※CW直後。ホムカミ前。
忙しいだろうに、毎日欠かさず顔を出す男。人の心配をするよりも先に自分の心配をしろ、帰って寝ろ、とそう言っても、耳を貸さない、困った男。世話を焼くのが苦手で、一人でから回ることが多いのを、知っていた。それを、よく勘違いされることも。
その日、ローディの親友であるトニー・スタークは、一人の女の子を連れてきた。しかも、その体に見合った小さな手を握って、だ。
女の子は人見知りする様子もなく、まっすぐにローディを見上げてきた。
「ナマエ、ローディだ」
そして、ローディに向き直り、名前を入れ替えて、同じ言葉を繰り返す。
「悪いが、ロス長官に呼ばれてるんだ。少し相手をしてやってくれ」
簡潔すぎる紹介の後に、トニーは、そう眉を寄せて言う。それから、サングラスを外して、女の子と目を合わせる様子に、ローディは本日二度目の「ワオ!」を、心の中にしまった。
「ナマエ、いい子にできるな」
「Yes,Daddy」
「よし」
そして、トニーはさっさと出て行ってしまった。
――――相手、ねえ、と、ローディは視線を下げる。ペッパーとの微妙な関係を彼も知っていたし、よそに隠し子をつくる暇も余裕も、ここ数年なかったはずだ。とすると、この子供は。
くりくりと利発そうな瞳を瞬かせた少女に、おや、と思った。人間のようで、そうではない。
「兄は、あなたのことを"しんらい"していました」
ああ、この特徴的なしゃべり方、とローディは得心がいった。この子供は、ジャーヴィスやフライデーと同じものだ、と。
背中に背負っていた小さなリュックから、ナマエはスケッチブックとクレヨンを取り出して、ローディのベッドに広げた。きちんと了承を得てくるあたり人工知能らしいが、やっていることはまるきり子供のそれだ。
「ジャーヴィスが兄なら、フライデーは姉さんか」
「はい。そうなります」
「ヴィジョンは?」
白い紙を汚していた手を止めて、ナマエは首を傾げる。
「……よく、わかりません」
そうだろうな、とローディは思う。トニーでさえ、まだわかっていないのだから。
「Daddyと呼ぶのは、どうしてだ」
「?……おかしいでしょうか」
「そういう柄じゃないだろ」
「ナマエは、Daddyののぞまないことはしません」
できた、と、ナマエは顔を上げる。いかにも子供の手による、というお世辞にもうまいとはいえない絵。描かれているのは、アイアンマンだった。
「上手だな」
ローディに、にこりと笑ってみせて、ナマエはベッドに座る。
「おっしゃりたいことはわかります。すべてプログラムされたものではないかと、そうお思いですね」
ぷらぷらと足を揺らす幼い仕草に目を奪われる。エナメルのバレエシューズに包まれた、小さな足。柔らかそうな肌も、細い髪も、幼い声も、すべて作り物だとは、とてもじゃないが信じられない。
「そんなDaddyをかわいそうだと」
「……俺は顔に出していたか」
思ったのは一瞬で、すぐにそんな自分を恥じた。情けなく眉を下げて見せたローディに、ナマエは首を横に振る。
「Daddyにはかぞくがいません。アンドロイドに父だとよばせているのを見れば、おおくのひとがおなじことを思うでしょう」
孤独な天才が、まがいものに縋っている、と。
「ですが、ナマエはナマエがよびたいから、Daddyとよんでいるのです。そして、Daddyはそれをゆるしてくれた。にんげんのこどもらしくするのは、Daddyがこどものすがたをナマエに与えたからです。それをうれしい、とナマエは思います」
話し声が近づいてきて、誰かと通話中のまま、トニーが戻ってきたようだ。
「Daddy!」
ぱ、と顔を輝かせて、ナマエがベッドから下りる。しかし、走り出してすぐに、ぐらり、と不自然に傾いだ小さな体に、ローディは息を飲んだ。しかし、床に衝突するよりも先に、トニーの手が、少女をすくい上げる。
「、言っただろう。まだお前は走れない」
「ごめんなさい」
でも、絵を見せたかったの、と、ナマエはさっき完成させた絵を見せる。
「よく描けているじゃないか」
「ほんと?」
「ああ、さすが、私の娘だ」
トニーの指が頬をくすぐり、ナマエは笑みを弾けさせた。そのまま、二人はローディのところに戻ってくる。
「すまなかったな」
「ああ、いや……いい子だったよ」
そんなありきたりな台詞しか返せず、ローディは内心で苦虫を噛み潰したような顔をする。ローディの視線をたどって、トニーは、ああ、と納得がいったようだった。だらり、と垂れ下がる細い足は、骨が折れてしまったようにも見えた。
「重いと、抱き上げるのが大変なんだ。軽量化を目指したんだが、結果、脆くなった」
何度も言い聞かせているんだがな、と苦笑するトニー。それから、足りないものはないか、欲しいものはないか、補助具の調子は、といつもと同じ質問をしてくる。それらにしどろもどろに答えるローディに、トニーは声なく笑った。
「心配しなくとも、頭も精神もおかしくなっていない。むしろ、この子のおかげで、食事も睡眠も以前よりとれている。声だけでなく、姿があるとこれほど違うのか、と自分でも驚いているくらいさ」
食卓を囲み、今日あったことを話しながら、夜は同じ毛布にくるまれて眠る。そんなトニーとナマエの姿が、ローディにも容易に想像できた。
「愛してる」に「愛してる」と、無条件で返してくれる相手。確かに、サングラスを外しても、以前ほど目の隈が目立たなくなったし、顔色もいい。けれど。
「――さて、帰ってこの子の足を直してやらないと。それじゃあな」
ほらナマエ、ローディおじさんに挨拶して、なんて軽口を叩くトニーが見れて、嬉しいはずだ。トニーの腕に抱かれたまま、ばいばいと手を振ってくるナマエに、手を振り返す。
トニーが彼自身の手で作り出す前に、誰もそのあたたかさを与えていなかった、という事実が、ローディの胸を刺した。深く、深く。
TorF