シカゴでの戦いを経て、我らがディセプティコンと、オートボットたちは、和解の方向へとまとまりを見せていた。――一応は。

『プラァァァァァァァァイム!!!』
『メガトロン!!!!!!』
『『勝負(訓練)だ!!』』

基地中に響きわたる叫び声と共に、金属同士が、ぶつかり、擦れ、削れる音が、聴覚回路をハウリングするのを、ラヴィッジを連れて倉庫内に入ることで、避ける。そこには、オートボット、ディセプティコン、それに、その間をちょこまかと動き回る人間たち。
――――母星には存在しなかった有機物に囲まれる、平穏な生活、といえるのだろう。傍らのラヴィッジを撫でれば、嬉しそうに、ぎゅるぎゅると唸った。



ラヴィッジはスコルノポックや、マッドフラップ、スキッズ、そしてリペアを経て随分とサイズダウンしたドリラーと共に遊びに行った。
サウンドウェーブは、人目がないのを確認して、するするとケーブルを伸ばした。――なに、少しばかり回線に混ぜてもらうだけだ。例えるなら、人間がラジオを聞くようなもの――。見つかれば、ただ事ではすまないが。
どの国も、軍の無線はあまり面白味がない。ニュースも、今日は真新しい情報は伝えていない。ラジオ宣教師の説教も全くもって理解ができない。コーランもしかり、だ。
回線は、個人向けの物になる。
夫婦間の意味のない甘い囁きとこれはレノックスとかいう人間の物のようだ。愛、というものは、金属生命体である彼らにとっては、難解なものだ。親が子を案じる。これも愛だ、とレノックスの部下……エプスが語っていた。小僧――サムが犬を愛でるのも、愛だとか。……やはり、わからない。

『"……え、今日……無理…の………束……たのに"』

ふと、何となく引っかかる周波数を感知して、よりきちんと"聴こう"と、その個人用通話小型機の回線に、とどまる。ノイズが晴れて、クリアに聞こえるようになったそれは、女と、その恋人である男との会話だ。

『"急に仕事が入ってな。悪い、一人で楽しんでこいよ。愛してるよ"』
『"ケイ………ッ"』

なんて空虚な響きなのだろう。愛してる。数音の響きに、人間は一喜一憂する。しかし、男の発したそれは、本当に空っぽに感じられた。
女の微かな呼吸音。そして、諦めたようなため息。女のほうも通話を切ったようだ。
ただの――好奇心だ。検索をかければ、すぐに、女と男の身元が知れる。
女の名は――、"ナマエ"。"ナマエ"・"ミョウジ"。成人している。男とは大学からのつきあいだ。男――ケイスはエリート街道まっしぐら、金融関係の仕事につき、ナマエは、高校の非常勤講師。
また、ナマエの携帯から誰かへ――、ナマエとケイスの、共通の友人へと発信があった。

『"ハイ、あー、ごめん。その、ケイスが、"』

友人がケイスへの悪態を吐いた。どうせほかの女のところだ、と怒る友人を宥めて、苦笑するナマエ。食事には行けない、そう話をつけて電話を切る。
確かに、ケイスの携帯のGPSを探知すれば、勤めている会社ではなく、彼の上司宅へと向かった。その家の防犯カメラに侵入すれば、上司の娘と思しき派手な女に熱いハグをされる姿を見つける。



「おい、サウンドウェーブ!」

ケーブルを引っ込めて、足下を見下ろせば、腰に手をあてて立つレノックスの姿が。しまった、とは思っていないが、ふと思いついた言葉を、機密がどうの、上がうるさい、だの喚く人間に投げかけた。

『……愛していない女に、愛してると言えるか?』
「はあ?俺がサラ以外に愛してる、だなんて言うわけないだろう。あ、もちろんアナベルは別だぞ?俺のお姫様方は世界一、いや宇宙一かわいいからな。今日もアナベ……あー」

