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ディエゴが私の目の前に現れたのは傘寿を超えてすぐのことで、彼のほうは十代後半の、逞しくも健やかな若者であった。早熟なことに男としての色香は盛りの時を迎えており、実際に何人もの女を破滅に導いていたが、穏やかな晩年を送っていた私にはあまり関係無いことだった。肉体が朽ちかかれば、人は精神すら老いさばらえてしまうものらしい。年甲斐もなくみっともないと思う自制もあった。私がかれを見付けて感じたのは、私の奇妙な生涯に血脈のように流れる彼に対する劣情ではなく、前途ある若者に対する深い慈しみであった。幸いなことに裕福な家に生まれた私にはひとかどの財産があったので、私はそれを彼に託して、自分自身はさっさと彼岸へと旅立とうと考えていた。若い彼の目に、老いらくの姿を晒し続けるのも耐え難い。喜んでくれるかと思いきや、意外にもディエゴはそれを是としなかった。それどころか、女性関係を自分から積極的に清算して、荷物をまとめてうちに転がり込んできた。英国競馬界の貴公子は、唖然とする資産家の老婆の手を、まるで生娘にするみたいに恭しくとって囁いた。
「結婚しよう」
たちの悪い冗談みたいだ。財産目当てだと、マスコミが騒ぎ立てるのも無理もない。しかし、そうではないのだ。だって婚姻なんてしなくても、財産ならすべてディエゴに渡してしまうつもりなのだから。わざわざ戸籍を汚さなくても、それは可能な筈である。どうしてもというなら弁護士を通して正式に生前分与してもいいし、ディエゴにしかわらかない場所に現金にして隠してしまってもいい。私が渋っても断ってもディエゴが結婚結婚としつこく繰り返すのは、彼がそうしたいからなのだ。こんな滑稽な話があるだろうか。或いは、幸福な話が。
「他人がどう言うかなんて、そう重大じゃあない。…俺とお前が良ければ良い。…なぁ、そうだろう?」
ディエゴがこう見えて(というのはつまり、人目を過剰に意識するタイプに見せかけて)、その実恥も外聞も無い悪の帝王の派生である、という事実が私を打ちのめした。結局私は押し負けるようにして、めでたくディエゴと結ばれた。世間は失笑するばかりで、誰も祝福してはくれなかったけれど。私の世界はもう随分と長い間、私と彼以外の登場人物を欠いて久しいので、それは些末な問題だった。むしろ、私を看取った後、世間という実体の無い怪物と独りでやりあっていかなければならないディエゴがひたすら憐れだった。私の憐憫など、彼は歯牙にもかけなかったが。

予想し得た変化だが、ディエゴはその内私との退屈な暮らしにうんざりし始めた。彼はやっと二十歳に手が届こうかというくらいの青年で、老女の穏やかな晩年に寄り添うにはあまりにも、刺激を愛する質だった。私のほうはいつでも彼を放逐してやる準備をしていたが、死別ではない別離を選ぶことに、何故だかディエゴは酷く躊躇があるらしかった。何かの免罪符のように私に愛を囁く彼の言葉に、おそらく嘘はないのだろう。彼は本当に愛しているのだ。記憶の中に棲む、彼に底無しの愛を与えながらも決して思い通りにならない数多の若く美しい私を。
「要するに、石仮面か聖人の遺体か…そういうものが必要なんだ、俺たちには」
ディエゴがそんな世迷い事を大真面目に口にするようになる頃には、私は殆ど寝たきりになっていた。彼が毒でも盛ったんじゃないかと邪推する者もいたようだが、とんでもない。むしろ、ディエゴはここまでよく付き合ったと思う。私は何度かそうされたように、今生も彼にとどめを刺して欲しかったし、何度もそれを仄めかせてきたのだから。
「私が死んでも、葬式はしなくていいわ。…私が遺すものすべて、あなたの為に使ってね」
「…そんな話は聞きたくない」
ディエゴは唸るように言う。私の皺だらけの手に唇を落としながら。さながら敬虔な殉教者のように。祈りにも似た切実さで。
「俺のことを想うなら、俺を独りにしないでくれ」
そんなディエゴらしくないことを言わないで欲しい。たとえ本心であったとしても。あなたは私の死を悲しんではいけない。莫大な遺産。次の私と巡り逢う可能性。シンプルな未来。改竄されるであろう過去。エトセトラ。私の遺すそのすべてを、歓迎してくれなければ。そうでなければ、これは悲劇になってしまう。年老いた者から順に去り、年若い者がそれを見送る。たったそれだけの、私たちにしては珍しい、当たり前の出来事だというのに。


2018.03.20 唯様へ ディエゴでBadend