novel | ナノ

ワールドジャック

 己の牙を自覚した。あなたが自分の弱さを認め、柳生という世界を受け止め、そちらから歩み寄り始めた頃から。あなたがその強さをそのままに、かつてのように素直な感情を表に出すようになってから、俺はあなたへの狂った想いを押さえられぬようになりつつある。
 この狂気に満ちた感情ならば、なんのことはない。あなたが父と祖父に泣いて訴える姿をこっそりと盗み見て以来、その潤む瞳も、そこから流れる涙も、儚げな姿も、悲痛な叫びも――あなたの美しさ、あなたの醜さ、俺はそれら全てを欲するようになっていた。出会いとは、すなわち、狂気の訪れ。
 それを今まで押さえていられたのは、あなたを悩ます状況から攫ってしまえる程の力が、まだ幼い自分にはなかったこと。力を得たときには既に柳生への敬意という鎖を、自分に課していたということ。そして何よりあなたが柳生の者に対し、心の奥では気を許していなかった為だ。その壁があなたの姿を隠し、俺は機械的に主の命にだけ従う一門弟として生きることが出来た。あなたは俺の世界そのもので、それを凌駕することは決してなし得ぬことなのだと。
 しかしあなたが武者修行を終えた後の例の騒動をきっかけに、その厚く築かれた壁は徐々に重々しさを失い、遂には溶けきる。そして再び姿を現したのは、柳生の運命を悲痛に生きるあなたではなく、強く美しく成長した“あの少女”だった。欲しくて欲しくて堪らなかったモノが今、自分のすぐ近くにあった。
 途端に庇護欲でもなく愛欲でもない、もっと純粋で粗悪な――“物欲”と呼ぶに相応しい欲求がこの体を蝕む。食い込む爪も気にしない程欲しいままにそのか細い背中を抱き、痕が残っていくことも気付かぬ程にその白い首筋に夢中で食らいつきたかった。

 『鎖、鎖が必要だ。この醜い感情を抑え、あなたを傷つけない為の』

 あなたが楽しそうに笑っている。それを見ているとこの心にも温かな感情が湧き上がる。
 だがそれが自分にでなく他の者に向けられていたとき、この心は逆に刺々しく凍り付く。それは人間味を取り払い、表面上はむしろいつもの俺と変わらなく見せているのだろう。しかしその内に秘める狂気は岩漿のように熱く邪悪に暴れ、今すぐにでも自分以外の男を消してしまいたいと願っている。

 『鎖、鎖が欲しい。この憎悪を抑え、あなたを取り巻く幸せを壊してしまわない為の』

 北大路、とあなたが俺に呼び掛ける。その響きの、なんと心地よいことか。すぐ隣りにあなたが立つ。その香りの、なんと甘いことか。あなたが何の気もなく俺を見上げる。その澄んだ瞳の、なんと美しいことか。
 それら全てが俺の自制心を大きく揺るがすとも知らずに、あなたはこんなにも近くにいる。

 『鎖、鎖を下さい。あなたに触れたいと疼くこの腕を抑え、信頼を裏切ってしまわない為の』


***
 ――どうした北大路?二人きりで話がしたいだなんて。

 尋ねるあなたの表情は不思議そうに眉を寄せてはいるが、そこに警戒の色は微塵もない。気付かれないようこっそりと錠を下ろし、二人だけの密室を作る。

 『あなたは俺の世界そのもの。俺はあなたの意思を越えることは出来ない』

 ――…お前、一体どうした。泣きそうな顔をしているじゃないか。悩みごとか?僕で良かったらいくらでも力になるぞ。

 振り返った俺の顔を見るとあなたは一人で早合点し、心配そうに側に寄る。その無邪気なところが堪らなく愛しい。しかしこれは泣きそうな表情ではなく、喜びに満ち溢れた表情なのだと俺は心の隅で嗤った。

 『あなたは俺の世界そのもの。感情も思考もあなたが認めたものだけを抱こう』

 ――大丈夫か?

 何故だかあなたは泣きそうな顔をしていた。きっと俺もあなたの目にはこんな風に見えるのだなとぼんやりと考える。しかし今頭の中のほとんどを占めているのは“あなた”という世界への反逆に対する歓喜と嘆き。やっと手放すことが出来る。遂に手放さなくてはならないのか。
 なかなか応えない俺を心配してか、あなたの手がおずおずと伸ばされた。消えつつある“あなた”の世界の中での俺が、最後にその白く美しい手を見た。――幸せだと、ソレは思った。

 そして俺は伸ばされたあなたの手がこの体に届いたその瞬間、自分のものよりずっと細いその手首を掴む。驚くあなたの、ひゅっと息を飲む音。それはきっと世界侵略の合図。力と狂気を共にし、遂に、俺は――



 『世界を手放した。』
 あなたの手を取った。



――了――

prev / next

[ back ]


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -