白猫と黒猫



 生きたかった、ただそれだけ。

 他に理由なんてないし、なくていいと思っている。

 俺の首を絞める母さんの手を押さえ付けて説得する手もあったかもしれない。殺さないでって、一緒に生きようって。でも出来なかった。
 説得したとしても、その後母さんがどうなるかなんて手に取るように分かっていたから。その考えしか俺にはなかった。
 首絞められてても頭って働くんだなって分かったよ、気付けば母さんは倒れてて、俺の手には果物ナイフが握られていた。少しでも手の力を緩めると粘着質な音が聞こえて何の音なんだろうとそこを見たら真っ赤だった。
 それからの記憶は曖昧で知らない内に俺は家を飛び出してた。どれぐらいの距離を歩いたのか、走ったのか分からない。学校から帰るときは晴れてた空もいつの間にか結構キツイ雨になってて、丁度いいやって。自分の手を雨で洗った。
 これからどうしようとか考えるのも億劫で、どうしようかって考えるよりどうなるんだろうの方が思考的に上回っていたのは覚えてる。行き違う人の目とか気になって、まるで自分が今さっき何をしたのかを知ってるような、そう考えたら怖くなって自然と人通りの少ない場所を選んで歩いてしまうわけで。
 しまいに歩き疲れて建物と建物の間に出来るだけ、出来るだけ小さく蹲って休んだ。
 周りは真っ暗で目立ってた建物の明かりとかも一つずつ消えていって、人の話し声も段々聞こえなくなっていって、雨の音しか聞こえなくなった。


その時に会ったんだよ、あの人に。



『 … 家 出 し た の ? 少 年 。 そ の ま ま じ ゃ 、 風 邪 ひ く ね ? 』



「…誰やねんそれ」
「………criolloさん」
「なんやて?」

 会長の眉間に深く皺が刻まれ、視線が鋭くなった。

「不思議な人で、その時の俺にはその人が誰なのかどういう人なのかとか、もうどうでもよくて、寂しかったんだよ。怖くて…」

 俺は自分の両手を数回こすり合わせて力一杯握ると同時に深く息を吐いた。目を閉じればまるで目の前にいるのではないかと思ってしまうぐらい鮮明に写し出されるあの人。俺が黙っているのにイラついたのか、会長は俺の名前を呼んだ。
 閉じていた目を、開ける。


 criolloさんは傘もささないで俺と同じびしょ濡れの状態で目の前に立っていた。
 辺りは真っ暗なのに、その暗闇の中に立っているのにも関わらず、俺には彼の瞬きの瞬間とか微かに動く長い睫毛とかはっきり見える。暫く状況が理解できずただ彼を見上げていたら家出したのかと訪ねてきた。何も答えないでいると、そのままじゃ風邪引くねと言ってきた。声に色がなかった。背筋がぞくりとしたけれど、それは雨に打たれて体が冷えてしまったからだと自分に言い聞かせたよ。
 何も言わない何もしない俺を見てた彼は、俺の手を優しく掴んで立たせてくれて。長時間同じ体制だったせいか、足が痺れてうまく力が入らず顔を歪めたら次は前髪で隠れていた俺の視界が開けたから驚いた。
 彼が俺の前髪をよけたんだと理解したのはその人を見上げた時だった。蹲って見上げるより格段にcriolloさんとの距離が近付いてて、彼の目は翠色で綺麗だなって思って見蕩れていたら。

『 綺 麗 な 瞳 … ま る で 月 み た い だ … 』

 そんなことをさらりと言うもんだから、俺は恥ずかしくなって顔を下に向ける。その反応が可笑しかったのか小さく笑っているのが分かって居た堪れない気持ちになっていると名前を訊かれた。
 心臓が跳ねた、名前を聞いてどうするんだろうって思って脂汗が滲んだ。
 知らない内に震えていたのか、それを宥めるようにcriolloさんは俺を抱き締めてくれて。それがあまりにも優しすぎて、criolloさんの胸に顔をこれでもかって押し付けたら香水の香りだろうか、甘い匂いがした。
 人の体温を感じて緊張が解けたのか、馬鹿みたいな量の涙が溢れてきて。申し訳ないと思いながらも泣き顔を見られるのが嫌で、俺はぶらりとさせていた手をcriolloさんの背にまわせば、彼もそれに応えるこのように抱き締める力を強めてくれた。
 criolloさんは数回、俺の旋毛にふわりと唇を落とすと、小さく、本当に小さな声で大丈夫だよと俺の耳元で囁いた。
 その声に応えるよう俺も小刻みに頷く。そして。

『 俺 は … 』




― 俺 の 名 前 は 、 武 原 満 月 。





prev|Next

 BookMark

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -