※名前変換なし


 私はすっかり癖になった返事をしていたと思う。
 ほう、なんて、耳に触る皮肉まじりの声で。相手を嘲る笑みつきだ。私がこう返せば、皆、面倒はごめんだと言わんばかりに黙り込む。それでいい。世間話も、冗談も、他愛のない話も、私には必要ない。…そういえば、ロジャースも私がこう返すたびに、不愉快だといわんばかりに顔をしかめていたっけな。
 ああ。いらないことを思い出してしまった、と意識を引き戻す。ともあれ、面白い冗談だと思った。あるいは、ロス長官あたりが寄越した、新手の嫌がらせかと予想する。フライデーと私がセキュリティを張り巡らせているこのプライベートルームに、目の前の女性はどのように入り込んだのか。それはおいおい追求するとして、彼女はなんと言ったかな。

 「私、貴方のために遣わされた天使なんです」
 困り顔で、彼女は、背中に広がる純白の翼をはためかせた。機械でもそれらしいものを作れなくはないが、彼女のそれはどこまでも生々しい動物的な動きをしていて、感心する。手が込んでいる、と。
 「――信じてませんね」
 当たり前だ、という顔をしただろう。超人兵士に、北欧神話の神様、宇宙人に、魔法、この世界には科学で解明できない不思議が溢れているが、私は科学者だ。まずはデカルトのようにすべてを疑わなければ、科学は始まらない。
 いいですか、とため息をついた彼女が言うことには、天界で確認されている私の命の灯とやらは、過労と、睡眠不足と、ストレスと、不摂生とで、消えそうにゆらめいては、また燃える、というのを繰り返しているらしい。なるほど、と、自分でも白々しいほどに演技がかった仕草で、私は顎を撫でた。明日の朝には、髭を整えてから出かけないとな。
 「"アンソニー"」
 嘆息と共に呼ばれた名前の響きに、かっと目の前が赤くなったのを感じた。遠い昔に、母が私を叱る時にそう呼んだのを思い出してしまったから。呼ぶ人間がいなくなった名前だから。
 衝動的に口をついて出ていたのは、相手の神経を逆撫でし、心と精神を否定するばかりの醜い言葉の数々だった。こめかみのあたりが熱い。体中のありとあらゆる血管を、どろどろとした何かが、侵食していくみたいだった。どこか遠くで、自分のよく回る口に感心しながら、後味の悪さが口を閉じさせるまで、私は存分に彼女を罵った。目の前から、消えろ、と願って。

 『Boss』
 フライデーの声が遠い。ぶるぶると震える拳を膝の上で握り締め、肩で息をしている私とは対照的に、彼女はお腹の上で手を組み合わせ、泰然とした態度で私を見つめている。天使と名乗っただけあり、慈愛に満ちた微笑みさえ、浮かべて、僕を見ていた。アンソニー、ともう一度名前を呼ばれて、頭を抱えた。聞きたくない。母を思い出す。もう誰も、僕をそう呼ばない。
 生か死か、どちらを選びますか。投げつけられた問いは残酷だった。誰も、僕自身を必要としている人間はいない。アーマーや、知恵や、財力は必要とはされても、僕自身を望む人間はいない。これは貴方の問題ですよ、と優しくも無情に、彼女は言った。貴方はどうしたいの、と甘美な声で、彼女は僕を覗き込む。素直になれない子供を見る母親のように。

 苦し紛れに吐き出した答えに、天使が、微笑んだ。