分を上げる。女ならではの好感度の上げ方だった。
 しかし彼女たちに、決して悪気があるわけではないのだ。
 程度はあるが、女の大半はそれらを自然にやってみせる。
 そういう駆け引きに長け、同調意識が強い生き物だ、と鹿島は思う。
 よくある少女漫画に出てくるようなテンプレートの悪女など、滅多にいない。女はもっと無意識に、狡猾なのだ。

「あの人は、私に特別期待してくれてるからね。それなのにお姫様たちの誘惑に負けてしまう、私が悪いんだよ」
 君たちの誘惑はそれほど魅惑的ってこともあるけれどね。

 さっぱりとした男らしい性格の鹿島だが、みんなの王子様として、長年そういう女に囲まれて生きてきたのだ。女社会の処世術などお手の物。
 そう困ったように微笑んで、耳元で甘く囁けば、大抵の女の子たちは堀ののことをあっという間に忘れてしまうことをしっかり鹿島は知っていた。
 堀が決して彼女たちの好感度の道具にならないよう、鹿島は上手い具合にかわしてみせる。

「でも、最低だよ。王子様だけど女の子の鹿島くんを思いっきり殴ってさぁ。暴力的で、怖いもん」
 ……しかし、たまにいるのだ。自分に浸って、浸りすぎて、相手が何を思うのか見えなくなる女が。
「昨日だって、ちょっと遅れただけで、鹿島くんのこと思いっきり蹴り飛ばして。ちょっとお話ししてただけなのに」
 ああそういえば、昨日は彼女とアイスを食べる約束をしていたはずだな、と朧げに鹿島は思い出した。
 例えば結月のように、自分の思ったままに口に出すようなタイプとは、また違った空気の読めなさである。結月はまだ、自分の欲望も、隠さず全て口にするから、清々しい人間なのだ。
 こちらは、己の欲望が隠せて、駆け引きが出来てる、と自分で思い込んでいるんだから、余計にタチが悪い。
「それも、部長の愛情表現のひとつだからね…」
 鹿島がいくらそう取り繕っても、聞く耳も持たなかった。周りの女の子たちもハラハラしながら見ているが、彼女は全く気付かず続ける。
「私なら、あんな怖い先輩嫌だなぁ。すぐ部活なんて辞めちゃう。鹿島くんは、嫌にならないの?」
 もっと鹿島と一緒にいられるから、という可愛らしくも憎らしい女の欲望が見て取れる。だが、しかし。
 彼女は今、部活なんか辞めちゃえばいいのに、と。
 言外に、そう言ったのだ。

「……私、実は、堀先輩の一番可愛い後輩なんだ。いいでしょ?」
 鹿島の口調と、声のトーンが変わる。
 王子様とは違う、砕けた言い回しと、いつもより高い声音。
 王子様を求める女の子たちに囲まれてる時には、一切見せない素の彼女だ。突然現れた、女の鹿島に、周りはざわめきを隠せない。
 そして。
「−−もちろん私も、堀先輩が、"一番"だから」
 これ以上は言わせないでね?
 そう言って鹿島は、氷のように微笑んでみせる。美形の冷たい笑顔は、それはそれは恐ろしいものだった。笑顔を向けられた本人のみならず、周りにいた女の子たち全員すくみ上がらせた。

 女云々に限らず何にだってそんなものあるはずなのだが。
 しかし普段から、こんなにも大っぴらにされている暗黙を、まさか平気で踏み抜く女がいるとは、と、取り巻きの女の子たちはこっそり呆れるばかりだった。




2



 男は、なかなか馬鹿な生き物なのだ。
 でも馬鹿は馬鹿なりに、超えてはいけないことがあることくらい分かっている。


「鹿島くんは、美人だよなぁ」
 鹿島は、学校一といっていいほど有名人だ。その見た目も、言動も、常に女の子をはべらせていることも、学年を超えて彼女は目を引く存在だった。
 そして一番彼女の側にいる堀がそこにいれば、やっぱり彼女の話題になる。
「イケメンだけど、美人か?」
 自然に親バカ見せながら、堀は首を傾げた。周りは答える。
「男顔だけど、一応分類的には美人だろ、女なんだし。スタイルもいいしなー。あれ、モデル体型?っていうやつ?超完璧じゃん」
 この辺までなら、堀もそういう考え方もあるか、と大真面目に納得していた。自慢の後輩に送られる手放しの賛辞に、堀は満足げに頷くだけである。

 だが、しかし。
「ーーしっかし、いつもあんな女ばっかに囲まれてて、ひょっとして男に興味ないのかな?絶対処女だね、ありゃ」
 17、18歳の男子高校生の頭の中なんて、性が八割を占めている。
 女の話になったら、当然下世話な方向に行くものだ。
 しかし、今は、目の前に堀がいる。堀の前で、彼女のその話、なんて。

