それは奇妙な夢だった。
部屋の中には俺一人。そして、部屋の中は水浸し。それはまるで大洪水のあとのようだった。
俺は何をするわけでもなく、ただそこに座っていた。頬にはらしくもなく涙のあと。ああ、この水浸しの原因は俺の涙かと理解した。こんなになるまでよく泣いたものだと思う。
すると、誰も訪れるはずのない部屋にノック音が響く。

「…誰だ」
「泣き声が聞こえたから。ここ開けて?」
「誰だと聞いてる」
「うーんっとね、笑顔持ってきた者です!」
「帰れ」

馬鹿げている。
鈴を転がすような無邪気な声が部屋に響いたが、無視を決め込むことにした。頼んだわけではない。なら、招き入れる必要もない。
第一、お前がそこにいると泣けないではないか。

「いるんでしょー?寒いから早くここ開けてー!」
「まだいやがったのか!帰れって言ったろ!頼むから消えてくれ!」

思わず、怒鳴りつけてしまった。
すると、ドアをノックしていた音がピタリと止む。どうしたのかと様子を窺っていると、啜り泣く声が聞こえる。

「…なんで、そんなこと言うの…?」
「は?」
「そんなひどいこと言われたの、生まれて初めてだ…。ど、しよ…泣きそう…っ」

もう泣いているではないかと言いたくなったがなんとか堪えた。笑顔を持ってきたとかいうやつが泣いてどうする。俺はどうすればいい。泣きたいのは俺の方だ。
そのうち俺もあいつも泣きはじめ、部屋の中には二人分の泣き声。声が近いからドアを挟んで背中合わせ。

「…なあ、」

返答はなし。聞こえるのはしゃっくり混じりの泣き声。俺は構わず続ける。

「お前、まだ俺を笑わせるつもりか?」
「…それだけが生きがいなの。笑わせないと帰れないの」
「いまさらだが、お前を部屋にあげてもいいと思えてきた。たが、ドアが開かない。こっちからじゃ水圧で開かないんだ。そっちから開けてくれ。鍵は開けた」

返答はなし。泣き声も聞こえなくなった。

「おい、どうした?」

沈黙。俺はすぐに理解した。
裏切りやがった。信じた瞬間、裏切りやがった。
再び頬を涙が伝う。その時、ドアとは真逆の位置にある窓がド派手に割れた。
そこには、鉄パイプ片手に泣き顔で立っている少女。

「お待たせ!笑顔持ってきた!」

部屋に招き入れたあと、少女は俺の顔を見て一言。

「あなたの泣き顔、笑えるよ」

そう言って手渡された鏡に、確かに傑作だと少女に微笑んだ。


「……」

夢はそこで覚めた。
俺が泣くというところから奇妙な夢だった。
俺の横には、先程夢に出てきた少女と同じ彼女。彼女が笑顔の配達人というのには合点がいく。今はすやすやと眠っているため、瞳は閉じられているが、目覚めるとまた微笑んでくれるのだろう。
さらさらと、彼女の髪を掬う。

「…ん」
「…起こしたか?」
「ううん、おはよ」
「はよ」

微笑む彼女の額に優しく、口づけた。



(今日も笑顔をありがとう)



20100501



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