キュ、キュッ、と特注の運動靴が擦れる音が特設のトレーニングルームに響く。
特設といっても、ただ広さだけを追求しただけの、何の変哲もない空間だ。ナマエが、ピエトロの能力向上のために、トニーに頼んだ。個人的なわがままだから、いやこのくらい出させろ、と資金の面で、トニーとナマエがやりあったのは、本部内の誰もが知っている。また一つ増えたナマエの逸話だった。

「ストレッチしたか」
「した」
「準備は」
「できてるっての!」

抑えがきかない、といった様子で笑ったピエトロに、ナマエは常からのしかめっ面のまま、頷いた。それを合図に、ひゅ、と姿を消したピエトロ。
ナマエは動かずに、落ち着いて弓矢を構える。訓練を重ねるごとに、パターン化された走りがなくなってはいるが、まだまだだ、と訓練用に鏃を潰した矢を放つ。
刺さらなくとも、当たれば痛い、と、ほくそ笑むナマエ。

「見え、た!」

すんでのところで身をかわしたピエトロに、軽く眉をあげてみせたナマエ。だが、彼女が、四本の矢をまとめてつがえたのを見て、どや顔をしていたピエトロは、げ、と声をあげた。

「うそだろ!!」
「阿呆。難易度が上がるのは当然だろう」

一斉に発射される矢は、遠くにいればいるほど、範囲が広がって避けづらい。かといって、へたに近寄れば、正確な射撃で狙い撃ちされる。矢が発射されてから、壁に到達するまでの時間に、ようやく慣れたばかりなのだ。

「――ちなみに、クリントは5本ずつ、2回連射できる」
「っ、化けもんかよ!」
「おいおい、改造人間に言われたくないぞ?」

ち、と舌打ちしたピエトロ。ナマエが、部屋の中央から動かないのはこのためか、と。部屋の中央には、矢が供給され続ける特注の装置がある。
――――待てよ、と、ピエトロは考える。動かないナマエに対して、ピエトロが有利になるには。きゅ、と、ゴム底がこすれて、焦げた匂いが、ピエトロの鼻をくすぐった。

「!」

急な方向転換に、ナマエが僅かに目を見開いたことを確認して、ピエトロは笑う。しかし、すぐに持ち直したナマエは、蛇行と屈折で距離をつめたピエトロに矢を放とうとして――。

「とっ、た……!!」

弓を掴んで放り投げ、最高速度でタックルする。顔を歪めたナマエを床に組み敷く。右手は頭上へ、左腕は、膝で踏みつけた。

「いった……」
「っ、ごめっ」
「阿呆」

反射で緩ませかけた腕を、睨まれて慌てて、強くする。はあ、とため息をついたナマエ。強打した、後頭部と背中、それから腰が痛む。

「気づくのが遅い」
「……っす」
「何のためにわざわざ動かなかったか……ったく。次回の訓練は、私も動く。トニーに協力してもらって、いろいろ設備追加しないと。っておい、なによそ見してる」
「へ、や……なんでも」

ねえよ、と、ぼそぼそつぶやいたピエトロの頬は、真っ赤だ。訓練での成り行きとはいえ、好きな相手を押し倒してる男の反応として、間違っていない。
床に散った髪とか、下から見つめる(正確には睨む)視線だとか、いろいろとこれは、まずい。相手がナマエであるので、そんな青少年の事情はうまく伝わらないが。ふと、ナマエが凶悪に笑った。

「――おい、油断してんじゃねえ」
「っ」

低い声。ぞ、とピエトロの背筋を駆け抜けたのは、純然たる殺意に対する、悪寒だった。――チ、チチチ、と音を立てた何かが、ナマエの左手から零れ落ちた。瞬間、か、と爆発とともに視界を焼いたのは、閃光だ。

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ」

言葉にならない呻き声をあげて、ピエトロは両眼をおさえて崩れ落ちた。
笑い交じりの声が、ピエトロの耳元でこぼされる。ナマエの上に覆いかぶさる状況だが、これはあまりにも情けない。

「なんだびびったのか」
「、……反則だろ。何だよ今の、くそこええ」

ガチで殺気出すなよ、と嘆息すれば、いつでもガチだぞ、と笑われて、げっそりとしてしまう。確かに、毎回何本か当たっている矢は、正確にピエトロの急所をとらえていて、鏃がつぶれてなければ、何度死んでるかわからない。

「……勝てねえ」
「ハ、勝たすかよ」
「はは、は、っう゛っ」

唐突に、ご、と重たい蹴りが、ピエトロの脇を襲った。げふ、と間抜けた声を漏らして転げ落ちたピエトロを尻目に、ナマエに手を差し出した人物がいた。

「――盛ってんじゃねえクソガキ」
「クリント」

兄に手を借りて立ち上がったナマエは、さすがに哀れみの瞳を、ピエトロに向ける。ずっと、ガラス越しに訓練を見守っていたワンダに、クリントが目で合図すれば、彼女は、ピエトロに勝る俊敏さで、自身の能力で、ピエトロを連れ去った。

「最近、よく来るな。またローラからの差し入れ?」
「……まあな」

嘘だな、と同じく観客席にいたナターシャは胡乱な目で、クリントを見やる。確実に、ナマエの周囲をちょろついているクソガキを潰しにきている。このシスコンめ、と、あきれたように息をはいて、トレーニングルーム内と通信をつなげた。

『ナマエ、』
「なに、」
『あなたに客が来てる』

ぱあっ、とナマエの顔が輝いたのを見て、はじめて目撃したサムとトニーが同時に固まった。ナターシャは苦虫を噛み潰したような顔をするクリントに向けて、にっこりと笑った。



「――ローディ!」
「ナマエ」

穏やかに笑って、抱き着いたナマエの頭を撫でるのは、ジェームズ・ローディその人だった。邪魔しないようクリントを拘束するナターシャに、うるさく事情を問い詰めるトニー。いつものしかめつらはどこへやら、笑顔を絶やさない、ナマエを、呆然と見つめるサム。

「ナマエもあんな顔をするんですね。とてもかわいらしい」
「っは!?」

偶然通りがかった光景を、ピエトロに伝えるヴィジョン。ワンダが洗脳を真剣に考えたりしたのは、また別の話。



とんだ伏兵あらわる