げば







午後一の授業が体育だったりすると、とてもやる気になれない。

単位はほぼ取り終わってしまった3年生の冬。

教室の中は無意味にマスクをつけたクラスメイトで溢れかえって

卒業旅行の計画なんかを立てているのを、なまえは醒めた目で見ていた。



「ベッド借ります。」



適当なクラスメイトに、風邪の引きかけかもなんて言い訳をして保健室へ向かった。

怠さも熱もない、至って健康な身体でさっさと廊下を歩いて

秋山の顔も見ずに保健室の奥のカーテンを開いた。



「なまえちゃん、常連だねぇ。」



保健室の一角は秋山の私物置きと化している。

今も、いつの間にか持ち込んだコーヒーメーカーでコーヒーをたてていたばかりだ。

カーテンを開いたなまえの右手を、後ろから秋山が静かに掴んで

ベッドへ潜りこむのを阻止した。



「サボりは歓迎しないよ。」

「サボりじゃないわ。」



クラスメイトの誰からもしない、煙草の匂いが秋山からは匂った。

肩越しに軽く振り返ると、彼のシャツの開いた胸元が間近にあって

少しだけなまえの体温が上がった。



「熱?風邪?俺も報告義務があるから。」



なまえの手を解放したかと思えば、棚から体温計を取りだしながら秋山が問う。

その長い脚が床を踏む度に、革靴の音がした。



「突き指よ。」



そう言い放ってなまえはさっさとベッドにもぐりこんだ。

安物の洗剤の匂いがする他は、埃と遠い日のお日様の匂いがした。

苦笑いをしながら秋山がベッドサイドに椅子を移動させて、どかっと座りこんだ。



「真面目に授業出なよ、学生サン。」



窓とベッドを遮るように腰掛ける、秋山から目線を逸らす為に寝返りを打った。

淡い色のカーテンがひらひらと揺れて居るのが目に入った。

かちりと音がして、煙草の匂いが漂ってくる。

この勤務態度でよく注意されないものだと感心してしまう。



「体調不良の生徒の隣で、喫煙もどうかと思うけど。」



細く開いた窓の外からは、クラスメイトが体育の授業に勤しむ声が聞こえてくる。

尤も、この頃の体育の授業なんてせいぜい体操程度に身体を動かす位で

怪我をさせるまいとしている学校側の意思が透けて見えて嫌になる。



「体調不良じゃない癖に。」



笑いながら言う秋山の方へ寝返りを打つと、彼の目が少し開かれた。

意外と目の色が薄いということを最近知った。

常に笑っているようで、その目は滅多に笑ったりしないということも。

女子生徒がきゃっきゃと秋山を囲んで騒ぎ立てるのを、少し嬉しそうにしながらも

目の奥は相変わらず醒めきっていた。



「ねぇ、センセ。」

「ん?」



紫煙を吐きだしながら返事をする秋山の目の奥は、自分と話して居る時も変わらないのか

知りたくて呼びかけてみたのに、彼は顔の向きを変えなかった。



「煙草って美味しいの。」



秋山の唇が、再びフィルターを咥え込んで数秒後、ゆっくり離される。

美味しそうには見えないけれど、それを咥える唇の柔らかさはどれ程なのか

考えると眩暈がしてきそうだった。



「美味しくないよ。」



昔父に問うた時も、同じ返答を得た記憶がある。

それきり喫煙者に出会うことはなかった今の世は、健康被害的に言えば最小限に抑えられているのだろう。

風に乗ってやってくる秋山の煙草の匂いは、父のより少し甘い気もした。



「知りたい。」

「ガキ臭くて、大いに結構。」



窓の向こうで、わぁ、と歓声が響いた。

今日はサッカーだか野球だかをやっているのだろうか。

体育の授業も残り片手で数える程度になったかも知れない。

冬の日差しは頼りなくて、ベッドの中は一向に温まらなかった。



「受動喫煙。」

「生意気。」



小さく笑いながら秋山は煙草をもみ消すと、ファイルに挟まれたコピー用紙に何やら書き込んだ。

平熱何度、と聞いてくる他はただペンが紙の上を走る音だけがして

この時間、ここに居ることを許されたことを知った。



「ねぇ、センセ。」

「何。」



ファイルから目を上げずに答える秋山の声は、全然優しくない。

他の女の子達をあしらう時は、ずぅっと甘い声をしているのに。

悔しい気持ちと、特別扱いされているような誇らしさがないまぜになって

眠れぬ夜を過ごした睡魔が、今頃になってやって来る。



「学生って、大変ね。」

「そうだね。」

「大人って、楽しい?」

「そうでもないよ。」



瞼がぼんやりと重くなって、うとうとと気持ちの良い眠気が脳味噌を覆っていく。

隙間風が寒くて、眠りに落ちてしまう前にあの換気用の窓を締めようと手を伸ばすと

革靴の音が数歩、そして秋山の手が窓をゆっくりと閉めた。



「ねぇ、センセ。」



せっかく秋山がこちらを振り返ったと思ったのに、逆光の彼の目はよく見えなくて

一体どんな目をしていたのか、考えている間に瞼が閉じてしまう。

ベッドの淵に手を出して、指先で秋山を求めると

彼は握るでもなく、ちょっと触れた程度に中指をくっつけた。



「片想いって、辛いわね。」



もうすぐ卒業式、県外の大学に進学する為に部屋を探さなくては。

この町に戻ってくるのはあとどれ位あるだろう。

アルバイトもしなくては、あぁ、例えば髪を染めたらどうだろう。



「そうだね。」



フェイドアウトしていく視界に、秋山が低く呟いたのを聞きながら

今日もまた伝えられなかったと後悔だけが残る。





思えばいと





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