馬鹿みたいな恋の話





「律…」

シャツ越しに伝わる熱に身体がゾクリと震える。高野が何に苦しみ、何に怯え、何に心を乱されたのか小野寺は知らない。それでも強く、強く訴えるその必死な高野の思いを小野寺は知っている。だから不安にさせてしまった事への謝罪をしようにも、口から出るのは甘い声だけで。嗚呼どうか不安にならないで、と訴えるように小野寺は高野を抱き締めた。


その日は雨が降っていた。当然の事だが彼が定時に帰られる筈もなく時刻は定時をとうに過ぎ、終電まではギリギリ間に合うか否かの時間。フロアには高野と他編集部の数名のみになっていた。

「…ソロソロ帰るか」

独りごちて、残っている人たちに挨拶をしながら編集部を後にした。
春先にも関わらず今の時期の雨は冷たい。深夜のせいもあるが、全体的にヒンヤリとした空気があり、高野の心を更に苛立たさせた。
数日前、作家との打ち合わせに利用した居酒屋で、偶然小野寺を発見した。数名の知らない男たちと共に笑顔で飲んでいる。高野は彼のあんなに無防備で明るい笑顔を知らない。高校の頃に言っていたのは間違いではなかったらしい。他の人とは普通に話す事が出来る、と。
高野の心はざわりとした。これはそう、確実に嫉妬だ。小野寺の総てを知りたいのに、彼との距離は一向に縮まらない。否、少しずつだが確実に近づいてはいるのだ。ただ、彼らにとっての難関は互いの気持ちを知らない事。互いに不明な事が有り過ぎて上手くいかない。もう少し心を互いに開けばきっと良好な関係にもなるだろうが、それが未だ出来ずに居るのだ。
それでも好きな人が自分以外の誰かと楽しそうに話しているのを見て楽しい人間がいるだろうか。中には居るだろうが高野は違う。小野寺を想い、その気持ちに制御をかける事など出来ない。

「…腹立つ」
「え?高野さん?」
「あぁイエ何でも」

十年間追い求め続けた人物がすぐ傍にいるのにそれを掴めずにいる。その環境に苛立ちを覚えるのは当然だ。
そんな事が数日前にあり。目に見えて高野は苛立っていた。仕事は勿論通常通りにこなしてはいるが何処か空気が重い。未だ〆切ではないし、通常ならば比較的穏やかな状態の筈。

「高野さんどしたの?最近機嫌悪くない?」
「確かに悪いな」
「そうだね、まだ〆切までは期限あるのに。小野寺くん、何かした?」
「知りません!ってかおれを巻き込まないで下さい!」
「お前らいいから黙って仕事しろ!木佐、お前提出書類今日の午後一までだからな!」
「うわぁぁハイハイ〜やってまーす!」

部下達に噂をされる位、苛立っていた。苛立ちの原因は知らない。が、小野寺はここ数日高野が自分に対して素っ気ない事に気付いていた。しかし、だからと言って余計な事をして己に災難が降りかかるのも嫌だし黙っている。

「………」

それにより更に苛立ちを増す高野。堂々巡りに状況は悪化の一途を辿って行った。



そうして時は過ぎ、高野が帰宅する頃には雨も降りだしたという訳だ。コンビニで軽くつまみを買い込み帰路につく。傘を買うかとも思ったが、そうやって買っていったビニール傘が家の玄関に既に六本を超えているのを思うと買う気にもなれず、そんなに強い雨でも無いしと高野は傘を買わずに外に出た。冷たい雨が苛立った心に刺さって気持ちが良かった。

「何やってんだか…」

溜め息をつく。高野は自分勝手な苛立ちだと理解している。仕事中にも関わらず機嫌を悪く(それでもミスがないのは流石としか言いようがない)するなんて、まだまだ未熟だな…と自身にガッカリもしたりしている。けれども、小野寺が好きで、好きで。どんなささいな表情だって知りたい。他の人に見せて欲しくない。まるで十代のような我儘な恋心だ。そんな想いを笑い飛ばすことも出来ない位に小野寺が好きだと改めて知った。ゆるやかな坂を少し登った所にある自宅のマンションの隣の部屋には、自分の想い人が住んでいる。エレベーターで部屋のある階まであがる。流石に深夜という事もあり、シン…とした廊下に高野の靴音だけが響いた。ドアを開け、中に入ろうとした時。

「あっ…今晩は」

隣人であり、ここ数日の苛立ちの原因であり、そして高野の想い人である小野寺が顔を出した。

「今、帰りですか?」
「…そうだけど」
「お疲れ様です…」
「そりゃどーも。何か用?」
「いや、その…」
「こっちは疲れてんだ、用がないならもういいか。おやすみ」
「あっあの!コレ!」

