レイニーデイ
誰にも聞こえないように
何気なく伸ばした指先に、服の裾が触れる。
なんだよ、と軽く笑って、彼はその手を取った。
少し照れたような仕草。けれど、離そうとはしない。
「ねえ」
「なんだよおっさん?」
「青年はさ、恥ずかしい、とかないの?」
口をついて出たのは、素朴な疑問だ。
数秒の間、ぽかんとしていた彼は、その言葉の意味を反芻しているようだった。
やがて空いている方の手で、軽く濡れた頭を掻いて答える。
「別に」
きっとそれは本当のことで、けれどやけに嬉しく感じられた。
ダングレストの街並みに、ぼんやりと光る街灯が辺りを照らしている。
二人がいるのは、宿の軒先だ。
突然降り出した雨に、慌てて避難した場所である。
いろいろと多忙なレイヴンと、台頭してきたギルドの稼ぎ頭であるユーリは、珍しくも偶然にこの街で顔を合わせた。
ちょうど空いた時間だったこともあり、食事でもと思った矢先の雨だ。
「まあ、すぐやむだろ」
「だといいけど」
握りしめた手はそのままにユーリが言う。
なんとなく気恥ずかしくなり、目線を合わせないようにしながらレイヴンは返した。
どこか面白がるような気配が横から伝わる。
「なによ」
「いや、雨もいいもんだなと」
「なにがよ」
単調な言葉を繰り返しながら、レイヴンは足元を見つめていた。
違う、と思った。こんなことが言いたいんじゃない。
たまにしか会えない彼に、本当は、もっと。
ちゃんと言葉を伝えたいのに、それが素直にできるほど若くはなかった。
はあ、とついたため息が水溜りに落ちて消えていく。
「俺はさ」
ぽつり、と独り言のようにユーリが言った。
「わりと単純にできてっから気にすんな」
「…はあ?」
喉の奥で笑いながらの声に、反射的に顔を上げる。
すると、やけに優しい目でこちらを見るユーリと目が合った。慌てて逸らすが、それを咎めるようなことはしない。
「会えてよかった。それだけで、雨だろうがなんだろうがどうでもよくなんだよ」
「…………なにそれ」
「単純だって言ってんだろ?」
ついでに、と彼は続ける。
「こうして肩がつくぐらいの距離にいて、手を握って突っ立って、そんだけでいいかと思えるんだよな」
「単純って言うか、ずいぶんハードル低いんじゃない?」
「おっさんに会えるかどうかのハードルがまず高いからかもな」
そうかもしれない、とレイヴンも思った。実際、会おうとしなければ年単位で会わないだろうということは簡単に予想がつく。
だから、今この偶然には感謝していた。
離れてても会わなくても気持ちが変わらないなんて嘘だ。
変わり続けていく中で、それを保っていくことがどれだけ難しいか、二人はよく知っていた。
だからこそ、暇ができれば会おうとする。
だからこそ、偶然出会えた日を大切にしたい。
ふ、とレイヴンの唇から笑みがこぼれた。
結局、何を考えようと、恥ずかしがってみせようと、ユーリとの間にあるものなんて、そこまで複雑じゃない。
軒先から首だけを伸ばして空を見る。雨はまだ、止みそうにない。
「青年」
「ん?」
「まだまだ雨が続きそうだからさ」
言って、彼は手を解いた。
そのままくるりと宿の方を向き、悪戯っぽく笑う。
「ひとやすみ、していこっか」
今度は自分から、手の平を彼に向けた。
ほんの少し考えて、ユーリは笑いながらその手を取る。
「歩いて帰れなくなったら担いでやるよ」
「やーだー手加減してよねー」
「久しぶりだからどうだか」
囁き合う声は、雨音にかき消された。
しあわせのかたち