雨の中で、ぼすり、と腹部にぶつかってきたものを、思わず抱き留めた。たたらを踏んだのは、まだ少女とも言えそうな、幼さを残す女性。腕に、何か黒いものを抱えていた。視線に気づいたのか、雨音にまぎれそうな小さな声がした。

「……ひかれたの」

だから、お医者さんへ、と彼女は言ったけれど、ぐったりとした猫の様子は、もう手遅れ――、スキャンをかければ、折れた肋骨が肺に刺さり、心臓を圧迫して、……助かりはしない。
そのまま、立ち去ればよかったのに、なぜだか、それはできなかった。

『――私は、軍医だ』
「え」
『専門は違うが、もう、この子は助からない。君も、わかっているね』

まるで、慰めるような言葉は、実に自分らしくないそれだった。きっと、それほどに、彼女が憐れに見えたのだろう。
ヒトに裏切られ、仲間とも別れて、一人で落延びている自分以上に――たかだか野良猫のために、雨に打たれて、震えている彼女に、同情した。



路地の、なんとか雨だけはしのげる場所で、人間らしさを装うために、持っている鞄から、麻酔を取り出して、猫に注射した。彼女――ナマエの膝の上で、猫は、緩慢に呼吸を繰り返している。やがて、死の天使の羽に撫でられて、猫は、息を引き取った。
ちゃり、という音に、ナマエが首にかけていたクロスを握ったことに気付く。猫の毛並みを揃えるように、ゆっくりと冷えていく体を撫でるナマエ。
静かに、彼女は死を悼んでいた。……なぜだか、彼女に、今は別れたままの、司令官の言葉が、ブレインをよぎる。

――――ヒトは弱い。けれど、時として、我々以上に強い。

ラチェットと経験したもの、集団の暴力。自分も何度か体験したが、ただただ――恐ろしい、気同胞をなじる言葉、躊躇なく発砲される弾丸、すべてに、狂気を感じたのだ。
ナマエは、猫の亡骸を、なるべく人目につかないところに、そっと横たえた。カラスや、他の動物の糧になる。それが自然だから――、と。
ナマエの瞳は、顔は、鼓動は、不思議なほどに凪いでいた。オプティマスの言葉が、違う意味を持って、何度もリフレインする。

「ありがとう、先生」
『ああ……』

去り際に、ナマエは十字を切って、エイメンと呟いた。キリスト教徒の、祈りの文句だという、知識はあったけれど、ナマエの言葉には、力さえ、あるような気がした。人間は敵ばかりだと、じりついていたスパークが凪ぐ。
どういう意図で、ナマエが言ったのかはわからない、けれど、彼女の幸せを、願って、ラチェットも、ぎこちなく口にしてみた。もちろん、何かが起きるわけではない。ただ、肩が軽くなったような、気が、した。



Is there God?