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暴走族時代の終焉とまで謳われ、連日マスコミを騒がせた一件以来、門倉真希央は誰ともツルむことなく、自責と悔恨に苛まれながら、大人しく絶望の底に沈んでいた。…訳ではなかったようだ。
彼は今や腫れものであった。この街で絶大な支配権を有していた奔り屋の幹部だった彼の楼閣は、オープニングとでも呼ぶべき一夜の狂瀾によって砂の如く散って消えた。喪われたものはあまりにも大きかったという。彼は覇王を灼く火柱を見ながら、血塗れで這い蹲っているところを保護された。虚脱と称するのが相応しい状態で、誰も彼から有益な情報を引き出すことは出来なかったという。事件は、私怨に駆られた警察官の個人的な暴走ということで決着した。その後、爆麗党の残党と真希央が行動を共にしている様子はないらしい。というのも、私が実際に見聞きした情報ではなく、彼等と同類である知人からのまた聞きである。ただし、その当日、彼は私とその他の親戚連中と共に早逝した生母を悼んでいたので、彼が開示した情報も他者から齎されたものだ。国道の脇には夥しい献花が積まれ、私が見た折には既に下の方は枯れ始めており、実にグロテスクだった。

母親譲りの赤い髪と、美少年という形容詞がぴたりと嵌まるどこか浮世離れした美貌。子供の頃から、真希央は目立つ子供だった。近隣住人なら知らない者はいない大きな御家の御曹司だったことも、理由として大きい。私は小学校3年生の時に、となりの席だったというだけの理由で、真希央のことが好きだった。でも、それは全然不自然なことじゃない。同じクラスには真希央のことを好きな女の子が、本当は1回の給食当番の人数よりもたくさんいた。でも真希央がいじめられっこだったから、みんなそれを表立って言ったりしなかった。あの当時モテまくっていたことを、多分真希央は一生知らないままだろう。
「あれ〜?真希央じゃん、久しぶり」
我ながら、あまりの白々しさに作り笑いすら突き破って嘲笑が覗きそうになった。こんな路地裏で、偶然誰かに逢うことなんかあるもんか。真希央はわかっているのかいないのか、大袈裟に慄いて私を見た。怪我をしているのか、左頬にガーゼが貼り付けてある。真希央が無意識に手で庇うようにしたズボンの右ポケットの中は確認するまでもない。
「アンタが執拗につけ狙ってる相手ね、私のイトコなんだよ」
教えてやったら、驚きが消えた。その代わりのように酷薄な笑みが広がる。蜘蛛のような動きで、ポケットに右手が滑り込む。
「そうは言っても、私もこの間叔母さんの法事で知ったんだけどさ〜」
無防備な振りで、然り気無く真希央の右側に立つ。この立ち位置なら切りつけにくいだろう。私は従兄弟が歩き去っていった通りを、真希央の肩越しに一瞥した。親戚といっても、そう親しい付き合いがある訳ではないのは事実である。彼の母親は金も甲斐性もない、ただ優しいだけの卑屈な男と駆け落ちし、その結果、心労が祟って亡くなった。少なくとも私は父からそう聞かされている。あまり心証の良い話ではない。だから、私は従兄弟と殆ど接触を持つことなく高校生になった。同じ街に住んでいるのは偶然だ。先日再会した時に連絡先を交換したおかげで、やっと世間一般の知人程度の親交を持てるだろうという淡い期待があるだけの関係。
「じゃあ、アイツのことで何かわかることがあったら、俺に教えてくれよォ」
真希央は右手でバタフライナイフを布越しに撫でながら、器用に反対のポケットから携帯電話を取り出した。ナンパ男がよくやるように、画面に自分の番号を光らせて親しげに笑う。ビル影の作る暗がりの中では、ブルーライトがやけに目に痛かった。

