「――南の島に行きたいなあ」
『南の島、ですか』
「ま、どこでもいいんだけどねえ」
朝起きると疲れがひどい。夜眠る時も、目覚めたら朝がくると思って憂鬱になる。朝のラッシュはしんどいし、とにかく、だるい。
ダミーが持ってきてくれたコーヒーを受け取って、"天の声"と会話を続ける。
「ありがと。……楽園があるならそこに行きたい」
『そのように形容される場所ならたくさんありますね』
「たとえだよ、たとえ」
ああ、おいしい。
トニーのことだから、きっといい豆を備えてるんだろう、なんて思っていると、ご帰宅された。
「――――J、私の留守中に勝手にあげるな」
「お邪魔してますよー」
ひらひらと手を振れば、スーツのネクタイを緩めたトニーは渋い顔をして、ぶきっちょアームにコーヒーを命じた。優秀なAIは回答する。
『ですが、ナマエ様はセキュリティのリストに入っていません』
「え、何そんなのあんの」
「ある」
誰が入ってんのさ、とにやにやしながら聞く。
「――フューリーとブラック・ウィドウと」
「うわ」
「キャプテン・アメリカと」
「へー」
「……あと何人かだ」
「数え切れないほどいるってことね。つまり、私は光栄な立場に与ってるわけだ」
「そうだな」
「私、そろそろお暇する。ありがとね、ジャーヴィス」
飲み干したマグをキッチンに片づけて、放り出していたバッグを取り上げた。
『またいらしてください』
「うん。トニーも、また」
「ああ」
挨拶のキスを交わして、マリブの邸を出た。
髪ゴムをむしり取れば、髪が引っかかって苛立ちを増す。時刻は深夜に近い。真っ暗なロビーを抜けて、ようやく帰宅できる。
ポケットで震えた電話を取り出して、相手も見ずに通話を押した。言葉尻が強くなるのは仕方ない。
「はい」
『こんばんはナマエ様。とても気が立っておられるようですね』
「……ジャーヴィス?ごめん、ちょっと…イライラしてた」
『お送りしますよ。目の前の車に乗ってください』
「車って、」
道路に停まっているのは、街灯を照り返す高級車。トニーのガレージで見たことある気がする。
『運転席に人がいないのは少々都合が悪いので、どうぞそちらに』
「これって、自動運転?」
『ええ、安全かつ快適さを保証します』
いつになく陽気なAIにくすくすと笑えば、"こわばり"が溶けていくようだった。
『右に二歩』
「……まだ?」
『あと3メートル25センチ辛抱なさってください。前に十歩』
言われた通り、両手で目をおさえたまま、マリブの家の中を進む。
送るって言ったのに、ジャーヴィスの運転する車はマリブにやって来た。久しぶりの休みなのでしょう、と予定を把握されていることに関しては触れなかったけれど。
玄関に入る前に、絶対に目を開けないように、と言われて、指示に従ってのろのろと進んでいた。
『そこで、振り返って、座ってください』
「え、怖いんだけど」
『大丈夫ですから』
ええい、ままよっと、身を投げれば、もふんと柔らかいものに埋もれた。
目を開けていいですよ、と言われたので、薄目を開ければ、どこからともなく波の音。
「おお、お?」
『いかがですか』
マリブ邸の内装がすっかり様変わりしていた。大きなガラス窓を除いて、精巧なホログラムが部屋中を覆っている。
ビーチの映像が壁に投影され、室内のそこかしこに観葉植物が配置されてる。仰向けに寝転がれば満天の星空。ガラス窓だけ残っているのは、開放感を出すためか。室温は快適で、どこからかそよ風も吹いてる。
ふかふかのリクライニングソファに身を預ければ、ダミーが寝酒を持ってきてくれた。
『私がプロデュースいたしました"楽園"です。トニー様と私から、頑張っていらっしゃるナマエ様へ』
「…今、すごくあなたに抱き着きたい」
『それは…"体"が必要ですね。検討しておきます』
ありがとう、と言えば、大したことではありません、というスパダリすぎる返事。
『最高のおもてなしをさせていただきます。ゆっくり――休んでください』
優しい声に導かれて、まずは、深い眠りを受け入れることにした。
アーティファクト・エデン