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夫が私の為に買い与えてくれた、大きな家に一人で棲んでいる。庭の手入れとお掃除には定期的に人を雇っているから、心配はいらない。あんまり広くて一階を丸々持て余していたから、思い切って改装して、わざと小さめのカフェにした。決して繁盛しているとは言い難かったが、私は空間と暇を潰したかっただけで、お金に困っている訳ではないので、十分だった。
「まさか君が人妻だったとはね」
絵本から抜け出してきた道化師のような風貌の男は揶揄するようにそう言った。私は彼がおそらく天性で以って身に着けているであろう浮世離れした雰囲気を羨むのに忙しくて、注文もとらずに、ただボンヤリと粧した顔を見ていた。私は必死に非日常を演出しようとして、アンティークの家具を使って、店内をノスタルジックに設えているけれど、この男を前にして仮構など、ただ虚しいばかりだった。初見の筈なのに私のことをまるで知っているかのように口にする芝居臭さも、私の好むところであった。恋人がいなければ、私はこの男を好きになっていたかもしれない。ヒソカ、という出来過ぎた名前も含めて。
「この国では結婚してない女性を探すほうが難しいですよ」
この国では重婚が制度として成り立っている。これを聞くと余所者はハーレムを思い描くらしいが、誰にでも際限なく複数の妻が持てる訳ではない。実際にはなかなかシビアで、納めている税金の額に応じて結婚できる人数が定められている。逆に言えば収入が減って養うことが難しくなれば、妻もしくは夫の人数も減らす必要性が出てくるから、離婚もあまりモラルに抵触しない。私の夫は所謂成金で、自らの富を誇示するためだけに沢山の妻を娶っている。そんな風土だから婚外恋愛も盛んだ。私に一人や二人恋人がいたって、夫はきっと気にしない。
「そうだね」
一つ頷いて、含み笑い。会話を打ち切るつもりなんて無いくせに、さも今思いついたという様子で、ヒソカは飲み物を所望した。
「クロロがいつも頼んでいたのと同じものを」
親しいような、親しくないような、ちょっと微妙な温度で呼ばれた愛しい人の名前は、彼もあれで社会生活を営む身であることを私に教えた。私が思い描いていた、都合のいい幻想ではなかったのだ。入り口の薔薇のアーチをくぐるのは美しい恋人がいい。
「ボク個人としては、人妻の火遊びは大好物なんだけど…」
ヒソカはしばらく出てきた珈琲に手を付けることなく眺めていた。道化師が大抵そうであるように、そうしていると酷く感傷的に見えた。まるで恋人に去られた直後のように。
「あの人がねぇ…」
スリルのある火遊びがお好みだというなら、この国の妻たちは少々役者不足かもしれない。不貞なんて言葉はすでに死語の域に達しつつあり、恋愛と結婚は乖離し始めている。私は台所を預かる者ではなく、広い家屋の管理人となるべく婚姻した。幸運だったと思う。一度も結婚したことがないと、流石に奇異な目で見られるし、だからといって子供でも作ってまともに夫婦をやるのは大変そうだし。
「クロロが私のことを貴方に喋ったの?」
好奇心が抑えきれなくなって、こちらから尋ねた。何故だかはしゃいだ調子になった。決まった時間に店を開け、気が向いたら閉める。単調だった私の生活に、一縷の風のように滑り込んできたのがクロロだった。恋愛という贅沢品で以て、彩りを添える為に。
「より正確に言うと、この店のことを、ね」
クロロはここ三ヶ月くらいの間に頻繁に顔を出すようになった常連客だった。オープンしてからまだ一年も経っていないので、馴染みの顧客はとても少ない。それを差し引いても、彼には、こう…なんというか、人を惹き付けてやまない天性の魅力のようなものが備わっていた。どこか寂しげな眼をして、カウンターの端に座って、いつもボンヤリと外を見ている。飄々とした雰囲気を纏っていたが、 愛想はむしろ、良いようだった。相手が店主である私でも、隣り合っただけの他の客でも、声をかけられれば応じる。いつの間にか、私はクロロの訪れを心待ちにするようになって、店を随分と長く開けているようになった。もっとも、彼と恋仲になるのに、そう時間はかからなかったけれど。
「ボクが強引に聞き出した」
悪戯っぽくそう付け足す、ヒソカの真意は見えないけれど、どうやらランチを食べに来た訳ではなさそうだ。細められた双眸に燃える欲望は、昼下がりのカフェテラスよりも、余程真夜中のベットルームが似合いそうだった。
「あの人はもう、此処には来ないって言ったらどうする?」
ヒソカは口付けでもするかのように私の顎に手を掛けて、軽く身を屈めて尋ねた。
「今朝方、クロロは列車に乗ってこの街を経ったよ」
聞き分けのない子供に説明するような、噛んで含めるような物言い。私は黙ったまま首を傾げた。クロロがいなくなることが信じられなかったのではない。逆だ。私は彼を所有した覚えはないので、どんなタイミングで私の元から去ろうと、それはクロロの自由である。未来に繋がるような約束を、私たちはしたことがない。本当に、夢幻のような人。
「…夕方には戻ってきたけどな」
ドアベルが来客を告げるまで、私は訪れる人があることすら気付かなかった。ヒソカにしたって同様だったらしく、わずかに驚いた顔になる。クロロは静かに入店すると、気障ったらしい動作でヒソカの隣りに腰をおろした。
「なんだその顔、お前は俺と待ち合わせしてたんじゃないのか?」
揶揄しながら、優雅な仕草で私に触れたままになっていたヒソカの手を払う。それから私と目を合わせて、蕩けそうなほど柔らかく微笑んだ。
「こいつに何を吹き込まれたのか知らないが、くれぐれも真に受けないでくれよ?」
私も極上の笑顔を返したが、返事はしなかった。夢はいつか終わるものだと、ちゃんと心得ている。クロロからわざと視線を逸らせて、この場で唯一不満そうなヒソカが冷めかけた珈琲を口に運ぶのを見ていた。


2018.04.25 ユリ子さまへ