まずいまずいまずい。どれだけまずいかって、

「っ、ああああああ゛っ」

って、叫びたくなるくらいにまずいのだ。
運転手さん、頼むからミラー越しに目ぇ逸らさないで、傷つくから。



昨日、別れた。そりゃあもう、唐突に。
年下で、美大に行ってて、綺麗なブロンドをちょっと長くしてもそれが似合うような男の子。年上だから、口を出しすぎないよう、恩着せがましくないよう、気をつけてたつもり、だった。きついといわれがちだから、なるたけ優しい言葉を使うように心がけて。その結果が。

『いいよ、金に関してはけちくさいけど、家事だけはやってくれるし。家政婦みたいなもんだよ』

奴のアパート、ベッドの上で、セロリみたいな緑の髪した女の子が奴の上に跨がっていた。セロリは元から嫌いだったが、我ながらよくそんなに語彙があったもんだと驚くぐらいに、気の利いた罵倒を飛ばして、ぽかんと幼い顔をする2人を、鼻で笑う。

「そいつ、セックス下手でしょ?軟膏あげるわ。よく効くわよ」

どこに、とは言わない。顔色を変えた女の子を見るに、身体を重ねたのは一回どころではないな、とあたりをつける。
若さに任せた、がつがつ腰を振るだけの、愛のない営み。
もう結構。さよーなら、若者たち。
ぽい、と女性向けらしく柔らかいオレンジ色のチューブを鍵とともに床に投げて、着替えその他を引き上げる。
荷物の少なさが、関係の薄さをも物語っている、なんて考えて、傷ついた。ずきずきと、傷ついたハートに自ら傷を増やしてしまった。
その足で、行きつけの、バーに足を運んだのだ。無礼講だと、決して柄の良くない常連のおじさんたちと、おごって、おごりあって、そうして目覚めたら――、隣には、"あの"、トニー・スターク。



朝日を浴びてぼろっちさの増してる店の前で、アウディから下りた。愛車のシボレーに乗り換えて、法定速度ぎりぎりでとばす間も、回想が景色とともに流れていく。



派手で高価なスーツを着て、サングラスをかけた姿に、なぜ気づかなかったのか。

『おはようございます。シャワールームは左手奥のドアです』

そう声をかけてきたのは驚くほど有能なAI執事。 体に巻き付くトニー・スタークの腕をそうっとどけて、全身のだるさと腰の痛みに呻きながら、最速でシャワーを済ませる。
魔王の眠りを妨げぬように、足音を殺して一階に下りれば、金髪美女――かの有名な、ペッパー・ポッツがきっちりしたスーツでそこにいた。

「おはよう。外に車を用意してあるわ。どこまで送ったらいいかしら?」

手慣れてる、と思った。あの上司では女関係のトラブルがさぞかし多かろう、とほんの少し気の毒に思った。――いや、そんなことは今はどうでもいい、むしろ助かる。

「28番地のバーに、車が」
「わかったわ」

素直に告げれば、意外だ、とばかりに眉を動かして、出口へと先行するポッツさん。彼女は素直でいい人らしい。

『ーーいけません、ポッツ様』
「何?」

シュッ、ガチャリ、ピー、と、電子音が、扉のロックを告げた。くそ執事、と心の中でだけ吐き捨てながら、訝しげに問いかけたポッツさんの横をすり抜けた。
壁面のコントロールパネルらしきものに飛びつき、バックから出したのは、相棒ともいえるドライバー。パネルをこじあけ、USBメモリをつっこんだ。

『何を――、』

ばつん、と声がとぎれて、ざまあみろと笑う。3分、いや、2分ももたない。
本当は、トニー・スタークを閉じこめるようプログラムを組み直したいぐらいだが、とうてい時間が足りない。ざっと見ただけの緻密なソースが、憎らしいほど、美しい。
目を白黒させているポッツさんを置き去りに、パンプスをひっつかんで逃げ出しのだ。



回想終わり。向かうはハマー・インダストリーズの本社。……まじで、兄さんになんて言おう。



「――ほう、再起動にかかった時間、1分43秒。驚くべき数字だな?J」
『ええ。予想通り、以前ハマー・インダストリーズからのサイバー攻撃に使われたウィルスと、一致しました』
「決まりだな。エンジニアか」
「いいえ、ハマーの妹よ」

ちなみに溺愛してるみたい、とペッパーの寄越したファイルをぱらぱらとめくる。
ジャーヴィスをシステムダウンさせただけでなく、車内で携帯の基盤を抜いて追跡をまいた。置き去りにされた、ガラスの靴には程遠い地味なパンプスを、ことり、と作業台に置いた。

「間抜けな王子のように、まどろっこしく訪ねて回るようなこと、僕はしないぞ」

逃がさない――、とあくどく笑って。



ターゲット、ロックオン

(本気にさせたのは、君だからな)