顔を、形容するのならそう、でろりと緩ませたレノックスは、睥睨するサウンドウェーブに気づいたのか、こほん、と咳払いして、訝しげに見上げてくる。

「ま、俺は無理だが、世の中にはそういう最低な野郎もいるだろ」

肩を竦めての言葉に、いろいろな思考が頭をよぎる。浮気、二股、嘘、恋人、セックスフレンド、不倫――検索をかけても、相当数の情報がヒットし、表示される。

『……人間というのは、』

まったく、わからない。



ふと、メモリーに、数日前の短い通話録が残っていたのに気づき、消去しかけたものの、意味も見いだせないまま、ケーブルを伸ばしていた。マークしていたせいか、すぐに同じ携帯にたどり着く。携帯の画像フォルダへと侵入すれば、風景の画像が圧倒的に多く、次いで仕事関連のスクリーンショット、……保護されているフォルダへも、若干ためらいつつも侵入した。
数は少ない、が。夜景をバックに写るツーショット。同じ日付で、年だけが変わる、今度はどこかへ旅行した写真だろうか、高級車をバックに二人で撮った写真。どちらかの誕生日か、また別の記念日か。
何枚かコピーをとったのは何故だろうか。
接続を切り、メモリーから呼び起こして、じっくりと眺める。二人とも本当に幸せそうに笑っている。ナマエの笑顔は、監視カメラで見た上司の娘の化粧で造られたそれよりも、余程サウンドウェーブの何かに訴えてくる容姿をしていた。
確かに、染められたことのないであろう髪だったり、薄い化粧だったり、地味、と言われる部類に入るが、その幸せそうな表情が、彼女を彩っている。ケイスもケイスで、整った容貌に女がため息をつくような笑顔を浮かべて写っている。
そのくせ、まるで宇宙の深淵にたゆたう虚無を詰め込んだ"愛してる"を、囁くのだ。サウンドウェーブの複雑な思考を詰め込んだ排気音が、ディセプティコンの各々がやっと慣れた習慣、睡眠つまりはスリープモードに入っている倉庫に響いた。
ふと、二人の背後に写る車のエンブレムを、視認した。そして、外出許可を得るための煩雑な規則を思い起こすサウンドウェーブがいた。



『(まったく……何をしているんだ、俺は)』

ケイスの所有するベンツ。その同型種を、擬態していたことがあった。多少のカラーリングの差は、再スキャンすれば問題ない。
高級車が所狭しと並ぶ車庫内で、元のベンツを滅多に人の目が届かない奥へと移動させて、代わりにその場所に鎮座した。オートマチックのシャッターが開いて、朝日が射し込んだ。――今日は、ケイスとナマエの、人間で言うところの、デートの日だ。

『(わざわざ調べてまで……スキャンまでして……)』

ため息のように排気して、サウンドウェーブは、今すぐケイスを車内から放り出したい気分を押し殺していた。運転技術は、正直に言って下手だ。というか胸くそ悪い。ステアリングも雑、エンジンをやたら吹かす、ごてごてとした指輪やら腕時計がハンドルに細かな傷をつける、まったく――腹立たしい。
ナマエが何かと話題を提供するが、生返事ばかりだ。

「……ケイス、聞いてる?」
「ん、ああ、……何て?」

この始末だ。
段々と、ナマエの体温が冷えていくのがわかった。次第には黙り込んでしまい、居心地の悪い沈黙が車内に落ちた。それにようやく気づいたのか、ケイスはうんざりしたようにため息をついた。
それに、びくりと身体を震わせ、ぎゅ、とシートベルトを握ったナマエ。その、弱々しい握力に、サウンドウェーブのスパークが、ばちり、と弾ける。

「ごめん。私の話、つまらない?」

震えた声に、返ってくるのは、肯定を表す沈黙。ケイスは、がしがしと頭を掻いて、車を路肩へ止めた。

「――そういうとこだよ」
「え……」
「そういうふうに気を遣ってくるのがうざったいって言ってんだよ。俺の周りにはいないタイプだったから、最初はそこがかわいかったけど……今は無理。……悪いけど、――降りるくれるか?」

ナマエに突き刺さる、言葉の刃。そして、死亡宣告にも等しい、最後の、言葉。理解するのに数秒。
苛立ちを隠そうともしないケイスに唇を噛みながら、ナマエは、震える手でシートベルトをはずそうとする。しかし、どれだけ押し込んでも外れることはない。