新しく電話帳の登録が1件増えたのをなんとなく高揚した気分で確認しながら、高級マンションのエントランスに脚を踏み入れた。尾行されていないか気を付けたつもりだが、真希央が私ごときにそこまでする気はなかったようで、徒労に終わった。門前払いを食らう可能性も0ではなかったが、存外気持ち良く、由紀男は私を招き入れた。機嫌が良いのはお酒のせいらしいと、転がるウイスキーボトルを見てしまえば納得するしかない。私はもう色々と面倒臭くなって、真希央が由紀男を探している旨をべらべらと一方的に喋った。そのお返しのつもりか知らないが、由紀男がかいつまんで話してくれたのが冒頭の事件の概要である。
「それにしても、爆麗党の幹部が俺に何の用なんだか…」
何が可笑しいのか、由紀男はクックッと喉を鳴らした。先日、祖父母の屋敷で会ったときはもう少し品の良さそうな印象だったが、こうして向かい合ってみれば、彼は壁に掛けてある特攻服に袖を通して、夜を駆けている側の人間だと認めざるを得なかった。
「そりゃあ、真希央はアンタの…」
そこから先をどう表現するべきか一瞬、迷った。私が適切な言葉を見つける前に由紀男はなんでもない風に頷いた。
「知ってる」
この肯定はすべてに対しての、いわば正しい肯定だった。真希央の実母に飼われて生活していること。そして、そのことを真希央が何らかの方法で知ってしまっていること。二人の間に何らかの因縁が存在すること。
「お前、俺のこと馬鹿だと思ってるだろ?」
私はあまりにも驚いた顔をしたらしい。由紀男は半眼になってボソッと呟いた。いやいや滅相もない。名門校に通う自慢の孫だと、アンタのばーちゃんは今朝のこと鼻を高くしていたよ。私のばーちゃんでもある訳だが。
「どうやって調べたの?」
「お前も知ってるくらいのことだし、大したことねェよ、あの人隠す気ないみたいだし…」
それはそうかもしれない。私は彼の女主人が移動に使う、それはそれは高級な車を思い出しながら、頷いた。人目を憚らず、あの車でホテルの前まで乗り付け、場合によっては由紀男を乗せる。彼女の振る舞いからは不倫という背徳感は微塵も感じられなかった。まるで普通の恋人同士みたいに肩を寄せあう二人の姿。重なる二つの影は、私の秘密さえ化けた。

数週間前まで、この国道には生きた伝説がいた。彼は帰らぬ人となって尚、圧倒的な存在感を放ち続けている。彼が巻き込まれた凄惨な事件が、引退集会の最中に起こったこともあり、まるで怪談のような調子で語り種になっていた。国道16号線は、自らをくだした覇者を絶対に離さない、と。
「よォ、調子はどーだ?」
未だ減ることのない手向けの花を眺めることに随分な時間を費やすことのできる暇な私に、声をかけてきたのは真希央だった。スーツ姿である。ワックスで派手に立ち上げた赤髪とのアンバランスな様に、私はほんの少し笑う。
「悪くはないけど、良くもないかな」
「ヤツはまだ見つかんねーのかよォ?」
「うん、ごめんね」
私は肩を竦めて見せた。真希央は上着のポケットからぐしゃぐしゃに丸まった煙草を取り出して、一口吸ったと思ったら、すぐに捨てた。枯れた花に寄り添うようにして転がったそれを踏みつけるでもなく、ただ見詰める。
「隠すと為にならねェーぞ?」
「うん、わかってるよ」
この場所で、少なくとも3人が死んだのは、真希央のせいなんじゃないかという噂もあった。亡くなった警察官が真希央と度々接触していたという目撃情報があるらしい。私は真希央の、小学生の頃より精悍になった横顔を盗み見る。枯れるのを待つだけの花束と同じような有り様。

