※主人公はある人の妹


「待て!ナマエ!!」

目敏いフューリーに舌打ちを落としつつ、追ってくる医療班の腕をかいくぐって、ヘリキャリアの艦橋――、その、さらに上、アンテナやレーダーがごちゃごちゃあるが、足場さえあれば、事足りる。
晴れて、視界は良好。多少の煙はあれど、この距離からジェット機サイズの的なんて、目を瞑っていても当てられる。
腕の動きを固定していた器具を乱雑にはずし、展開した特製弓に、矢をつがえて、思い切り引き絞る。
見えすぎる瞳――それがもたらす視界に、自分と、ターゲットだけが浮き上がるように、際だつ。この瞬間、ほんのひととき、世界のすべてがスローモーションになるようなこの感覚が、神経を高揚させる。ひゅん、と気持ちのいい音がして、黒い軌跡が、空飛ぶソコヴィアへ向かっていく。


いったい何が起こったというのか。目の前には、ずっといけ好かなかったおっさんと、おっさんがしっかり抱きしめて自分を盾にしてでも、守ろうとした子供。

ピエトロが自分の体を見下ろせば、かすり傷1つない。――3人からほんの十数センチ離れただけの地面や車に、銃痕が大量に残っており、あれが自分の体に起きていたかと思うと、今更ぞっとする。呆然とするクリントの視線をたどって振り向けば、ウルトロンの乗ったジェットが、側部に突然起きた爆発によって、バランスを崩していた。そのせいで、射線がずれたのだとわかる。
いったい誰が、どうして。
機体を安定させながら、飛び去っていくジェットを見つめる。クリントが、その瞬間を見ていたなら、エンジン部を狙った一本の矢をとらえていただろう。こんな芸当ができるのは、自分を除けば、一人しかいない。眉間に深いしわを寄せて、ため息をついた。


ち、と、舌打ちが、頬を切る風に溶けていく。

「――意外と、硬いな」

エンジン部の装甲を破るには、矢の爆発程度では無理だったようだ。よろめきながら飛び去るジェットを見つめて、ナマエは、誰かにそっくりな皺を眉間に刻んで、そうひとりごちた。
アドレナリンが切れて、痛み出した肩を見れば、傷が開いて、外衣まで赤が染み出しているのに、また舌打ちした。降りていきたくないな、と下を見やれば、甲板には、フューリーにナマエの捕獲指示を受けただろうマリア・ヒルが、いい笑顔で、こちらを見上げていた。肩を竦めて、ナマエはのろのろと、巣から降りた。



疲れ切った顔で戻ってきたホークアイに、細身の人物が近寄る。

「クリント、」

仏頂面のナマエは、そのまま、固定し直された腕とは逆の手で、クリントをぶん殴った。彼は、ぺ、と血の混じった唾を吐き出しただけで、反撃も反論もしない。
目の前で唐突に行われた理不尽な暴力に、目をまん丸くさせたのはピエトロだった。

「――家族に会って、ちょっとばかし気を抜いたらすぐこれだ。あの子に、自分の子供が重なったのか?だとしても、目の前で自分を助けて人が死ぬ、そんな重すぎる荷物、背負わせる覚悟は、もちろんあったんだろうな」

何を責められているのか理解して、ピエトロも、俯いた。クリントは仏頂面のまま立ち上がる。気を抜いた。油断をした。
戦闘において致命的な甘さを、見抜いているナマエの瞳の前に、弁論することは何もない。それでも、苛立たしさが募るのは、ピエトロの幼さ故のことだった。そんな彼の様子に、ため息をついたナマエは、言葉を重ねず、賢く口を閉じた。

「――ナマエ、」
「! ナターシャ」

続々と戻ってくるアベンジャーズを横目に、振り返ったナマエは、本人が思っている以上にひどい顔をしているナターシャを、自由なほうの腕で、力強く抱きしめる。
ナターシャの抱いている想いを、ナマエは誰よりも知っていた。バナー博士は、ナマエにとっても、大切な友人だ。そして、その彼は――、去ることを、選んだのだ。
悲しみを分かち合うために、必要な、抱擁だった。


ざわざわと、次第に喧噪がひどくなる。戦闘班よりも医療班の仕事のほうが増えてきたのだ。ナマエも、そろそろ何かできることを探しに行こうと、腕の力を緩めたが、ただ抱きしめていただけだったナターシャの腕が、ナマエの傷に障らぬ程度に強まった。

「――ところで、ナマエ」
「、ナターシャ、離し」
「血の匂いが濃いのは、何でかしら?」

にっこりと、至近距離でほほえまれて、ナマエの顔色が、一気に悪くなった。


「ピエトロ。――あれ、誰?」

忙しく行き交うエージェントの間をすり抜けて、声をかけてきたワンダ。彼は不機嫌なまま、知らない、と小さく言う。
先ほど怒っていた人物が、今度は、ナターシャとクリントの2人がかりで叱られている。正座姿勢で説教を浴びせられても、ナマエの仏頂面と、眉間の皺は、揺らぐことがない。
話の内容から推察するに、傷をおして、矢を放ち、クリントとピエトロの命を救ったのは彼女だという。にわかに信じることはできないけれど、もし本当だとしたら、高い戦闘能力を持っているということだ。

「なんだか、ホークアイに似てるわ」

ワンダが愉快そうに言うのに、2人を見比べれば、確かに――どこか似ていた。



ソコヴィアでの戦闘から数週間が経った、新しいアベンジャーズ本部で。

「ふうん、すごいな」

しげしげと、そのヴィヴラニウムで構成された肌を触って観察するナマエ。そんな彼女を人ならざる瞳で見つめて、ヴィジョンは緩く首を傾げる。

「君は、バートンの――」
「ナマエ!!」

ヴィジョンの問いかけを遮ったのは、新メンバーの教育係を任されているキャプテン・アメリカことスティーブだ。珍しく困り切った顔をしている彼の後ろには、呆れ顔の、ナターシャもいる。
曰く、ピエトロが訓練を真面目にやらず、自慢の足で、逃げ回って捕まらない、と。もう癖になっているらしい皺をつくり、ナマエは、トレーニングルームへと足を運んだ。ヴィジョンも興味を惹かれて、それについていく。
ワンダや、ファルコンことサムが、ナマエを見るや、笑顔を浮かべて挨拶する。ナマエも、鷹揚にうなずき返し、すっかり快復した腕で、がしゃり、と弓を組み立てた。そして、一本の矢をつがえて、室内のそこかしこに起きる銀の軌跡に目を眇める。
ぱ、とぞんざいに放った矢は、見事にピエトロの襟首を壁に縫い止めて、ぐえ、と間抜けな悲鳴が起きた。
しっかりとスティーブに首根っこをおさえられてやってきたピエトロに、ナマエは、に、と口端をつりあげる。ヒーローというよりはヴィラン寄りのあくどい笑みだが、ナマエを、とても魅力的にするそれだった。

「――見えなかったか?」

自身の決めせりふを言われて、かか、とピエトロの頬が染まるのに、周りで見ていたワンダたちは、一瞬おいて、にんまりと生温い笑みを浮かべる。ここにいたのなら、ホークアイは、不機嫌になって舌打ちしただろう。
さっさとトレーニングルームを後にする、ナマエの背を見つめたヴィジョンは、ぱちり、と緩慢に瞬いた。疑問から確信に変わったある事実を、ひとりごちて。

「なるほど、妹か」



「罪作りな女だな、君は」
「は?何言ってんだ」

一部始終を見ていたらしいトニー・スタークの呆れ混じりの言葉に、怪訝そうに眉を寄せて、ナマエは、任務へと出発した。

ナマエ・バートン。お察しの通り、彼女はホークアイの妹である。



キューピッドも裸足で逃げ出す

(続きました)