遅くなってしまったと――、小走りで道を渡る。
ふと、歩道の先に、街灯で明るく切り取られた人影を見つけて、少しだけ、足を止めた。近づくにつれて、随分と背が高く、また、いいガタイをしていることがわかる。
通り過ぎざまに、ふらり、とその人が傾いだのに、手を伸ばしたのは、無意識だった。容赦なくかかった重みに、よろめきながら、何とか踏ん張って支える。

「っ、ねえ、」

鼻をくすぐるのは、古びた機械油の匂い。浮浪者かとも思ったけれど、今日は特別だから、目をつむったまま、青白い顔をした男の脇に入り込むように、腕を、肩に回した。



「とりあえず……、何か食べるものが必要ね」

誰に言うでもなく、ひとりごちて、ソファに埋まって、いまだ目を閉じている男を見やる。空腹で動けない、らしい。家まで連れていく途中で、男の腹が、おおよそ人が奏でるにふさわしくない大きな音で、空腹を訴えていた。ふう、と息をついて、髪を結んで、キッチンに立った。

三十分後、男の前には積み重なった皿、皿、皿。

「お粗末様でした」
『…………いや、とても美味しかった』

――喋れたのか、と、片眉を跳ねさせてから、名を名乗る。彼が口ごもったのに、苦笑して、手を振る。

「別に、名乗りづらいならいいわ。そうね――、ダニエル、とでも呼ぶわ」
『ダニエル?』
「そう、毎日一緒に寝てる、ぬいぐるみの名前よ。ちなみに、あなたの隣にいるわよ」

指したのは、くったりとしたクマ。微妙な顔で、ダニエルを見つめる彼に、くすり、と笑った。




「――服、置いとくわね」

一応、声をかければ、バスルームのドアを隔てて、返事があった。

その恰好、似合わないわねと、言い出したのは、こっちだった。トレーナーに、だぼついたズボン。どうしたって、ダニエルの雰囲気にはあわなくて、ちぐはぐな印象を受けていた。短い髪をオールバックにしているせいで、一筋二筋、額にかかっている。目じりに刻まれるのは、時と苦労を感じさせる皺。責任感と上に立つ人間特有の、固い雰囲気をまとう彼に、あの服装は、むしろ人目を引いてしまうだろうから。父の服を出しておいた。

『……これは』
「父の服よ。あげるわ。気にしないで、捨てられなかっただけだし」
『父君は……』

いかにもな口調に、少し吹き出しながら、リビングの棚に置いた写真を指す。

「4年、もうすぐ5年かしら、亡くなったの。――シカゴでね」

暗い部屋の中で、彼の顔が強張ったことを、見て見ぬふりをして、続ける。
今日は、父の命日。母は、ミッションシティで亡くなったが、父は、オートボットに命を救われた。シカゴにいたのは偶然。
――オートボットは人類の味方、父はいつもそう言い聞かせた。青い瞳は善の証だと。

「だからかもね」
『…………』
「今日は父の命日で、あなたは青い瞳をしているし。映画みたいな偶然に、のっかってもいいかなって。特別な日だもの。おやすみ、――''ダニエル''」

ベッドは一つしかないから、ソファで寝てね、と、立ち上がる。私も、シャワーを浴びて、そして寝てしまおう。
布団に潜り込んでしばらく経ったとき、静かに忍び寄る足音。さらり、と大きくてあたたかい手が、頭を撫でた。まるで、お父さんのようだ。

『ありがとう、ナマエ。いい夢を』

手の甲越しの、キスなんて、なんとも彼らしい。父の命の恩人――、さようなら、オプティマス・プライム。どうか、無事で。



ワンナイト