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夜這いという慣習そのものを否定するつもりはない。男女問わず、それを楽しみにしている層が一定数いるのは知っているし、それがきっかけで結ばれた仲睦まじい夫婦は何組もいる。強姦紛いのことが起こったという話も聞いたことがない訳ではないが、基本的には閨に忍び込まれた女性側に拒否権があり、あくまでも自由恋愛の体裁を取るのが粋とされている筈だ。行為を強要したって後々語り草にされて男性側が惨めなだけである。以上を踏まえて、敢えて言おう。やっぱり深夜に寝込みを襲うのは倫理的によろしくないのではなかろうか、と。
「どういう心算ですか、後藤様?」
「どういうつもりも何も…ねぇ?頭の良い軍師様には俺様の考えることくらいお見通しなんじゃないですかぁ?」
侵入者は皮肉っぽく口許を歪めた。爬虫類じみた顔に、生理的な嫌悪感を催す。私が軍師の端くれだったのは、もう随分と前のこと。その頃から、私はこの男が苦手だった。
「ほらほら、わかってるんだろ?わかって期待してるんだろぉ?」
相変わらずの粘着質な物言いに、鳥肌が立つ。こちらを舐めるように見詰める光の無い双眸に僅かな期待が浮かんでいるのに気付いて吐き気がした。虫のように這いずってくる様に我慢ができず、此方に伸ばされた手を払い落とした。
「何故、今なのですか…後藤様」
逆上して掴みかかってくるかと思いきや、相手は畳に突っ伏して動かなくなってしまった。今の隙に人を呼ぼうかと思ったが、この男と寝所で二人きりになっているところを他人に見られたくないので我慢した。

かつて私は後藤様の上司に当たる黒田様に師事していたことがある。彼の人が九州に流されるよりも前のことだ。男所帯だったので、たまに顔を出す私はチヤホヤと可愛がられた。当時頂いた恋文に後藤様からのものは無かったように思うが、そんなことはどうでもいい。女の癖に…という偏見の目もあったようだが、私に兵法を教えてくれていた黒田様がそれらをすべて退けてくれていた。女の方が余程狡猾だし、男の裏をかくのはお手の物だ、というのである。筋の通らぬ理屈だが、私は嬉しかった。
人情というのは不思議なもので、優しくされればすぐ心が動く。当時、まだあの不恰好な手枷の無かった師はあの大きな手で私の頭を撫でながら、小生には勿体無い弟子だと誉めてくれた。私は優秀だったが、それもその筈で、好いた人からの教えは全身全霊で覚えていく女人の性質が大いに働いたからである。私は彼を慕っていることを隠そうとしていなかったから、本人を含めてかなり大勢の人間が私の気持ちに気がついていた筈だ。その内、黒田様には恋女房がおり、生涯他に妻は持たぬと公言していることを知った。失恋である。
そんな資格微塵もありはしないにも関わらず、私は黒田様に裏切られたと感じた。傷付いた私は豊臣方の混乱に乗じて軍事から手を引き、田舎に戻って今に至る。後藤様のことなんて、今晩目の前に現れなければ忘れてしまっていただろう。黒田様のことだけは、今でもたまに夢に見るけれど。


畳に両肘をついて体の前で交差させ、腕の中に頭を抱え込むような体勢のまま、後藤様が動かなくなってしまって久しい。いい加減眠たくなった私は、帰って欲しい一心で彼に優しく呼び掛けた。
「後藤様…?」
「気安く呼んでんじゃねぇぞ、この売女…どーせお前も腹んなかじゃ又兵衛様のこと馬鹿にしてんだろぉ?」
地獄の釜の蓋が開くように、後藤様は顔を上げた。売女と罵られたような気がするが、空耳だということにしよう。それより、私は自分の目で見たものが信じられずに、それこそ馬鹿のように呆けた。
「え…?」
「畜生ッ…見てんじゃねー、よ」
畳の上に雫が落ちる。後藤様はハラハラと泣いていた。蝋人形のような色の無い頬に涙の筋が出来るのを、私は息を飲んでただ見詰めた。
「お前だったら、と思ってよぉ…必死に探したんですよー…そりゃあもう必死に、必死にさぁ」
黒田様は独り言のように呟く。もう泣くのはやめたようだが、奇妙に据わった目をしていた。
「それなのに俺様を拒むとか、有り得なくないですか?殺しちゃってもいいんじゃないですか、ねぇ?ねぇ?」
物騒な独白を聞きながら、私は段々彼のことが可哀想に思えてくる。彼の語る殺意は逆恨みでしかないが、私にもうんと身に覚えがあるものだった。共感に突き動かされて、私は後藤様に自分から近付いていった。
「さぁーて、どうやって…っ!?」
「後藤様、そんなに私のことを想っていてくださったなんて知りませんでした、先程までの非礼をどうかお許しいただけませんか?」
後藤様は目に見えて動揺した。自信満々に仕掛けてきたように見えても、その実は身の内に巣食う劣等感に灼かれる男である。拒まれる可能性の方が高いことは流石にわかっていたのだろう。
「し、仕方ないから許してやらないこともないですけどー」
動揺が如実に声に出る。私は出来るだけの媚態で、この卑しい凶暴性だけが取り柄の男に身を寄せた。男を攻略するのも、ある種の兵法に基づけば簡単だ。
「欲しいものがあるのです」
「欲しいものぉ?」
「えぇ、後藤様にしか頼めませんわ」
そういう意味では、私は後藤様を待っていたのかもしれない。彼の言う通り、期待していた、という訳だ。私の自嘲をどう解釈したものか、後藤様が微笑み返してきた。それはぎこちなく醜怪なものではあったが、私はこの男が存外人間的な感情表現をすることに、先程から面食らい続けている。
「黒田官兵衛の首が欲しいのです」
突然出てきた元上司の名前に、後藤様はぎょっと目を見張った。逆に言えば、殺人を示唆されていることに抵抗は無いらしい。
「阿呆官の首ぃ?そんなもん何に使うんですかぁ?」
「使ったりしませんよ、ただ欲しいだけ」
私は悪戯っぽく微笑んだ。逆恨みだろうが、妄執だろうが、きっと後藤様なら理解してくれるだろう。私は彼のそんなところが、反吐が出るほど嫌いなのだが。

2015.08.13 トスカ様へ