秋山 ×  という可能性




ガヤガヤとどこかのテーブルで合コンをやっている声がする。

時たま、野太い無神経なオヤジの声が高らかに響く。

遠くの方で食器がカチャカチャと擦れる音がする。



騒音、というのはどうして日本全国どこへ行こうと

全く同じ音がするのか、些か謎である。



「珍しいですね、秋山さんが居酒屋に誘うなんて。」



ヘラヘラと笑い対面に座る秋山はすっかり寛いでいる。

今日で何度目のデートだろうか。



出会ってまだ2ヶ月程度。

何がきっかけかは知らないが、秋山からの一方的な好意によって

なまえはしつこく食事に誘われている。



前回は確か、若者に人気のお洒落なレストランだった。

その前はミレニアムタワーの上層階にある高級フレンチで

更に前には値段に『時価』と書かれた寿司屋だったと記憶している。



「だってなまえちゃん、誘ってもなかなか乗ってくれないんだもん。」



安い居酒屋によく似合う、大きなビールのジョッキを傾けながら秋山が言う。

確かに、仕事が忙しいなまえに取って2日に1度の割合でデートに誘われるというのは

乗り気だろうがそうでなかろうが、全てに応じるというのは無理難題だ。



「今までみたいなトコ、嫌いなのかなぁと思っちゃってさ。」



今度はまだ湯気の立つ、熱々のチーズがとろけたジャガイモに手を出す。

熱そうに口を窄めながらでも、秋山は意外に食べ物を綺麗に食べる。



「嫌いってわけじゃないですけど・・・」



今日たまたま誘いに乗ったのだって、明日が土曜日だからだ。

週の半ばに、電車で30分もかかる町まで美味しいステーキを食べに行こうと誘われても

応じ兼ねるのが普通の社会人なのではないのだろうか。



莫大な資産を持って、働かなくても十分食べていけるはずのこの男は

実際休日も出勤日もなくダラダラと毎日働いているものだから

一般人のタイムスケジュールなんて、忘れてしまったのかもしれない。



「なまえちゃん、グラス、空いてる。」



秋山がなまえのグラスを指差す。

いつのまにか空になってしまっていた中ジョッキは内側に何重かの白い輪を貼りつけ

トロトロと雲が進むようなスピードで引力に従事している。



「同じもので。秋山さんは?」



あと1口かそこらしか残っていない秋山にも次を促す。

安いペラペラした加工のしてある、大きな紙のメニューをめくりながら

うーん、と思案する秋山の頬はアルコールのせいか少し赤い。



「俺もおんなじで。あ、ツマミ頼んでいい?」

「もちろん。 すいませーん!」



なまえが声を張り上げて店員を呼び止めると、若い金髪の男がやってきた。

年齢は18かそこらだろうか。

まだ成人していないであろうその少年は、神室町によく居るタイプの若い男だった。

胸元のネームプレートにはふざけたニックネームが書かれている。



「生2つと・・・ あと、エイヒレ。」



少年は、秋山の注文に合わせ手元の機械になにやら打ち込むと

何やらモゴモゴと言いながら去っていった。

恐らく、かしこまりました、だとかなんだとか言ったのだろう。



「エイヒレですか。渋いですね。」



思わずふっと吹き出してしまう。

何度かの食事で解ったことだが、秋山はあまり量を食べない。

以前、そんなに少食なのにどうしてガタイがいいのかと問うたところ

『俺の食事の90%は酒。』とよくわからない返答を貰った。



「何?やっぱオジさんくさかった?」



酒がなくなり、手持ち無沙汰になった秋山がタバコに手を伸ばす。

いいえと笑いながら否定し、灰皿を秋山の方へすべらせた。



「よく似合うと思って。」

「何それ、イヤミ??」



美味しいんだよー、エイヒレ。とブツブツ言う秋山に

やっぱりそういう酒の肴はよく似合うと思った。



プロ野球観戦に合うような枝豆ではなく

焼きそばやりんご飴なんていう屋台の顔でもなく

ラーメンやファーストフードでもなく



エイヒレやサラミのような、一昔前のオヤジが好んだ酒の肴が似合う男だ。

哀愁があって、それでいてどこか中年の色気のようなものがする。

いつまでも若作りをしている勘違い男には、たどり着けない領域。



「褒めてるんですよ。」



微笑みながら告げるなまえに、秋山は未だ怪訝そうだ。