あの頃の私に逢って、訊いてみたい。真希央のどこが好きだったのか。
「今月の月命日もなんかやるから、ばーちゃんが帰ってこいってさ」
祖母からの伝言を引っ提げて、私はまた由紀男の部屋を訪ねていた。血の繋がりというのは、時に人を図々しくする。
「今まで何もなかったのに?」
案の定と言うべきか、由紀男は怪訝な顔をした。
「ばーちゃん、適当に口実付けてアンタに逢いたいんだよ…よっ!天然タラシ!」
「ばーちゃんタラしてどーすんだよ…」
嫌そうな顔をしながら、立ち上がって酒瓶と並んだ卓上カレンダーを見に行く。私の従兄弟はどうやら性根はそう腐ってないらしい。頻繁に私に電話を掛けてくる祖母は、目下この若くして亡くした娘に瓜二つな忘れ形見が可愛くて堪らないらしく、口を開けば二言目には必ず由紀男くん由紀男くんだ。私は祖母孝行の一貫として、このベビーフェイスに反して心根は可愛くない男の元に顔を出しては、田舎に帰るよう促している。真希央が知れば、怒るだろう。余程生まれ育ちが良いのか、彼は私を含めて他人を疑うことを知らないようだったので。
「その日の最終で行く…泊まりでも平気かな?」
「ばーちゃん絶対喜ぶよ!」
由紀男は照れ臭そうにちょっとだけ笑った。そうと決まれば、従兄弟の宿泊を祖母に伝えて喜ばせてやろうと、携帯を取り出す。電話帳に登録された「門倉真希央」の文字が、私を咎めているような気がしたが、無視した。

駅に居たのは、私も叔母の月命日に合わせて田舎に顔を出そうと考えていたからだ。気が変わってもいけないので、由紀男と約束はしていない。電車の中で合流して、一緒に行くのが理想的。そんなことを考えていたから、着信音に気づいた私は、祖母か由紀男だろうと思い、相手を確認することもなく、油断して応答した。
「もしもし?」
「…俺だよ俺ェー」
地獄の底から響くような声だった。享楽的、とでも言おうか。真希央だと私が理解する前に、相手が喋り始めた。
「これで全部終わるから、もういいゾ」
「…えっ?」
「星がキレーだなぁ…あの日もこんな風に天気だけは良かったんだよ、思い出すなァ…」
向こうの音は喧騒に紛れたかと思うと、プツリと消えた。意図的に切ったのではなく、電波の関係で途切れたのだと判断して、私は携帯電話を耳に押し当てたまま、踵を返した。

「真希央、もうやめよう」
想像していたよりも簡単に、私は真希央を見付けることが出来た。彼はプラットホームで佇んでいた。由紀男が独りで訪れるのを待っているのだ。母親が彼を抱いていると知ったその瞬間から、真希央はずっと待っていたのだ。その血を胸に浴びるのを。
「…っ!なんで此処に…!?」
眼を零れんばかりに見開いて、真希央は私の姿を認めた。気が急いているのか、力無く垂らした右手には既に刃渡りの長いジャックナイフが握られていた。
「なんだよっ…なんなんだよっ……お前もそんなにアイツが大事なんかよっ!」
首を横に振る。確かに彼は私の親戚だが、私の人生にそんなに密接にかかわっている訳ではない。流石に目の前で刺されたり死んだりしたら寝覚めが悪いだろうけど。大事というなら、真希央のほうがよっぽど大事かもしれない。初恋。もう、あの淡い感情のひと欠片すら残ってはいないけれど。それでも、真希央ははじめて見つけた私の特別だったのだ。
「なんで…なんでだよ…なんで全部うまくいかねーんだよッ!なんでお前まで俺の邪魔するんだよッ…!」
真希央が喚き散らす。私は咄嗟に、彼が手にしたナイフの刃の部分を強く握っていた。こうしなければ、いけない気がした。そうしなければこの刃物は、あの夜の再現のように、彼自身を含めてたくさんの人を傷つけてしまうような気が。
「殺すっ…アイツだけは殺すッ…ぶっ殺してやるッ!」
私たちの只ならぬ様子に周囲が騒ぎ始めた。駅員が走ってくるのが見える。私の指先からは涙みたいに血が滴った。
「殺す殺す殺す殺す殺すッ…!」
真希央は服が汚れるのも構わずにホームに膝をついて、震える拳を混凝土に打ちつける。狂暴な唸り声は、その内に嗚咽に変わった。私は好奇と恐怖に駆られた数多の視線から彼を庇うように抱き締める。私の手の平から滲んだ血が、彼のTシャツの背中をべったりと汚した。


BGM「フィナーレ」椿屋四重奏
2015.07.29 鈴木さんへ