※主人公は、トニーの姉か妹。再生クレードル開発者のひとり。



「ヴィジョン、」

閑散としてしまった本部の一室で、戸口に寄りかかり、ナマエは、部屋の主に声をかけた。
部屋の中央に立ったまま、彼は、壁を見つめていた。正確に言えば、壁に掛けられたままの、アベンジャーズ分裂以前に着ていた、シャツにスラックス、グレーのセーター、というシンプル極まりない上下を。

「……もう着ないの?」

洗濯やアイロンまで、自分でこなすほど、気に入っていたのに。ヴィジョンは沈黙に沈んだまま、人ならざる瞳を、壁からナマエへと向けた。
彼は、本部に戻ってきてから、ほぼ自室に閉じこもったままで。見かねたローディが苦笑気味に、ナマエに伝言を頼んでいた。

「リハビリ手伝ってくれって、トニーは、忙しいから」
『……彼はお人好しだ』
「そうね」

ローディが、自分を責めたくて、手伝いを頼んでいるわけではないことは、ヴィジョンだって、理解していた。それで、少しでも彼の、抱えているものを減らそうとしていることも。
彫像のように動かないヴィジョンに、ふう、と息をついて、ナマエは足取り軽くソファに腰掛けた。そして、ぽん、と隣を叩く。

『私はいい。疲労は感じない』
「私は感じるの。見下ろされるのは好きじゃないわ」

トニーにそっくりな物言いに、沈黙したヴィジョン。しかし、ため息にも似たものを吐き出して、革張りのクッションに腰を落ち着けた。

「"Initium est salutis notitia pecati."」
『……ラテン語、セネカの言葉だ』
「ええ」

"罪の意識は、救いの始めである。"

「罪悪感を感じるなんて、だいぶ情緒が発達したのね。嬉しいわ」

息子の成長を喜ぶ母のように、目を細めるナマエ。ヴィジョンは何度も言っているのに、自分は、ジャーヴィスではないと。
ヴィジョンの、そんなかすかな引っかかりを察して、ナマエも、何度も口にしている言葉を紡ぐ。

「あなたは、トニーのジャーヴィスと、私の再生クレードルを元にして生まれたんだもの。息子みたいなものよ」

ヴィジョンに春がきた――、と、ワンダのことをも、散々にからかわれた記憶が、まだ新しい。
ヴィジョンにとって、ワンダは、同じものから生まれた力を持つ、大切な同胞であるだけなのに。
ナマエの頭が、ヴィジョンの肩に凭れかかる。もう一度、先ほどの言葉を呟いて、ナマエは、壁を見つめる。
何もない――、いや、壁ではなく、ナマエの瞳に映るのは、今は砕け散った、チームの姿か。

「ウィンター・ソルジャー――バーンズ軍曹にも、救いがはじまればいいのにね」

今の、トニーには内緒ね、と、ナマエは、人差し指を口に当てて笑う。そして、来た時と同様に、身軽く立ち上がって、もう一度、ローディのところへ行くように、と言って、去っていった。
なんだか急に寒くなった気がする肩を、そ、と手で覆う。
先ほどまで思考を占めていたのは、アベンジャーズとそれを取り巻く一連の状況であったのに、今はナマエのことばかり。これは、おそらく。
エディプス・コンプレックス――、母に近しい人物へ感じる愛情、それに抱く罪の意識にも、救いはあるのだろうか。



思考の海に沈みゆく