モラトリアムの君へ



大人と子供。
その境界線を引くとしたら、一体どこになるのだろう。
不明確な世界に、どうしたら良いかが解らなかった。



++モラトリアムの君へ++



耳を塞ぎたくなるような、湿った粘質の水音がする。
それだけが、無駄に広い静かな部屋に響いていた。

正確には、荒く弾んだ呼吸とベッドの接続部が軋む音。
それから跡部の指が、掌が、舌先が俺の肌の上を滑る度に零れる吐息と少し高めの声。

それもあったけれど。


『も、イクっ……』
『は、イっちまえ、よ』
『……あぁっ!』
『っ……!』


その後、意識を失ったような気もするし、2、3言会話を交わしてから眠ったような気もする。
とにかくそれが昨日の最後の記憶だ。

気だるさが残る重い体が、酷く疎ましかった。
逆に跡部の方はやたら絶好調で例によって例の如くあの派手なパフォーマンスを繰り広げているのが余計に腹立たしい。




ラケットを握ったまま、練習試合に集中することもできず溜息を吐いた。





その時、顔のすぐ脇をゆったりとよぎるものがあった。
ふわふわと風に乗って漂う様が、酷く不安定だと思った。
歪な球体のそれは、世界を逆さまに映しながら旋回した。

汚さを隠すために作られた俺の虚像の、逆さまの反射の影は真実を映し出しているような気がしてなんだか恐かった。
それが綺麗なだけに、余計に。


その発生源の元をたどれば。



「ちょ……何してんの?慈郎」
「シャボン玉」

応援席の一番前のベンチに座って、慈郎は眠そうにしながら、それでもそっと息を吹き込んだ。
ぷくぷくと生まれる薄い膜の球体は、その形を定めることなく揺らめいて。

はぜて、消える。


ほのかに洗剤の香りが漂った。

「それは見たらわかるっちゅうねん」
「俺、シャボン玉好きなんだ」
「やからって今やらんでも……跡部に怒られても知らんで」
「大丈夫ー」

よく見たら慈郎の持っているシャボン液は自作らしく、コップに石鹸水とストローというなんともお決まりのものだった。
しかもコップは元はジュースが入っていたと思われる紙コップ。

「わざわざ、作ったんか」
「うん。でもあんま長持ちしないんだよねー」
「洗剤、足したらええやん」
「んー……」

不満げに唸り声をもらすと、慈郎は石鹸水を渋い顔で見つめて液体をストローでかき混ぜた。
どうやら洗剤の量は足りているらしい。
全く分かり易い奴だ。

「……砂糖入れるとええって聞いたけど」

思わずちゃんと助言してしまう自分にも少し笑ってしまいそうになった。

「マジ?」
「おう」
「じゃ、砂糖頂戴」

慈郎はごく自然に俺に向かって右手を差し出した。
俺は若干、体から力が抜けた気がした。

「……持ってるわけないやろ。調理室にでも行けや」
「あそっか。んじゃ行って来る」
「え?ちょ、今から!?」
「跡部になんか言われたら適当に言っといてー」

言いながら去っていく間延びした慈郎の声は、フェードアウトして消えていった。
天真爛漫とした自由さは、子供特有のものだし子供にしか赦されない。





俺は、そんな慈郎が少し羨ましかった。





シャボン玉に似通う、脆い眩しさを持った、慈郎が羨ましかった。




「何やってんだよ」

急に背後からかけられた声に驚いて振り返ると、このけだるさの原因を作った張本人がいた。

「……跡部か。何も、しとらん」
「……慈郎はどうした?彼奴、次試合なんだよ」
「……知らん」
「そうか。……お前も練習しろよ」
「俺、今休憩入ってん」
「……そうか」

それだけの会話を交わすと跡部は俺にくるりと背を向け遠ざかって行った。
酷く素っ気なかった。
多分お互い様だろうけど。





いつからか、お互い素直になることが出来なくなっていた。
それが大人になるという事なから、いっそ、子供のままでいたかった。
上手くいかない事だらけだ。









「忍足ー!」



遠くから呼ばれて、顔を上げたその途端、視界の殆どがシャボン玉に覆われた。
顔に当たってぷちぷちとはぜる様子が妙にリアルだった。

「ちょ……人の顔に向けて吹くなや」
「あはは!ごめんごめん」

眼鏡についてしまった石鹸水をポロシャツの裾で拭う様子を、慈郎は愉しげに見つめていた。

「なんよ」
「なんでもない!これ、忍足の分」

スッと差し出されたコップは、同じように紙コップとストローの子供じみたものだった。
きっと砂糖も入っているのだろう。
慈郎が、自分のために作ってきたのかと思うとなんだか可笑しくて仕方がなかった。

「……おおきに」

ストローを口にくわえて軽く息を吹き込んだら、一瞬大きく揺らめいてからシャボン玉はストローから離れていった。
そのうちの一つが、風に乗ったままコートまて漂うと、そこに立っていた跡部の脇ではぜた。
それに気付いて振り返った跡部は、ケラケラと笑っている慈郎をみて眉をひそめた。

「おい慈郎、居るんじゃねぇかよ。さっさとコートに入りやがれ」

険しい表情のまま跡部はつかつかとこちらに歩いてくる。

「げー。見つかっちゃった!」

慈郎は慌てて、それでも愉しげに言うと俺の後ろへ隠れた。

「げー、じゃ、ねぇんだよ!」

跡部は慈郎の襟首を掴むと俺の後ろから無理やり引きずり出す。
慈郎は初めこそ、人さらいだのなんだのと人聞きの悪いことを叫んではいたが直ぐに素直に従った。

「跡部、これあげる」
「なんだこれ。おい!」

慈郎は怪訝そうな表情をした跡部の手に紙コップを押しつけるとそのまま走り去ってしまった。
紙コップを片手に呆然と立ち尽くした跡部がおかしくて、思わず吹き出してしまった。

「なんだよ」
「いや、似合わんなぁ思て」
「ほっとけ。お前だってなかなかのもんだ」
「うっさい」

俺は尚もくつくつと笑うと、慈郎が渡してくれた石鹸水から再度シャボン玉を生産した。
風にのって不安定に揺らめく様がなんともすがすがしい。
辺りに漂う石鹸の香も、きっとそれを助長しているのだろう。

下手な意地なんか張らずに、こうして跡部と語り合えるのは本当に久しぶりだった。
勝手にお互い大人になってしまったような気がして無意識に距離を置いていたのだ。
子供らしく振る舞うことも、大人らしく振る舞うことも、無理をしていればどっちにしろ苦しいものだ。
まだ大人になりきれない、それでももう子供とは言えない、モラトリアムの俺たちは、きっとどこかで素直になれない。
それでも、確かに、それはたやすい事で。


「シャボン玉、ついてんぜ」


跡部の指が俺の髪へ伸び、そこに付いていたであろうシャボン玉を取った。

「おおきに」

跡部の指は、酷く優しかった。





END+++++





なにやら執筆時間をかけすぎて結局何が言いたいんだか!な感じになりましたごめんなさい。
綾瀬はシャボン玉が割と好きです。
未だにたまに2階から吹いて遊んだりします独りで(うわ…)
…………楽しい、ですよ?うん(勧めんな)
(07.10.20)


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