 お、おい、と周りの制止の声も聞こえず、馬鹿な男は続ける。
「一回お相手して欲しいけどなー。胸ないし男っぽいけど、あの、足!細くてすげー綺麗だよな!あれだけでヌけるね」
「……おい、大概にしとけよ」
 ひやりとする、声で。堀は静かにそれだけ言った。
 沸点の低い堀の怒鳴り声はよく聞くが。底冷えするほど低い声は、それだけで恐ろしい。
 対して、彼は、へらへらと笑ったままだ。
 この状況で笑えるこの男の、なんと勇敢なことか。
「なんだよ。お前だって足フェチなんだから、いつもオカズにしてヌいてるんだろ?ーーいいよな、あいつサボり魔でさ。ぶん投げるために、堀ちゃん直で生足さわり放題じゃん」
 この辺が、限界だったのだろう。

 堀は、彼の胸ぐらを掴みかかった。
 周りも慌てて堀を止めようとするが、なにせ女とはいえ、自分より一回りもでかい人間を毎日軽々ぶん投げている堀だ。文化部なのに力強い。
 なんとか振り下ろされる前に拳は止められたが、胸倉を掴み上げたまま外れない。
 お前いい加減にしろよな!謝れ馬鹿!、と周りが堀を羽交い締めにしながら、男を諌める。
「いってーな!そんなに怒るなよ、いくら後輩だって言っても、別に彼女じゃねぇんだろ?」
 しかし、謝るどころか、胸倉をいきなり掴まれて癪に障ったのか、冗談だよ冗談!と言い返している。

「……そうか、冗談か」
 その言葉尻を拾って、堀は笑った。
 先日久々に舞台に立って演じた、ルドルフなんて目じゃないくらい、悪い顔で。
 笑みを向けられた男だけでなく、取り押さえていた周りの男たちまでゾッと背筋が凍る。

 そのまま、堀は掴んでいた胸ぐらを押し上げて、彼の喉を絞め上げた。
 絞められた男は、グッと声にならない声を上げて、バタバタと手足を滅茶苦茶に振り回す。
 シャレになんないから止めろ!と周りは叫んで、なんとか彼から堀を引っぺがす。
 ようやく解放された男は、咳き込みながら床にへたり込んだ。

 それを、堀は冷たく見下ろして言う。
「ーーまぁ、そんなくだらねぇ冗談で、殺されたくなかったら、下手なこと言わないでおけよな?」


 男は馬鹿だ。この年頃の男はみんな、頭じゃなくて、下半身でものごとを考えて生きてるようなものだ。
 それでもこの世には触れてはいけないことがあることくらい、周りの男たちの大半は了承している。




3



 堀先輩!と昼休みに堀を廊下で見つけた鹿島は、こちらへと一目散に駆け寄ってきた。…寄るだけに留まらず、思いっきり堀に飛び付いてきた。
 いつもの堀ならば、鹿島が懐に飛び込むのに合わせてカウンターを叩き込むところだ。
「ちょっと抱きついてもいいですか!?」
 しかし、拳も足蹴りもなんとか抑えられたのは、飛び付く前、鹿島が涙目だったのと、そう抱きついてから発した言葉も涙声混じりだったからだ。
「…抱きついてから言うなよ。どうかしたか?」
「色々と、イラっとしただけです!」
 それしか、涙の理由は話さなかった。くわしく話すつもりはないようだ。言うつもりがないなら何を聞いても無駄だ。堀はとにかく、この傷心の後輩を慰めたらいい。

 しかしなんでまた、何かに苛立つと堀に抱きつくのか、と堀は内心思うが。
 ちょうど、堀も同じく、虫の居所が悪かった。
 おぉ、好きにしろ、と大した抵抗もせず、ついでに大サービスで頭を撫でた。

 鹿島はぐりぐりと堀の肩に顎を押し当てながらゆっくり息を吐いた。
「あ〜…、先輩ちっちゃいから、癒されるな〜」
「……ぶん殴られたいのかお前」
 つくづく空気を壊す女である。
 それでも、抱き付いてから、鹿島の張りつめていた空気が少しずつ緩んでいくのが分かって、堀もほっと安堵する。
「個人的には、殴られるのも嬉しいんですけどね」
「なんだ、殴られたいって変態かよ」
 茶化そうとしたが、鹿島は甚く真剣に返してきた。
「先輩の特別の証拠ですから、そこは別に。まぁでも、色々とムカついたんで、しばらくいい子でいます」
 なんと答えていいか迷って、そうか、とだけ呟く。相変わらず突拍子がない、宇宙人で理解不能な後輩だった。
 まぁそうは言っても、堀もしばらく、意地でも鹿島の足を掴んでぶん投げたくなかったので、そう言い出してくれるのは、ありがたいことだ。
「じゃあ、しばらくは俺が迎えに行かなくても、自主的に部活に来るんだな?」
「ええ〜、そこはお迎えに来てくださいよ〜」
「…おいこら、それのどこがいい子なんだよ?」


 廊下のど真ん中ということも忘れて、二人は抱き締めあったまま、たわいない話を続けた。
 その光景に、周りの生徒たちはギョッと目を剥く。
 が、すぐに、ああいつものことか。と、遠目に眺めているだけだった。

 浪漫学校には、とある暗黙の了解がある。



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