短く3回鳴らされるクラクションは、ナマエ様が自身の来訪を告げるノック音である。

「ジョック!」

出迎えた俺の姿を見るなり嬉しそうに顔を輝かせるナマエ様は、ご主人様の遠縁にあたるお嬢様である。毎年クリスマスはモルデカイ邸で過ごすのを習慣としているのだ。

うさぎのように跳ねて首に腕を回してきたナマエ様を抱いたまま、そのままくるりと回って下せば、きらきらとした瞳で見上げられて、心臓がうるさくなったようだ。

「今年のプレゼントは何かしら?」
「――お楽しみ、だそうですよ」

毎年繰り返される問いと答えにも、#ナマエ様はふふふ、と楽しげだ。
……かわいらしい。


「チャーリー達はデートなんでしょ?」
「はい」
「じゃあ、夜まで2人っきりね」

どきり、と心臓が跳ねる。ナマエ様に他意はないというのに。
受け取ったコートからはふんわりと甘い匂いがして、ずくり、と身体が疼く。鋭すぎる五感には、ナマエ様の存在は毒だ。

「今年もいい七面鳥を仕入れたんですってね」
「、ええ、奥様のご友人が」

これも毎年恒例ながら、ディナーの準備を手伝ってくださるつもりらしい。バレッタでまとめられ、揺れた髪に目を奪われて、ほんの少し返事が遅れる。

「部屋に荷物を置いてきますよ」
「ありがとう」


ジョック、と柔らかい声で名を呼ばれた気がして、条件反射で返事をする。階下に降りて、#ナマエ様、と呼びかけるけれど、しん、と静寂が代わりに返事をした。

「ナマエ様…………?」

――――ナマエ様が、いなくなった。



ジョック・ストラップという男と初めて会ったのも、クリスマスだったんではなかろうか。
ナマエは出されたコーヒーに口をつけながら、ふとそんなことを思い出した。おそらく、それは目の前に立つ男のせいなのだろうけれど。
ジョックが髪をほんの少し伸ばして、肌を白くして傷をなくしたら、目の前に男になるだろう。ジャーヴィスと名乗った男は、モルデカイ家の忠実な従者とは違う意味で人間離れした雰囲気を持つ執事だ。

「ジョックは野生の獣みたいなところがあるけれど、貴方はそもそも人間じゃないみたい」
『私は人間ではありませんから』

ジョックの手は熱いくらいなのに、差し出されたジャーヴィスの手は肌に似た素材の下に、確かに金属の冷たさを感じた。

「その瞳も……、不思議だわ」

ぱちり、と瞬いたり、瞳が動くたびに、僅かに機械の音が混ざる。
まるでSF映画の世界だわ、とナマエは息を吐いて、部屋を見渡した。
動き回るロボットアームに、液晶と言うのが憚られるような、原理のわからないモニター。先ほどテラスに出てみたのだが、このタワーから見渡せるアメリカの街並みにしろ、どこか違和感がある。

「こっちでは、私みたいに人が突然現れるのも普通だとか言う?」
『普通、ではないですが。人間以外では、あり得ます』

ぱ、とついたモニターには、彼の主人だという鉄でできたスーツを纏った男だとか、緑の大男だとか、北欧神話の神様だとか……、なるほど不思議な世界だ。

「ジョック、心配してるかなあ」

ぽつり、と漏らせば、ジャーヴィスが首を傾げた。

『その方は、ナマエ様の恋人ですか?』
「へ。……ああ、違うの。私の親戚の家に仕えてる従者よ」
『そうですか。ナマエ様が現れてからジョック、という名前を24回口にされています』
「……そんなに?」
『ええ。ナマエ様はその方に好意を持っていらっしゃるのですね』

正確な指摘に、頬を染めたナマエ。
その様子に、ジャーヴィスは、ふ、と口端を上げる。
ジョックもたまに見せる、わずかにぎこちなさのある笑顔。

『とても、かわいらしい。……ですが、それが、ジョックという男のために浮かべられたものだと思うと、腹立たしいのも事実です』

突然の告白に、ナマエはわかりやすく狼狽した。
ジョックのことは好きだ。だからこそ、会って1時間も経たない、ジョックと同じ顔をした男に、言外に好きだと言われて、混乱している。
しかし、まず思ったのは、ジョックもこんな言葉を言ってくれないだろうか、ということだ。

『そのようにナマエ様を想い悩ませるとは、甲斐性のない男のようですね、そちらの世界の私は』
「……ふふ、仕方ないのよ」

ジョックにとっては命より大事な、チャーリーへの忠義に反するらしく、あの鉄のような忍耐力で、好意をおくびにも出さない。

『男という生き物は、意外と取るに足らないことで悩むものですよ。そういう時は、女性側がリードすべきだと、私は思います』

自身の主人とそのパートナーを思い浮かべてのジャーヴィスの言葉には、妙な説得力があって、ナマエは吹き出した。


「――ナマエ様!」

弾丸みたいに飛び込んできたジョックに、安堵と共に、苦笑が漏れた。
こんなにもわかりやすいのに、と。ジョックが頑張ってつくりあげ、しがみついているストッパーを、壊してやろうじゃないか、なんて。



「……当たり前だけれど、同じ声なのね」
『それはそうでしょう。そちらの世界で言うところの、私なのですから』

自分と同じ顔ながらいけ好かない雰囲気をした男と、おかしそうに笑いあうナマエ様の姿に、苛立ちが胸中に渦巻いた。
大股で近づき、軽い身体を縦抱きにすれば、自然に肩に回された腕に、ようやく安心する。

「ナマエ様、こいつは'何'ですか」
『おや、鋭いですね。私が人間ではないと見抜きましたか。獣の本能、というやつでしょうかね』

くつくつと笑う男の口から飛び出した皮肉に、ナマエ様は面食らったように目を瞬かせた。ジャーヴィス?と不思議そうに、男の名を口にするナマエ様に、滅多にならない2日酔いにでもなったかのように、むかつきが酷くなる。

「早く、帰りましょう」

ナマエ様の頬に手を当てて、そう言う。
ジョック、とようやく自分の名がこぼれ出て、ささくれていた気がほんの少しなりを潜めた。

『ナマエ様』

しかし、割り込んできた声に、ナマエ様はそっちを向いてしまう。舌打ちしたい気持ちを抑えて、男を睨む。

『よいクリスマスを』
「ありがとう、ジャーヴィス」


まるで、子供向けの童話のようだ、と、今出てきたばかりのクローゼットを振り返って思う。
しかし、なんとまあ、緩みきった顔だったことか。ナマエ様と話すジャーヴィスの表情は、傍目から見ても非常に甘ったるく、自分もそんな顔をしているのかと思うと少々きまりが悪い。

「どうやってわかったの?」

おとなしく俺の腕の中におさまったまま、そう聞いてくるナマエ様に、は、と我に返る。
邸中を捜した。だが、最後に見落としていたのが、ここだった。

「ナマエ様の匂いが、一番濃かったので」

目を見開いたナマエ様は、くすりと笑みをこぼした。

「本当に、ケモノっぽいわよね」
「ナマエ様、」
「ありがとう。必死で捜してくれて、随分心配したんでしょ」

そっと小さな鼻先を近づけてきたナマエ様は、汗の匂いがする、と笑う。そのまま、柔らかい唇が耳元で囁いた。


「――ジョック!ナマエ!」

大急ぎで、放り出したままだったディナーの準備を終えれば、御主人様達が帰っていらした。
御主人様や奥様と抱擁を交わしたナマエ様が、お2人が見ていないところで背伸びをして、俺の唇を奪った。
また後でね、と囁いたくせに、恥ずかしそうに頬を染めるナマエ様に、ぶわ、と何かが通り抜けて、危うく背後から襲いそうになった。


従者と執事

(……っ、はあ、鎮まれ、っああ、もう)