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地獄に堕ちた亡者たちの中に、死にたくないと思っていた人はどのくらい居るのだろう。もしくは、死ねば終わりだと思っていた人は。そんなことばかり考えてしまう。鬼灯の華麗なる拷問の手腕を見るまでもなく、私は獄卒に向いていない。
「だから、辞めたいと?」
鬼灯はどこか突き放すように私の愚痴を要約した。
「そこまでは言ってないでしょ。すぐそうやって結論を急ぐんだから…」
つい、トゲのある言い方になった。女は共感の生き物だが、男は目的の生き物だ。私たちはどちらもその傾向が顕著なので、長く喋れば喋るほど、話が噛み合わなくなっていく。
「言ってたじゃないですか、一昨日…食堂で」
鬼灯は仏頂面のまま指摘する。地獄の獄卒の中でも、随一の記憶力。発揮されるところが、言った言わないの、今時小学生でもしないような水掛け論なのは勿体無い限りである。
「いや、あれは同僚の愚痴に便乗してただけで……てゆーか、盗み聞きしてたの?」
「人聞きの悪いこと言わないでください。貴女たち声が大きいんですよ、あれじゃ外まで聞こえてたでしょうね」
あくまでも淡々と、けれども一歩も引くことなく反論してくる鬼灯の手元にあるのは所謂持ち帰り残業というやつで、手当ても出ないのにそこまでしなければいけない彼の立場に改めてゾッとする。
「…まぁ、辞めたいけど」
「それみたことか」
「辞めていい?」
「決算期に何ほざいてやがる経理部」 
チラリと一瞬だけ顔を上げてこちらを見た鬼灯はまさに鬼の形相というやつで、私が亡者なら睨まれただけで失神しただろう。
「何さ、甲斐性無し」
こんな風でも私は彼の恋人なので、このくらいで引いたりしない。言いたいことは言っておくのが、関係を長続きさせる秘訣だ。
「何とでもおっしゃい。…私の一存で現場から優秀な人材を取り上げる訳にはいきませんから」
鬼灯はクルクルと巻物をまとめ始めた。今日はここまでらしい。私の話は終わっていないので、構わず続けても良かったが、気が咎めたので、少しだけ手伝う。
「寿退社逃すと辞めにくくなるじゃん…」
「それで結構、目指せ終身雇用」
「流石に子供が出来たら辞めていいでしょう?」
「産休も育休もありますから制度を上手く活用しましょう」
私たちはしばし無言で見詰めあった。両者一歩も譲らず。今日も今日とて議論は仲良く平行線を辿る。
「ホントは私と結婚するの嫌なんじゃないの?」
「どこの世界に結婚する気がないのにプロポーズするバカがいるんですか、むしろ早く嫁に来い、共働きで」
「楽させろ高給取り!」
「専業主婦が楽だと思ったら大間違いなんですよ!即刻悔い改めろ!」
今度ははっきりと睨み合うかたちになった。結婚の話が出てから、ほぼ毎日こんな調子である。話はなかなか前に向かって進まない。その分、マリッジブルーに陥る暇さえないのだが。
「だーかーらー、そもそも私獄卒向いてないんだって!」
「貴女がそう言うから事務方に左遷してやったのを忘れたか!」
「左遷って言うな、残業ない分むしろ栄転だ!」
話題がループする気配に身構える。本当は、昨日くらいからちょっと共働きでもいいような気がしてきてはいるのだが、悔しいから鬼灯にはまだ秘密だ。

2018.03.10 藤さきさまへ