そう言って小野寺が差し出したのは、以前高野の家に泊まった際に借りた(着させられた?)シャツだった。綺麗に畳まれたそれにはきちんとアイロンがかかっており、小野寺のあの部屋からは想像もつかない綺麗さだった。高野は無言でそれを受けとると、おやすみ、と言って部屋に入ろうとした。それに驚いたのは他でもない小野寺で、高野さん!と呼び止める。

「…何」
「あの、お、おれ何かしましたか?この間からずっと変ですよ」
「別に。何もねぇよ」
「高野さん…」
「しつこい、小野寺」
「なっ…ひとが折角心配してっ…!…そうですね、しつこくてスミマセンでした!失礼します!」

そう言うと小野寺は踵を返して部屋へと戻ろうと高野に背を向けた。その瞬間、腕を掴まれ高野の部屋へと押し込まれる。

「なっ…ちょっと高野さん!?」
「…俺が、どんな気持ちで」
「え?…んんっ…!?」
「小野寺…」
「ちょっ…待っ、高野さん…?」
「……」

バタンとドアを閉め、急性に無言で小野寺を求める高野に、戸惑う小野寺。忙しなく靴を脱ぐと寝室へと連れ込まれ、ベッドへと沈み込まされてしまった。高野は俯き加減でその長めの前髪のせいで表情は窺い知れない。けれども、きっと哀しい目をしていると小野寺は思った。高野は小野寺に触れるだけの優しいキスをした。

「…高野さん?」
「…律」
「ん…たかのさ…あっ…」

触れるだけのキスから、急激に荒々しいキスへと方向を変えられる。小野寺は戸惑いつつも、高野からの行為を受け入れていた。何があったかは知らない。それは自分には関係のないものなのかもしれない。だが、高野が必死になってしがみつくように小野寺を求めている。それは事実だ。ならば小野寺は、何があったのかを知る権利があると思った。何に哀しみ、何にこんなにも心を乱されたのか。小野寺は知りたかった。
そんな思いとは裏腹に、高野は律、と繰り返し呟きながら小野寺に触れ続ける。そして、先程小野寺から返されたシャツを小野寺の腕に巻き付けた。それには流石の小野寺も驚愕を露にし、嫌だと高野に懇願する。

「やっ…やですこれ!高野さん!」
「暴れんな、擦れて傷付くから…」
「んっ…あっあっ…やだっ…」
「律…律」
「っ…高野さん…」

綺麗にアイロンの掛かったシャツは見事に皺だらけになり、小野寺から自由を奪う。衣類を全て脱がされ、強く強く求められ、小野寺の頭は熱に浮かされてしまった。けれども、強く必死に求めてくる高野に、どうか不安にならないでと不自由な腕にも関わらず小野寺は強く高野を抱き締めた。



「サイテー・・・」
「うっせーな分かってんだよんな事は」
「開き直りとか最悪なんですけど!」
「…悪かったよ」

その後、腕は最後まで解放される事なく高野との情事に及んでしまった小野寺は、シャツによって少し赤くなってしまった腕を無意識に擦った。それを見た高野は珍しくしおらしい声を出して謝る。普段の高圧的な態度とは打って変わった態度に小野寺は本当に何があったのかと心配になる。

「ホントに、あの、何があったんですか?」
「何でもね…」
「…腕、痛いんですけど」
「……悪かった」
「…」

どうあっても話す気はないらしい高野に、諦めと呆れの溜息をつく。何があったのかは、また聞けばいいか。取り敢えず今は寝たい…と小野寺は眠りの体勢に入る。そんな小野寺を横目で見ると、高野も小野寺を抱き締めて眠りについた。

手に入らないハズなのに、こうやって腕の中に抱え込める小野寺の気持ちを高野は知らない。あの日、高野が嫉妬に狂いそうになったあの日の、彼らの話題はずばり好きな人。高野を好きだと認めたあとに行われた飲み会で、彼の事(勿論友人達は同性に恋をしているなど知らない)を聞かれた正にその時の笑顔を高野は目撃したのだ。

馬鹿みたいな恋の話。知らぬは当人同士だけ。

小野寺が起きた時に理由をしつこく聞かれつい言ってしまった高野の言葉に小野寺が顔中真っ赤にして悶えたのはもう少し先の話。






か、彼シャツプレイになってない…!エロになりそうになり、必死で方向を修正したら色々おかしな方向に向かいました…嫉妬しまくりな高野さんが難しいです…書き直し喜んで承ります!
リクエストありがとうございました!

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