novel | ナノ

バスルームにて心中

 いつもならさっさと風呂に入り年頃の女とは思えない早さで上がってくる九兵衛だったが、今日は一つに束ねていた髪を解いたところで手が止まっていた。
 ――どうしよう…、やはり止めると言ってしまおうか。
 浴室には既に先客がいる。もちろん九兵衛がそこへ無断に押し入ろうとしている訳ではない。他でもない先客である彼自身が、一緒に風呂にでも入るかと誘ってきたのだ。
 それが何を意味しているのか、よもや家族風呂のようなほのぼのした団欒の図を思い描いた訳ではあるまいに、恋人二人で風呂に入るという行為にあまりにリアリティが無さすぎた為か、九兵衛は深く考えずに承諾してしまった。もしかすると、あれが『流れ』というものなのかもしれない。
 だからこそ現実が物凄く近くに押し寄せて来たところで、彼女は逡巡していた。恋人達で交わすその行為が今まで二人に無かった筈もないのだが(でなきゃどうしてこんな状況になる?)、明るいところに自分の姿を晒すのは初めてだと思う。
 そしてここであえてハッキリ言おう…。自信がないのだ、自分の身体に。 サラシで押さえていた為か成熟した女性とは言い難い小さな胸、日々の鍛練でひき締まった筋肉。女性らしい柔らかさがなく、まるで少年のようだ。こんな貧相な身体彼には、…銀時には見られたくない。

 溜め息をついて、いよいよもって無理だと思ったそのとき、浴室から問題のその彼の声が届いた。

「九ちゃんまだー? 銀さん一人でのぼせちゃうよ?」

 言葉では急かしつつものんびりと間延びしたその声。どう申し訳しようと考えていたところに、急に声をかけられた為か九兵衛はまたも深く考えずに「ああ」と返事をしてしまった。
 ……こうなればもう腹を括るしかない。彼女は覚悟を決めて服を脱ぎ捨て、ついでに眼帯も外すとタオルで前を隠して風呂場の戸に手を掛ける。脱衣場の鏡からは、敢えて目を背けた。
 引き戸を開けると気温と湯の温度差の為か濃い湯気が風呂場を霞ませていた。彼はその霞みの中で一人湯船に浸かり、いつものやる気のない目で九兵衛を見やって、不敵な微笑を浮かべていた。自分に比べて余裕たっぷりの相手に釈然としないもどかしさを感じつつ、九兵衛も早々と湯船につかる。
 ひたひたに満たされていた湯は体積が一人から二人分に増えたことで盛大に溢れ出たが、彼女は気にしなかった。むしろ湯が床に打ち出され、更に湯気が濃くなったことに安堵した。そこで銀時が少し困ったような、呆れたような声で九兵衛に呼び掛ける。

「そんな反対側で縮こまってないでさ、こっち向かない?」

 彼女は湯船に入るなり銀時に背を向け、とれるだけ距離をとって膝を抱えている。どうしても彼の方を向くことが出来なかった。湯は澄んでいて、向かい合えば互いの体が丸見えだ。
 そんな九兵衛を察したのか、銀時は向こうを向いたままでいいからせめて傍に来いと腕と脚を広げスペースを空ける。そうして彼女もようやくいそいそと身を寄せた。

「やれやれ……、君どんだけ照れ屋さんなの」
「し、仕方ないだろう!子供の頃父上やおじい様と入った以外で、誰かと風呂を共にしたことなどないのだから緊張もする」

 九兵衛を抱き抱えるような態勢をとっている為に顔は窺えないが、銀時の目線から見える耳が真っ赤になっているのは風呂の熱のせいだけではないだろう。そんな九兵衛のウブなところも、むきになるところも、とにかく可愛いと思った。

 ふと悪戯心が疼き、銀時はその赤くほてった耳をかぷりと甘噛みする。九兵衛の心臓は跳ね、思わず小さく声を上げてしまった。切なさと甘さの混じった小さな小さな悲鳴だった。
 唇が首筋へと移り、数ヶ所音を立てて軽く吸い付く。九兵衛の吐息がだんだんと浅くなり、時々くぐもったような声を洩らした。

「銀時、」

 不意に、彼女がやんわりと彼の名を口にする。うわ言ではなく、確かに呼び掛けるようなその声音に銀時は愛撫を止め、次の言葉を待つ。調子に乗ったと思われて怒られるのかな、とにわかに焦った。

「…君を」

 彼女の首筋は既に唇から解放されているのにも関わらず、か細く切ない声だった。

「君を失うのが、……怖い」
「……!」

 予想を大きく離れた言葉に、一瞬頭の中が真っ白になる。次いで、まるで九兵衛の切ない響きに共鳴するかのように銀時の胸が締め付けられた。
 どうしたんだと聞く前に、彼女はまたぽつりと言う。

「僕はちっとも女らしくない。物言いも、態度も、……唯一の女の証である体だってこんなに貧相だ。何よりも問題なのは、これはみんな僕そのものとなってしまって、今更改めることが出来そうない。……だから、」
 それ以上は続かなかった。九兵衛が言葉に詰まったというよりむしろ、銀時に強い力で抱き締められたせいだった。

「九兵衛」

 ――あぁ、彼は怒っている。そう思わせる程堅く、強い語気だった。思わず「すまない」と言いかけるも、銀時がそれを遮る。

「まさか忘れた訳じゃねぇよな?初めて会ったとき、俺は最初っからお前が女だって見抜いてたこと」

 そこで少し、九兵衛を抱き締める彼の腕の力が緩くなった。それでも尚、銀時は彼女を放そうとしない。

「俺の中じゃ、お前はとっくに女なんだよ。どこの受け売りかは知らねーが、そんな型にハマった“女らしさ”持ってても、それがお前じゃないなら俺には意味がねーんだ」

 じん、と胸が痛んだ。
 九兵衛が銀時と深く繋がれば繋がる程に、その心を締め付けていた鎖が音をたてて千切れる痛みだと思った。
 堪らず、九兵衛は振り返り彼に縋りつく。銀時は何も言わずに只、抱き締め返した。
 恐らくこの胸の痛みも、相手を思う苦しい程の愛しさも自分達は共有している。虚勢もしがらみも、何もかも脱ぎ捨てて初めてそれを気付くことが出来た。

 視界を霞ませるのは風呂場に立ち込める白い湯気なのか、それとも溢れる涙のせいか。
 眼前の輪郭すら定かでないその世界で、けれども確かに九兵衛は永遠を見た。



――了――

(九ちゃん企画に参加させていただきました。稚拙な出来に恥さらしもいいとこですが、それでもお読みくださった方々、そして主催者様に感謝です。それにそう…、この頃は銀九にはまっていたんだ私…。)

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