「何やってるんだよ。貸せ」
「ごめ……」

悲しみをその瞳に浮かべて、大げさなほどにケイスから距離をとって扉に身を寄せる。ケイスも、頑ななほどに外れないシートベルトに痺れをきらして、自らのシートベルト(こちらはあっさり外れた、むしろ自ら外れたようにも見える)を外した。
その瞬間、運転席の座席が、不穏な音を立てて大きく揺れる。

「なんだ……?」

戸惑いと、ほんの少しの恐怖を、ケイスの声色に感じて、久々に、サウンドウェーブの中の、下等生物に対する優越感と、嗜虐心、支配欲が鎌首をもたげた。
もう一度、大きく座席を揺らして、ケイスの自慢であろう顔をハンドルにぶつけた。ついで、ドアを開けはなって彼を放り出す。

「っ、気をつけろ!!」

自転車が、車から転がり落ちてきたケイスとぶつかりかけて、慌ててバランスを直して、がなりながら走り去る。そしてドアを鼻先で閉めてやれば、呆然と、しかし明確な恐怖を浮かべて、ケイスは愛車だったモノを見つめた。
ふん、と満足げに排気するて、ケイスはというと、よろめきつつも立ち上がって、どこかへと電話しながら通りの角を曲がっていった。

『……、…………』

そこで、は、として、車内にいるナマエへとセンサーを向けた。呆然と、目の前で起きた出来事に、瞳を見開いている。しまった、と思うものの、すぐ傍を追い抜いていく車のヘッドライトに照らされて、目尻からこぼれた雫の跡が、視覚でき、思わずケーブルを伸ばしていた。触れる寸前、ひっこめかけたものの、そっと、その分泌液を拭う。

「え……」

驚いて身を退こうとしたものの、車内は狭い。
以前、小僧の……サムの恋人を車内に閉じこめたときは、恐怖を与えるためにケーブルを出したが、今は違う。だが、それをうまく伝える方法を、サウンドウェーブは知らなかった。だから、そっと、安心させるようにケーブルで彼女の頭の輪郭をなぞる……これは、撫でている、つもりだ。

『(っ、さらに、泣いた……?)』

本格的にぽろぽろと泣き始めた彼女の分泌液、涙を拭くために、ケーブルの数を増やす。しかし、すべてを拭ききるのは無理だ。
ブレインサーキットがショートしそうなくらい、熱を立てて稼働する。どうしたら泣きやむのかがわからない。敬愛するメガトロンが海溝に沈められたときも感じなかった、途方に暮れる、という感覚に戸惑う。
おろおろと蠢くケーブルのうちの一本で、彼女の手元のバッグから布切れを探り当てて、それを差し出せば、涙を流すまま呆然としていた彼女の瞳が焦点を結んだ。
そして、ほんの少し笑ったのだ。

「これ……夢じゃないわよね。……ありがとう」

ハンカチを差し出してくれた"誰か"に向かって、律儀に礼を言って、自分で涙を拭うナマエ。そして、ほんの少し鼻声で、ぼそりとつぶやいたのだ。

「最近のベンツは、すごいナビ機能がついるのね……。いや、人工知能……?」
『!?ちが……っ』

まんまるに目を見開いた彼女に、またしても失態に気づく。

「喋れるんだ」

ある種の感動を含んだ声に、大きく排気した。要はため息だ。

『俺はナビじゃないし、人工知能でもない。というか、車、ではない」
「?、…ん?」
『……はあ、説明を聞きたいなら、運転席に移れ。……そう、いやハンドルに手を添えていろ』

おっかなびっくり運転席に移った彼女の柔らかな重みを感じて、ケイスの乱暴なそれとは違い、滑らかに発進するベンツ。通りをゆく人たちで一連の光景に気づいた人は、誰もいない。



街を見下ろすようにある小高い丘。少し開けた場所で、サウンドウェーブは、細心の注意を払ってゆっくりと停車した。開け放たれたドア。それから、自発的に外れたシートベルトに、またも驚きながら、ナマエはバッグを手に降りる。

『……少し離れてくれ』

ほんの少し迷いを含んでいるような、歯切れの悪い声に、ナマエはおとなしく距離を取った。
目の前で、滑らかに姿を変えていく"何か"。胸元にベンツのエンブレムがあるのが、唯一の面影だ。
両手で口を覆って、ひたすらに見つめてくるナマエに、サウンドウェーブは、今更ながら後悔に襲われていた。
恐れられるに決まっているのに、と。

「ディセプティコン……」

呆然と紡がれた小さな声に、サウンドウェーブのスパークが、ばちりばちり、と音を立てる。
シカゴの惨劇以後、どの時間にテレビをつけても、どこかの局が必ず、宇宙からの招かれざる客――、金属生命体についての特集を流していた。ネットをあまりしないナマエでさえ、その存在について知るほどに……。
車から変形する大きなロボット。そしてそのカメラアイは赤く、夜の闇に浮かあがっている。それだけが揃えば、判断材料には事足りる。
だが、ナマエは、悲鳴を上げるでもなく、バッグを放り出して逃げ出すでもなく、ただ"彼"を見つめていた。

確かに、人類に敵対する存在であった、のだから、逃げ出すべきなのかもしれない。
しかし、ナマエは、そっと手を伸ばして、目の前の大きな金属の脚に触れてみた。当たり前のことだが、冷たい。上からするすると伸びてきた触手がナマエの頬を撫でる。
すると、ナマエは笑みさえ浮かべるではないか。

『っ、何故笑えるんだ。俺は、貴様を殺すかも、しれない』
「……だって、」

触手をきゅっと握って、ナマエはくすくすと笑った。
戸惑いを含んだ声。かしゃかしゃと忙しなく動くカメラアイ。そこかしこで硬い装甲が、細かに擦れあって音を立てている。ものすごく、焦っている……というか、どうしたらいいか、わからなくて、動揺している。ナマエには、そんなふうに見えた。
……何より自分の腕に絡んでくる触手の動きは、車内で戸惑いながらも涙を拭ってくれたケーブルとまったく同じじゃないか。だから、怖くなかったのだ。

「私はナマエ・ミョウジ。……貴方と話そうとすると首が痛いわね。しゃがんでもらえないかな?」

返事の代わりに、伸びてきた大きな手のひらが、ナマエを乗せてそっと浮き上がった。これでやっと目線が合う。それが嬉しくてナマエはますます笑みを深める。

「ありがとう。それじゃあ、貴方の名前を、教えてくれる?」



ケイスのそれとは、比べものにならないくらい、"彼"は運転が上手だ。最初の頃は、それこそ慎重すぎるほど安全運転をしてくれていたけれど、今ではフリーウェイなどでは、法定速度ぎりぎりの、華麗なドライビングテクニックを披露してくれる。

「ねえ、サウンドウェーブ、今日はどこまで連れてってくれるの?」

窓から吹き込む風に目を細めながら、車内に投影されたホログラムに問いかければ、寡黙そうな、ケイスなんか目じゃないくらいそれこそ造形めいて整った面立ちの男性が、ほんの少し唇の端をつり上げた。

『行けるところまで』
「ふふ、いいね。……あ、」

自分好みの周波数――、柔らかい笑い声が聴覚回路をくすぐるのに、目を細めたサウンドウェーブだが、ナマエの漏らした声に、すぐさま反応してそちらを向いた。彼女の視線の先……後方には、なんとも奇抜な集団が。
カマロ、ソルスティス、フェラーリ……etc……etc。意気揚々と飛ばしてくるオートボット共には舌打ちしたい気分になりつつ、そのさらに後方を視認してぎょっとした。
ロングハウルにシボレー・サバーバン、パトカー仕様のサリーンS28……etc……。その後ろに軍用のMHー53ペイブロウにFー22ラプターが悠々と空を舞っているではないか。
スピーカーが送られてくる無線で一気に騒がしくなるのを、ばつん、と切った。

『ナマエ、しっかり掴まっていろ』
「了解」

笑った彼女の身を守るシートベルトを、ほんの少し強くして、エンジンを吹かせた。


民間人に姿を見せたことに対する叱責も、そのアパートに出入りするための煩雑な手続きも、気にならないくらい彼女の傍にいたい、と思った。
これが愛なのかどうか……わからないし、わからなくていい。
――悪い気分では、ないのだから。それで、いい。



愛とは、