ーー夜半。かたり、と小さく物音がしたのに、ナマエは、丸めていた背を伸ばして、パソコンをスリープにして閉じる。
いつも、帰ってきたなら、まず一番に会いに来て欲しいと言っているのだけど。そう、苦笑して。
まるで任務中のように、気配を殺してキッチンに立つ愛しい人に、低く笑いを漏らせば、勢いよく振り向いた。
「おかえり」
「――ただいま」
ふんわりと表情を緩ませたナターシャを抱きしめれば、ナマエの背中に回った手が、きゅ、と布地をつかんだ。
「起きててくれたのね」
「もちろんだよ。君のことを、待っていたかったんだ」
「ありがと」
S.H.I.E.L.D.解体後、情報公開の陣頭に立ったナターシャは、こうして夜中にひっそりと訪れる。名前もアドレスも表示されないメールが、彼女がやってくる合図だ。
普通の恋人のように、明るい街を、腕を組んで歩くことはできない。
それもすべて、ナマエに迷惑をかけたくないがためと言うのだから、愛しさがつのるばかりだ。
「座っておいで。ココアでもつくろう」
頬をそ、と撫でれば、小さくうなずいてソファへと向かう。蓄音機をいじって、小さな音で、シャンソンを流した。
「ナマエがつくると、何でこんなに美味しいのかしら」
一口飲むなり、口元を綻ばせたナターシャの言葉に、くすりと笑う。
「君が元気になるように、おまじないをしてるからね」
ためらいのような、ほんの少しの間のあとに、彼女の頭が、肩により掛かってくる。それを合図のように、ナマエも、彼女の肩に腕を回して抱き寄せた。甘えるのが不得手な、ナターシャの精一杯の自己表現。
――――どうしたの、とナマエは聞かない。
普段属している世界が、あまりにも違うから。
見るもの、聞くもの、感じるもの、すべてが異なる。
真夜中の"今"だけが、共有できる、――唯一の、もの。
彼女を抱きしめたまま、ソファに転がる。狭いね、と笑いあって、ナターシャの額に、ナマエは、キスを落とした。
「私は、君を守るなんて陳腐な言葉、口がさけても言えないよ。君はとても強い。肉体だけじゃない、精神的にも、とてもね。何より、君の魅力に、私は会うたびに、毎回恋に落ちている」
くすくすと笑うナターシャに、ナマエは本当だぞ?と、わざとらしく凄んで……、しかしすぐに、まじめな顔つきに戻る。
「そして、もちろん――、心配も、してる」
そ、と彼女の古傷を、布越しに、撫でた。
「愛してる。だから、君の中に、私をいさせてほしい。私のすべてはナターシャのものだ。ナターシャの帰るべき場所の中に、"私のそば"を、付け加えておいて」
「――――わがままね」
「ん……」
ふすり、と呆れたような笑いが、胸元から聞こえて、伸びてきた手に、顔を引き寄せられる。舌を絡めて、ほんの少しだけ、満たされる。
本当に一つに、――なってしまえたらいいのに。
「ねえ、ナマエ」
「う、ん?」
ふうふう、とナマエが、荒くなった息を整えていれば、その頭を撫でていたナターシャは、とっておきの、"蜘蛛の一咬み"をくれた。
「とっくの昔に、ナマエは、私のここにいるわ」
とん、と自身の胸元を指さして、魅惑的に笑った彼女には、やっぱり、かなわない。
唇を奪われて、甘い甘い毒が、回る。
真夜中に重なる世界