センサーが幾重にも張り巡らされた、フェンスの前に立つ女性。彼女は、ナマエ。女だてらに、レノックスの隊で生き抜いてきた、強い士官だ。今も、毅然と顔を上げて、フェンスの内側に視線を注いでいた。
スパークを失い、ボディの輝きすら鈍くなったような、無残に千切れたボディが、そこに横たえられていた。


覚悟を決めて辞めて仕舞えば、待ち受けるのは退役軍人省でカウンセラーをつとめる、静かな日々。
ハーレムの端にあるアパートに帰り着くのは、いつも遅い。元軍人とはいえ、やはり不安はあるので、急ぎ足になる。
エンジン音が角を曲がってくるのに、油断のない瞳を向けてしまい、そして自嘲する。今はもう遠ざかった記憶が、亡霊のようにまとわりつく。
しかし、斜向いの、アパートへと、道路に踏み出してすぐに、異変に気付いた。凶暴なほどにエンジンを唸らせて、先ほどの車が突っ込んできたのだ。
こんな日に限って、タイトスカートを履いているなんて、と悪態を吐きながら、ゴミ箱の陰に飛び込めば、衝突の衝撃が背骨を伝わって、息がつまった。

1...2...3...落ち着くために、数を数えるが、追撃はないし、それどころか、降りてくる気配は、ない。いや、人の気配そのものが――、

「っ」

唐突に、金属の組み変わり、擦れ、細かにぶつかる音の連なりが路地に響いた。記憶に埋められていたそれが、鮮やかさを持って襲いかかってくる。
緊張が、再びみなぎった。――どちらだ、敵か、味方か。

『――ナマエ』
「………………え、」

深い眠りから覚めたばかりのような、いつもの快活さに欠ける声。だけれど、忘れるはずもない。

「ジャ、ズ……?」
『ああ。……出てきてくれないか』

さっきは、悪い、と歯切れ悪く紡がれた謝罪に、恐る恐る、顔を覗かせた。
ぼんやりと街灯に揺らめく銀のボディ、その腹部には、確かにジャズだと信じざるをえない、接合痕があった。
場所を変えよう、と言う提案に、ただ頷いた。



「……ねえ、ちゃんとわたしの目を見て」

人気のない郊外のパークで、車から立ち上がったジャズに、ナマエは目を逸らさぬように言う。
違和感は最初からあった。まだ回路がうまく動いてない、と嘆息したジャズは、現れてから一度も、ナマエと目を合わせようとしていない。

『――逃げるなよ』

どこか投げやりな調子でいったジャズは、地面に膝をつき、ナマエの後ろに壁のように手をま 回した。頭部をぐっと下げ、そして、バイザーに触れる。――かしゃん、
ナマエは言葉を失う。
最初は青、しかし、弱々しく明滅したアイカメラは、そのまま赤へと、色を転じた。

『逃げるな、って言ったろ?』

苦笑混じりの言葉、とん、と背中が、ジャズの手に当たって、自分が無意識に後退していたことを知る。

「ごめ、……そんな、つもりは。――だって、ジャズは……」
『同じ赤い目をした奴らに殺された、って?ああ、そうだよ。俺は、保管とは名ばかりで、廃棄場所に捨てられてた。だが、ディセプティコンの奴らは、俺をそこから運び出して、生命を与えた挙句、こうやって命じてきた、仲間を裏切れ、って』

ぐ、と握りつぶされそうな圧迫がかかって、ナマエは悲鳴をあげる。ジャズはそのまま、乱暴に変形して、ナマエを自身の内部に閉じ込めた。ドアロックに手を伸ばせば、シートベルトがきつく戒めてくる。

『なあ、ナマエ。あんたは、あの時、時計塔付近を飛んでたヘリを移動させた。今も悔やんでるんだろ?判断ミスで、俺を殺した、って。毎晩、夢の中で、メガトロンに俺が殺されるシーンを繰り返してる。違うか?』
「違う、違うやめて!!」

耳を塞ぐナマエの瞳には、うっすらと涙が。
図星か、と笑い、ジャズは、全てを吐き出す。リミッターは、どこかで壊れていた。

『スパークが体にみなぎった瞬間、俺のメモリーを埋めちまったのは、あんたの顔だよ』

『ここまで来るために、奴らの出す条件を呑んだ。俺のコアに爆弾が埋められてる。あいつらがスイッチ押せばすぐに吹っ飛んじまう。……だけど、仲間だった奴らに、恥知らずだなんだって、罵られても、あんたに会いたかった』

『俺は、俺のままだ。なのに、赤い目をしてるってだけで、俺を否定するのか…?』

なあ、ナマエ、と何度目かの呼びかけには、哀れなほどの懇願がある。

『俺、あんたの側にいたいよ。あんたら人間は命が短い。だから、爆弾抱えてるぐらいがちょうどいいんだ。ナマエだって罪悪感抱えてて、おあいこだろ。責任、取ってくれよ。俺、もうナマエと離れたくない』

車内に訪れる沈黙に、ひくり、と、ようやく息を吸えたような気がした。叩きつけられる感情の波に、ナマエは、浚われたのだ。手を伸ばして、ハンドルを握りしめる。額をつければ、涙が溢れた。どこか蟠る不安も全部流れてしまえばいいのに、と思いながら、震える唇で、キスをした。


ナマエは嘘を見抜いてる。
彼女への思いは、本物。だが本当は、ジャズはディセプティコンとして目覚めて、ひどく安心した。彼女へのどろつくような思慕に、良心の呵責を感じる必要もない。
不安そうに路地をいく後ろ姿を見て、アクセルを踏み込んだのは、紛れも無いジャズの意思だった。――愛してる、自分のものにならないくらいなら、いっそ。

ああ、そんなに泣くなって。
はらはらと涙をこぼすナマエを見てると、ここで爆弾のスイッチを入れたくなっちまう。

カチッ、なんてな。



愛と呼ぶには、あまりにも