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柳緑花紅

 それから九兵衛が涙を流し尽くすまで、彼らは側にいてくれた。そうして気のすむまで泣いて一息つくと、彼女は四天王に向き直りもう一度だけ礼をする。再び上げられた顔はどこか晴れやかな表情で、九兵衛はしっかりとした口調で彼らに言う。

「もう大丈夫だ。僕はこれから父上達と話したいから、お前達は怪我の手当てをしてもらえ」
「若、」
「これからのことについて僕だけで父上達と向き合いたい。……心配するな、東城」

 あくまで側についてくれようとした東城を、けれども九兵衛はやんわりと止めた。これ以上彼らの怪我を放っておかせる訳にもいかなかったし、何より彼女の考えるべき問題は一人で向き合えなくては意味がなかった。そして向き合うことが出来ると自分を信じられる程の強さを、今の九兵衛は有していた。
 それはきっと結ばれた多くの絆があるから。勿論、彼ら四天王達との絆もそこにあった。
 だから彼らを安心させるよう少しだけ微笑んでみせて、九兵衛は父らの元へと歩きだす。
 主の背中を、四天王達はただ黙って見送った。

 結局そのときを最後に、この日東城らと九兵衛が再び会うことはなかった。果たして九兵衛が輿矩や敏木斎らと何を話し合いどのようなやり取りがなされたのか、彼らには知る由もない。疲弊し傷の痛む身体を休めつつも、四天王達が案ずるのは主のことだった。


***
 彼らが九兵衛と会うのは夜が明け、日が変わってからのこと。
 輿矩からしばらく稽古は休み養生しろとのお心遣いがあったので、四人はいつもより遅い時間に朝食をとっていた。昨日の疲れからか、いつものような五月蠅いやりとりはない。
 だがそこにいつもと違う風が入り込んだ。

「邪魔するぞ」

 声が響き障子が開く。そこから顔を出したのは九兵衛その人。突然の主の訪問に四天王は面食らう。

「若、おはようございます。……どうされました」

 いち早くそう訊いたのは東城であった。確かに誰よりも九兵衛に会いたいと思っていた彼であったが、まさか彼女の方から出向いてくるとは考えておらず僅かに動揺している。
 九兵衛は彼らの動揺などお構いなしに問い質すように言った。

「お前達こそどうした。朝稽古の時間はとっくに始まっているぞ」
「は……?」

 よく見れば九兵衛は稽古着姿で、右手には竹刀が携われていた。――四天王達の空気が凍り付く。

「え…でもあの、輿矩様は休むようにと……」

 おずおずと南戸が言い及ぶ。正直なところ四人の身体はボロボロであった。南戸は身体中打ち身だらけだし、西野は頭をかち割られている。北大路は秋の寒空にも関わらず池に浸かった為か熱を出していたし、東城は肋骨にヒビをいれられていた。その状態で若と稽古とあれば、その先に待つのは恐らく死…――彼らは一様に冷や汗を流した。どうか考え直して下さいと、四人全員が彼女を見つめ次の言葉を待つ。
 しかし九兵衛は父の命など関係ないとでも言うかのようにフンと鼻を鳴らす。

「父上は甘いのだ。はっきり言わせてもらうが昨日の勝負は散々な結果だった。こともあろうにお前達の誰一人として敵側の皿を割れず破れるとはどういう了見だ。それでも柳生四天王か」
「そ、それはですね」
「言い訳はいい。……いや東城、お前に関しては敵どころか仲間の皿を割っていたな。どうせならそちらの弁解をきこうか」

 辛辣だが真っ当な主の問いに東城の顔から血の気が引いた。南戸は気まずそうに痛む己のうなじをさする。


「とにかく。揃いも揃ってたるみ過ぎだ。僕が直々に稽古をつけてやる」
「で、ですが、若もさぞお疲れでしょう。ちゃんと休まれなくては……」

 ここは何としてでも主を止めなくてはと、西野は慌てて言った。だが九兵衛はフッと不敵に笑う。

「見くびるな。あの位の闘いなど僕にとっては準備運動に過ぎん。――それにお前達も昨日言っていただろう、腕を磨きたいと」

 言った。確かに言ったし、嘘でもない。だがまさか昨日の今日でこうくるとは思いもしなかった。誰もがほんのちょっとだけ、自分達の昨日の発言を後悔する。
 だがそれを差し引いてもこの九兵衛の厳しさは異常だ。おまけにたじろぐ四天王をあざ笑うかのように口元には妖艶な笑みを浮かべている。ドSの表情だ、と南戸だけが密かに思い、二日連続でその顔を拝むという自分の不幸を呪った。
 もしかすると昨晩の輿矩らとの話し合いで何かあったのだろうか。ピンと張り詰めた空気と主の厳しい目付きに、戦慄が走る。死を、覚悟した。
 が、そこで急に彼女は破顔し吹き出すように笑った。

「……え?」
「すまんな、冗談だ。僕だって流石にそんな仕打ちは出来ない」

 四天王の反応が余程可笑しかったのだろう、朗らかに笑いながら九兵衛は言う。どうやら彼らをからかってみたらしい。何にせよ、九兵衛が本当に稽古をさせるつもりでないことを悟り、四天王達は安堵の溜め息をついた。

「人が悪いですぞ、若」

 弱り切った口調で東城は言うが、決して怒ってはいない。それでも申し訳なさそうに苦笑して、九兵衛は弁解する。

「悪かった。本当はもう一度昨日の礼がしたくて来たんだがな」

 だが彼女はどう切り出せば良いか分からなかった。加えて食事中の四天王達の静けさも気に掛かった。だからこんな一人芝居に出てみたのだ。

「それに……」

 四人を見つめ、少しだけ恥ずかしそうに九兵衛は言う。

「お前達と早く稽古がしたいというのは本当だ。……だから今はしっかり養生しろ」

 そうして最後に見せた笑顔はまるで花が咲いたかのように明るく美しく、何より彼女自身の心の動きが素直に表れたもので。――そのような主の表情をみるのは四天王達にとっても随分と久しいことだったので、皆その笑顔に見入ってしまった。
 そして。

「――若ぁぁあ!」

 感極まって、東城が痛む身体をものともせずに九兵衛に駆けよった。――だが。
 ピシャリ。彼の鼻先で障子は高速で閉じられる。

「…そんな元気があるなら、本当に今から稽古をつけてやろうか?」

 障子の向こうから呆れるような声が聞こえる。「そんな……」と情けない声ですがりつく東城。結局この展開かと、他三人は溜め息をついた。
 それでも交わされるやりとりが前とはどこか違うということに、四天王達も九兵衛もちゃんと分かっていた。そしてその目に見えない変化は、決して悪いものではないということも。
 今回の騒動のように、またいつ彼らの前に大きな問題が立ちはだかるとも限らない。或いはそこに、別れがないとも決して言い切れない。
 だがきっと、そのような状況に面しても九兵衛と柳生四天王は正面から向き合い互いを信じ合えるであろう。何故なら彼女達の間には以前より深い絆が存在しているのだから。
 そう、だからこそ彼ら四天王は今漸く見ることが出来たのだ。ずっと待ち望んでいた、主の心からの笑顔を。



――了――

りゅうりょく-かこう【柳緑花紅】
春の美しい景色の例え。また、あるがままの自然を表す。
(参考:四字熟語辞典/学研)

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