novel | ナノ

溜息

 思いがけない光景に目を見開き、思考はただ無能に停止するばかりである。
 おいおいおい、何この状況?

「……何やってんすかアンタらー!」

 数秒後やっと回路が復旧し状況判断能力が働くと、棒立ちになっていた南戸はまずその目の前の光景に叫んだ。『アンタら』とは稽古場の戸を開いてそこにいた北大路と九兵衛のこと。そして彼が声を張り上げてまで指摘したかったのは何よりその状況についてだった。
 九兵衛は床にへたりこみ困ったような顔で今し方現れた南戸を見上げ、北大路は彼女に覆い被さるように膝をつき首だけを巡らして横目で睨みつけてきている。二人のあまりに近過ぎる距離と表情から南戸はすぐに状況を察した。これはどう見ても北大路が若を押し倒したに違いない。あわやというところに自分が差し掛かった訳だ。
 かっと頭に血が上り大股で二人に近付くと南戸は北大路の胸ぐらを掴み乱暴に引き上げる。歯を食いしばり凄んで睨み付けているのにも関わらず冷ややかな目付きを崩さない相手が一層憎らしい。
 ふざけんなコイツ……!

「やめろ南戸!」

 腹立ち紛れに一発お見舞いしてやろうと右手を振り上げたそのとき、それを見た九兵衛が慌てて止める。ぎりぎりまで振り上げられた拳も彼女に制されれば歯を食いしばって下ろすしかなかった。しかし納得がいかない。北大路は無礼を働いたのではないのか。
 不満げな顔をしている南戸に九兵衛は溜め息をつき、自分も立ち上がると事情を説明した。

「稽古に夢中になっていたら竹刀が立て掛けられているところに気付かず僕が後ろ向きにぶつかってしまってな。一気に倒れかかってきた竹刀の束から、北大路が身を呈してかばってくれたんだ。避ける際バランスを崩して二人とも倒れたところに丁度お前が来た、とこういう訳だ」
「……」

 言われてみれば確かに、先ほどまでは頭に血が上って気が付かなかったが床には竹刀の山が散乱していた。怒り心頭に達したものの自分の早合点だったと気付き南戸は言葉に詰まる。放心してその両手から力が抜けているのに気付くと、北大路はさっと身を引き乱れた稽古着を直した。至って涼しい表情である。その余裕がまたも南戸の癇の虫を騒がせる。

「今日はここまでにしましょうか。後片付けは俺がしますので、若はどうぞお戻り下さい」

 主に告げて北大路は稽古をつけてもらった礼をすると、そのままテキパキと作業に入った。九兵衛は一瞬迷うような様子を見せたが彼の申し入れを素直に受け取ると「では先に失礼する」と身を翻し、稽古場を後にした。居心地悪そうにしていた南戸は九兵衛の背中を見、それから北大路を見る。すると彼らの目が一瞬だけかち合う。北大路の鋭い目は「お前も去ね」と静かに主張し、そこには侮蔑の色すら窺える気がした。
 再び湧き上がる怒りにこめかみが引きつったがこれ以上奴と一緒にいるなんてそれこそ御免だと、南戸は九兵衛を追うようにしてその場を後にした。


「ところで、何か用があったんじゃないのか?」

 廊下を歩く九兵衛を追うと、それに気付いた彼女は南戸に問い掛けた。そこで漸く何の用があって九兵衛を探しに稽古場を訪れたのか思い出す。

「東城さんが若を探してましたよ」

 なんでも明日の外出のことで話があるとか。そう続けると斜め後ろからでも分かるくらいに九兵衛は呆れたような溜め息をついた。なんとなく南戸も予想していたような反応だ。

「また一緒についてくるとか言い出すんじゃないだろうな」
「さあ……どうっすかね」

 あるいはまた新手のゴスロリ服を取り出して「お出かけならば是非これを着ていって下され!」とでも言うのかもしれない。いずれにしろ九兵衛が私用で街へ出るときにはお馴染みとなったやり取りだ。一見微笑ましいようで両者の主張が込み入った場合には九兵衛によるバズーカも辞さないだけに周りの、ことに南戸にかかるとばっちり等は堪ったものではない。
 それでもなんだかんだで九兵衛の足が東城の方へ向いてることに感心しつつ、少しでも彼女を冷静にさせておこうと何気ない話を切り出した。

「ところでー……若は明日どちらに出かけるんですか?」
「うん?――ああ、武具屋に、ちょっとな」
「武具?」

 てっきり友人と遊びに行くものだと思いこんでいた南戸は不意を突かれる。

「道場の稽古に使う道具などを揃えに。そんな用事だし北大路も一緒だからあいつの気遣いは必要ないのだが、……南戸、どうした?」

 急に立ち止まりだした南戸を振り返り、怪訝な顔をして九兵衛が尋ねる。彼はまたも棒立ちになって、気が遠くなったようにしばらく視線を空に泳がせていた。
 かと思えば遠慮がちに「あー……」と意味のない声を発し、

「それって、北大路と二人で行くんですか?」

 まさかなと思いながらも訊いてみる。

「二人で、というか他の者がいないだけだけどな」

 ……つまり同じことだ。どうやら北大路はちゃっかり彼女と二人きりで街へ行く約束を取り付けていたらしい。用事こそ色気はないものの、南戸から見ればそれはデートも同然だった。胸の辺りに言い様のない靄(もや)が渦巻く。
 そうはさせるかと心の中であのいけ好かない鉄面皮に啖呵をきり、あくまで自然を装って申し出てみる。

「良ければオレもご一緒させてくれませんか」

 振り返っていた九兵衛はやや目を丸くした。まさか彼までついて来たがるとは思いもしなかったからだ。何故こいつらは大したことのない用事にいちいち興味を示すのだろう。実際は己自身がその要因であるとは露ほども知らない九兵衛が、呆れ顔で見返してくる。くじけず、取り繕うように付け足す。

「道場の用事なら、もう一人ぐらいいた方が良いでしょう? 北大路じゃ若に全面賛成しかねませんし、なるべく多くの意見を取り入れる為には」

 いかにもそれらしい言い訳に我ながら苦笑しつつ、反応を窺う。相変わらず毒気を抜かれたような顔をして、しかし確かにそれも道理だと彼女は納得の色を浮かべているようだった。

「僕たちの一存だけで決めるのは確かに問題があるかもしれないな。二人を連れだって行くとあれば、東城も少しは安心出来るだろう。……分かった、そうしよう。北大路には後で僕が伝えておく」

 よっしゃ!と思わずこっそりと拳を握り、南戸はお得意の人好きのする笑みでもって返す。九兵衛は再びすたすたと先を歩いて行った。彼の、及び彼らの真意を気取る様子もない。純粋で真っ直ぐなのは結構なことだが、もう少し察してはくれないかと余計な心配をしてみる。
 しかし北大路が一人で美味しいところを持っていく計画は阻止出来たものの、彼との衝突と面倒事はどう考えても避けられない訳で。南戸は明日その身にかかるであろう莫大な心労を推し量り、今日何度目になるか分からない深い深い溜め息をついた。


――了――

prev / next

[ back ]


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -