novel | ナノ

願うは其方の傍ら

 静かな夜だった。怪我の療養をしている九兵衛に憚ってか、家中の誰もが皆足音すら忍ばせているようだ。
 暗い自室に起き上がれるでも眠れるでもなく横になっていると一人取り残されたような感覚を覚える。だからといって別段何と思うこともない。もう自分は子供ではないのだという自立心が、かえってこの孤独を楽しんでいるようでもあった。昼間は煩わしい喧騒の中心に立たされていた(実際は布団に横になっていた訳だが)のだから尚更だろう。
 冷ややかな心地よい静寂の中、九兵衛は闇を見つめていた。見上げる部屋の光の差さない天井などとは比べ物にならない、左目に生まれた真の闇。それに気がついたのが今日のこと。

 強い衝撃を受けたことによる失明。九兵衛自身驚きはしたものの、意外に呆気なくそれを受け入れた。大切な人を護る為に決死の覚悟で挑んだのだ。命と刀腕が無事なことに感謝しなくてはならない。お陰でこれからも“彼女”を護っていけるのだから。
 しかし父や東城らにとってはそうでは無かったらしい。本人以上に驚愕し、狼狽した。いつから見えないのかと問い出され、何故そのような涼しい顔でいられるのだと嘆かれ、お可哀相にと憐れまれるのは申し訳なく感じる反面当惑もした。心配してくれる気持ちを無下にするつもりはないが、今後立ちはだかるであろう障害の大きさは理解しているつもりで、それを乗り越える覚悟も在る。その“強さ”こそ、これまで自分に求められてきたものではなかったか。

「……」

 闇は静かだ。ただ黙ってそこに在る。九兵衛はそれに奇妙な連帯感を感じ始めていた。決して味方ではない、無情なる障壁。けれど自分の側から離れることのない確固たる存在。
 それを見つめ、ときに睨み、――そうしているところにふと部屋の外に人の気配を感じた。見やると障子越しに人影が映り、声が掛かってくる。

「お休みのところ失礼します。入っても宜しいでしょうか」

 名乗らずとも誰と分かる聞き覚えのある声を認め、九兵衛は一言やって部屋に通した。すっと音も無く障子が開くと、入ってきたのはやはり北大路である。

「……お前も聞いたのか」

 恐らくは失明のことについて。昼までに家の者でそれを知っているのは父と祖父と東城だけであったが、古参の門弟にはそろそろ話が届き始めているのだろうと九兵衛は思っていた。予想に違わず彼は頷いて答える。

「左目が見えなくなったと」

 声は存外しっかりしていて、別段いつもの調子と変わらない。薄闇の中の表情は硬く神妙ではあったけれど、彼においてはそれもまたいつも通りだと言える。
 他の者と異なる反応を示すことに、九兵衛は変わった奴だと思いつつも決して不愉快には感じなかった。その態度はこの左目の闇に少し似ている気がして、どういう訳か微笑ましさすら感じる。
 お加減は如何ですか、特に大事ない、という他愛ないやり取りの後少し間が空いて、やがて再び口を開いたのは九兵衛の方からである。

「気に病んでくれる父や東城には悪いが、僕は別に片目くらい惜しくはないんだ」

 口をついて出たその言葉は独白に近い。不謹慎とは分かりながらもこの胸中を誰かに分かって貰いたくて、彼ならばと語りかけた。

「刀が握れなくなった訳ではない、まだ闘っていける。――そう思う僕は、やはりおかしいだろうか」

 しばしの沈黙。ややあって「いいえ」という北大路の平坦な答えが返ってきた。そこに揺らぎは無い。九兵衛の中に芽生えつつある狂気を、彼は否定しなかった。

「北大路、」

 静寂の中を一人心地よく漂っているなかで、九兵衛が彼を部屋に通したのには訳がある。頼みたいことがあった。

「何でしょう」
「身体が動けるまでに回復したら、直ぐにでも稽古に付き合ってくれないか」
「稽古、ですか」

 そのお身体で、と病後の心配をして咎めるような言葉は出ない。あるいは思いながらも、あえて口にはしなかったのかもしれない。すでに彼は己の役割を見きわめていたようで、どれだけの者が否定しようとも自分はこの主の意志を全て是とすると、盲信といえるまでの忠誠をその胸に抱いていた。
 愚かな真似だという自覚は無論彼の心にも在る。分かりながらそれでもなお北大路は主の糧となれるならば、彼女の側に仕えられるのならばそれで良いと、生まれゆく悲痛から目を背けながら従うことを選んだ。

「若の望みとあらば、お引き受け致しましょう」

 そう答える北大路に満足げに微笑を浮かべ、九兵衛は再び静寂へと意識を帰す。

「強く、ならなくては」

 そのか細い喉には似合わぬ低く重々しい響き。瞳は目の前の世界を何一つ映さずに、ここにはいない誰かの姿を追っている。
 九兵衛の朧気な双眼に、――果たして光が入らなくなったのはどちらの目であったか。判然としないまま、北大路は彼女の狂気に身を委ね、何かを悼むように一人静かに瞳を閉じた。


――了――

御題元:SNOW STORM

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