水葬遊戯



少し広めのベッドの上、事を終えた気だるい疲労感の中。
最近、上手く眠れないのだと彼奴は言った。
俺が、睡眠薬でもプレゼントしようかと、冗談混じりに言ったとき。
彼奴は酷く悲し気に笑って、静かに首を振ったのを鮮明に覚えている。


眠れない理由はなんだ?


ああ、そんなこと、酷く明白じゃないか。



++水葬遊戯++



忍足は制服を着たまま、校内の室内プールで泳ぐ訳でもなく、ただ水面に漂うように浮かんでいた。
不審に思い何をしているのかと問いたら、浮かんだゴミの真似、と答えるものだから、不覚にも吹き出してしまった。

「どうだ、すっきりしたかよ」
「ん、わからん」
「そうか」



今から一時間ほど前。
ちょうど俺が寝ようかとしていた頃に、忍足から一通のメールが来た。

『泳ぎたい』

と、文章はただそれだけで、思わず眉間に皺を寄せたが、とりあえず忍足の住んでいる寮まで車を出させた。
望みを叶えてやる気になったのは、その時、それが忍足にしてやれる最後の事だと、心のどこかで無意識のうちに知っていたからかもしれない。


室内プールのドアは、用務員に無理を言って開けさせた。
こういう時は、普段鬱陶しいことも多い、由緒正しい家柄も役に立つ。
口止めはしていないが、恐らく心配する事はないだろう。



服を脱ぐのが面倒だと忍足は言って、制服のまま飛び込み台から飛び込んだ。
全く、綺麗なフォームで、だ。
25メートルのプールを端まで泳ぎきるとターンをしたまま、水底へと沈んだ。
そのまま緩慢な仕草でゆっくりと浮上したきり、水面でゆったりと動きを止めた。

なぜ急に泳ぎたくなったのかと尋ねると、頭の中がぐちゃぐちゃしていて、煩いからだと答えた。

それが妙に引っかかっていて。

おそらく眠れない原因もそこにある。
それならその原因は何だ?




──考えるまでもない。








『パシャリ』








水音に、我にかえる。



パシャリ



水音がする度、波紋が幾重にも重なり広がっていく。
それはあまりにも幻想的で、堪らない違和感を生む。
胸のシコリがつっかえていつまでも取れない。



パシャリ






パシャリ



「跡部も、泳ご?」
「ゴミの真似の、間違いだろ」

プールサイドへ寄ってきた忍足に、ふんと笑うと上のシャツを脱いで、ズボンはそのままにプールへと飛び込んだ。
やはり、水面は踊って波紋は広がる。
その波紋に妙な焦燥感を覚えて、思わずじっと身を潜めて水面が落ち着くのを待つ。
けれど、やはり生きたこの体は、細胞のひとつひとつが微量な動きを繰り返し、水面はいつまでも波打っていた。



無機物になってしまえれば良いのに。



無機物に?
ああそうか。
だから忍足は、浮かんだゴミの真似事など。


振り返って見た忍足は、ふと、あの時ベッドで見せた、あれと同じ笑顔で微笑った。

嫌な予感がする。
やめてくれ。


やめてくれ。






『パシャリ』








「なあ跡部、もうあかんよ」


忍足が口を開く。
なせだか、酷くスローモーションのように見えた。

緩やかに動く、外界から閉ざされた閉鎖的な空間だ。
息苦しい。


「……何をだ」

何を?
それこそ何を、だ。
解りきって、いるくせに?
わかりきって?


口が、カラカラに渇いている。
乾燥した心が、ひび割れて音を立てたような気がした。
ギシギシと、ベッドが軋む、あの音にも酷似している。
ああ、枯渇している。
こんなにも。
むせ返りそうなほど、水に、水に囲まれていると言うのに。

「遊びは、もう終わりにせなあかんよ」


遊び?
ああそうだ。
そういえば、そうだった。


そしてそれを言い出したのは、俺の方。
手に入れようとは思ってはいけない相手に心を奪われ欲情した、それに絶望した。

気持ちを伝えたところで気持ち悪がられ、拒絶されるに決まっている。
自分だって、昨日まで、そしてこれからもただの友達だと思っていた相手に欲情されれば気持ち悪いし吐き気がする。
それなら。
どうせ手に入れれないのなら、最初から諦めてしまえば良いと思った。
気持ちがない方が、楽だと思ったんだ。


必要なのは、互いの体だけ。
疑似恋愛とも似通う、けれども随分と質の悪い。
それが、このくだらないお遊戯の始まりだ。






そして、きっと、長くそれを続けているうちに錯覚していた。
体を繋げて、心さえ、と。





「これ以上触れてると、きっと間違ってしまう」
「そうだな」
「そんなん、赦されんもん」

そうだな。
ああ、全く、その通りだ。
それでも。

それでさえ。





それでさえ。






一つ手に入れば次が欲しくなる。
それも手に入れば、今度はまた次が欲しくなる。
欲求は、欲望は、尽きることを知らない。
強欲な、ただ、それが人間だ。

それは、発展や成長に繋がることもあれば、破壊や終焉を招くこともある。
そうだ。
俺達は愚かにも、あの時最初から、既に間違えた方向とへ歩み出していたのだ。



「忍足、俺は……」

忍足は困ったように笑ったまま、そっと俺に口付けた。
それは緩やかな、しかし確かな甘めいた拒絶だ。


静かに唇を塞いで。
その先は言ってはいけないと。

その先に行ってはいけないと。




長い、キスをした。
呼吸もままならないくらいの。
唾液も喰らい尽くすくらいの。
クロルカルキの独特の香りが、現実を、現実以外のものへと魅せ変えた気がした。




(すきだ
まちがってもいい
ゆるされなくてもいい
ただ、おまえがすきだ
すきなんだ)




好きなんだ?




笑わせるな。
白々しいくせに。





遊びだ。
間違ってはいけない。
そうだ、これはただの遊びなんだと言い聞かせて、片言の気持ちに蓋をする。
眉間に、細かな皺を刻んだままで。


きっと、苦しいのは呼吸のせいではないから。


重すぎるこの気持ちならきっと、錘なんてつけなくても水底へと静かに沈んで行くだろう。

逝ってくれるだろう。


埋葬した感情へと背を向けて。
後は腐敗して分解されて。
溶けるがままに消え去るのを待てばいい。




忍足の瞼が小さく震えて、目尻に微かに光って零れ落ちたものを。

俺も目を閉じて見ないふりをした。



このまま時が止まれば良いと。
柄にもなく感傷的に思っては、たぶんほんの少しだけ、胸が痛んだ。



夢はもう見なくても良い。
この先、俺が眠れなくなっても構わない。
今夜こそ、忍足が眠れますように。





END+++++





久々の跡忍です。
ってか、跡忍書くときは大概久々ですよね☆(すみませ……)

なんか、酷く難産なお話でした。
多分1ヶ月くらい書いては消して、書くのをやめて(オィ)とかしてました。
1ヶ月かけてこれですよ!あはは!(痛)
(07.03.14)


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