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※4、半兵衛ドラマルート


それは我欲と呼ぶにはあまりにも綺麗な色をしていたので、誰もがそれを己の欲望だと勘違いしてしまったのだろう。私を険しい顔で見下ろしている、秀吉様だってきっとそうなのだ。天下統一。世界征服。国家安康。君臣豊楽。此れ等の言葉は、果たして本当に彼の意志なのだろうか。天をつくような威風堂々とした巨漢だが、私には裂界武帝が、半兵衛様の傀儡、或いはその野望の一部であり要であるようにしか映らない。途方の無い夢が、武将の象形をとって立っている。
「お前にはあれが無茶をしないよう見張っていろと重々申し付けていた筈だ」
覇者に相応しい、重厚な声が空気を揺らす。確かに私は半兵衛様に侍っていたが、それはこの男に命じられたからではなく、あくまでも自らの意思である。あの賢人以外に忠誠を預けた覚えはない。この男はどうやらそれを勘違いしているようだ。その思いがそのまま、冷笑となって唇を震わせた。
「はい、ですから半兵衛様の為に心を砕かせていただきました」
私のあまりにも不敬な態度が、周りの兵卒たちを戦慄させた。篝火が爆ぜる。

治る見込みの無い病を抱えて、磨り減っていく命を見詰めることに消費されていくだけの、残り少ない時間。長期に渡る療養生活は半兵衛様の心を荒ませていった。あまりの痛々しさに、私は毎晩枕を涙で濡らしたが、本当に辛いのは半兵衛様ご自身であることを思うと、落涙する己にも言い様の無い苛立ちを覚えた。代われるものなら、代わって差し上げたい。私はこの世の不条理を怨み、半兵衛様に白羽の矢を立てた神を呪った。大切な主人が、病み衰えていくのを見るのは悲しい。私の心は千々乱れた。このあたりの事情は、たまに見舞いに来て、友を動揺させるまいと気丈に振る舞う半兵衛様と対面していただけの秀吉様には察し得ないだろう。酷くなるばかりの病を、半兵衛様は頑なに秀吉様にひた隠そうとして、遂に隠しきれなくなってから身を引いた。弱ったところを見せたがらない半兵衛様の自尊心を汲んだ秀吉様は、療養先に訪れる回数を減らし、戦火を拡大する道を選んだ。せめて日の本を統一するところを、もう残された時間の少ない同朋に見せようとしていたのだろう。皮肉なことに、それがいくつもの綻びを生んだ。磐石ではない政権に亀裂が走り始める。半兵衛様は病床にあるくらいでその音に気付かずにいられるほど暗愚ではなかった。
「君に頼みがあるんだ」
その日、半兵衛様は珍しく調子が良さそうだった。前線を秘密裏に退いたといっても、彼はまだ豊臣軍の最優の軍師である。各将と積極的に手紙のやり取りをして、間接的に秀吉様に尽くしているのだが、それを忽ち何通も書き終えてしまった。新しい紙でも求められるのかと思って寄っていった私に、半兵衛様は座るよう促した。いつになく真剣な様子である。
「出陣する準備を調えて欲しい」
私は精一杯驚こうとしたが、上手くいかなかった。遅かったくらいだとすら思う。錆びさせぬよう、半兵衛様の仕込み刀の手入れは怠っていない。
「差し出がましいようですが、秀吉様のことは宜しいので?」
本来なら飛んでいって命令に従いたいところだが、一応、確認をとった。秀吉様が体を労るよう奨めたから、半兵衛様は闘病に専念していた訳だし。
「あまり宜しくはないかもしれないね」
自嘲気味に呟いた半兵衛様の顔色は、既に彼岸の人であるかのように白い。不吉な予感に身震いした。
「…此処で死ぬのは厭なんだ」
吐露された本音が胸に痛い。新しい時代を夢見ていたのも、強大な王を欲していたのも、全部この人だったのに。時流は彼を置いて先に進む。療養とは名目ばかりの、朽ちるのを待つだけの暮らし。それすら、もうすぐ終わってしまう。一縷の望みを懸けて未来に残そうとした最強の軍隊さえ、瓦解しようとしている。それは恐ろしいことだろう。肉体の死より、ずっと。ずっと。
「せめて、軍師として…秀吉の為に死なせてくれないか?」
あの栄光の日々の残滓を纏って、礎となり夢の余りを駆け果てること。最早半兵衛様が今生に望んでいることはそれだけだった。
「わかりました。敵将は佐和山城城主…石田三成で相違ありませんね?」
自らの死と引き換えに、豊臣軍という怪物を生かす為の、天才軍師の最期の一手。私の推量は当たったらしい。半兵衛様は倦むばかりだったこの暮らしの最後に、初めて嬉しそうに笑った。

半兵衛様が私兵を集めて佐和山城を攻めたことは、わざと少し遅れて秀吉様の耳に入るように手配してあった。今となっては半兵衛様の病状がかなり悪いことを知っている秀吉様には友の離反が信じられなかったのだろう。不在をその目で確かめに来て、私を見付けた次第である。無論、半兵衛様の姿はない。主を失った庵。秀吉様が良かれと思って用意したこの場所も、半兵衛様にとっては牢獄でしかなかったのだが。
「…半兵衛を幽閉したのは、我の独善でしかなかったということか」
私の心を読んだように、幽閉という言葉を敢えて秀吉様は使った。自分の創る時代を友に見せたかった帝王。彼を責めるつもりは無い。私だって半兵衛様に生きていて欲しかった。けれど。
「今となっては貴方の為に戦場で散ることが、半兵衛様に残された唯一の幸せなのです」
願わくば、その志が次の世代を担う武人たちに、届きますように。それは今でもきっと色褪せず、誰もを魅了して止まない綺麗な色をしているが、もしかしたら少々時代遅れかもしれない。




2018.03.12 斎さまへ
テーマ「幸せな半兵衛」