飄々として憎めないこの男は、ふてくされていても困ったように眉根を寄せるだけだ。



「おまたせしゃーしたー」



先ほどの少年とは違うが、全く同じような雰囲気の店員が

ガタンと不躾に注文した商品を机に並べていく。



ほんのりと表面の凍った大きなジョッキが2つ

中身はプツプツと小さな泡を立てながら、少し粗めの白い泡へ昇華していく。

黒い素焼きの器に盛られた、噂のエイヒレは

同じ器の3分の1を調味料に占められて狭そうだ。



「なまえちゃん、辛いの平気?」



何度目かの乾杯をして、早速秋山がエイヒレに取り掛かる。

大丈夫ですと答えると、サイドに置かれている爪楊枝やナプキンの集団から

七味唐辛子をパラパラと器に盛られた調味料に振り掛けた。



「・・・マヨネーズに七味かけるんですか?」

「うん。美味しいよ。」



エイヒレを一つつまみ、赤い調味料をかけられたマヨネーズをそれで掬うと

秋山の指がなまえの眼前に伸びる。



勧められるままに小さく口を開けて頬張ると

炙られたエイヒレの甘味の中に、マヨネーズのもったりとした油味が相まって

なんともくどくどしい味になる。

確かに七味のピリリとした刺激は、いいアクセントになるようだ。



「美味しいです。」



良かった、と目尻に皺を湛えて微笑む秋山も同じようにそれを咀嚼する。

どちらかというと味の強いエイヒレは、麦の味の強い冷たいビールによく合った。



なんだかんだ雑談をしながら、酒と肴が消費されていく。

取り立てて大きな声でもないなまえと秋山の発する音は

店中にこだまする騒音の中に、その他大勢と同じように吸収されてしまう。

そして明日には何もなかったかのような顔をして

今繰り広げられている景色とどこも大差ない夜が訪れるのだろう。



もし仮に明日、なまえが突然死んだとしても

いや、今この瞬間に誰かが不治の病で亡くなったとしても

何事もなく平和に、神室町中の安い居酒屋で、同じような光景が広がっているだろう。



「・・・何、考えてるの。」



どっかの男のこと?



そう問う秋山は、口先だけで笑っている。

意外に嫉妬深い性格の片鱗が伺える。



「違いますよ。」



応えて、最後に皿に残った1枚に手を伸ばす。

相変わらず終始もったりと油っぽい甘味が口内に充満する。



「あーぁ、なんか今度は甘いもの食べたくなってきた。」



一瞬、値踏みするような目をなまえに向けたのも束の間

大きなジョッキを殆ど空にする勢いでぐいと飲むと、秋山の声色が変わった。



「デザートですか?」



確かさっきちらっと見たページには、抹茶のパフェや何種類かのケーキ

コーヒーゼリーや蕨餅なんてものもあった気がする。



「そ。辛いものの後には甘いもの。」



なまえもビールを飲み干したのを確認すると

秋山は何も言わずにサッとスーツの上着を引っ掛けて席を立つ。

番号の振られた机の脇に掛けられた伝票を取り上げてレジに向かい

胸ポケットから裸のまま入れられていた万札を挟んで店員に渡す。



「あ、秋山さん。デザートは?」



急いで後を追うが、もう会計を済ませた秋山は

店の入口でなまえを待っている。



「デザートを食べられる所に行くんだよ。」



頭上にクエスチョンマークが広がる。

こんな時間にやっている、ケーキの名店にでも連れて行く気だろうか。



「食べられる所って・・・ 神室町にそんなとこあるんですか?」

「あるんだよ、いっぱい」



そう言いながら、秋山の唇が素早くなまえの唇を塞ぐ。

振り向きざまに添えられた指で顎を持ち上げられ

目を開けたままキスをする秋山と視線がぶつかる。



「・・・うん、楽しみだ。」



唇の先を触れ合わせたまま、秋山が囁く。

なまえの顎を支えていない方の手がいつしかなまえの肩から二の腕を滑り

その細い手首をしっかりと握る。



流れのタクシーを捕まえ、秋山に続いてなまえが乗り込んだのを確認すると

バタンと大きな音を立てて扉が締まり、街の喧騒が少し遠くなる。



バッティングセンターの、少し北にある地名を秋山が指示すると

タクシーは無数に散らばる神室町の交差点に溢れる車のライトに飲まれた。










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