DEFINE



嫌なことがたくさんあった日はここで呑むに限る。

少し足を伸ばせば、雰囲気の良いバーもあるけれど

色気も何もない、いわゆる場末のスナックに通い続けて何年になるだろうか。

向かいの雑居ビルの2階にはフィリピンパブが入っていて、この通りだけやたら無国籍で。

仕事を終えて地元の駅に着いたら、なまえは逃げ込むようにここに来た。



ガツンッ!



勢い良く飲み干した最初の水割りを、大きな音を立ててカウンターに置く。

隣の男の肩がびくっとした。



「あ、スイマセン…」

「いえ…大丈夫です。」



まだ日付が変わっていないこともあって、スナックのカウンターにはなまえと

比較的若い男しか居なかった。

マスターが干物をあぶって出してくれた。



「なんかあったの、なんかあったんだろうね。」

「深く聞かないでマスター。飲ませて。」



イライラするのは精神的にも、何より美容にも良くない。

こういう時は気の置けないこの店で、情けなくだらしなく飲んで忘れるのが一番だ。

マスターが手際よく水割りを作って出してくれた。

さっきより少し濃くなっていた。



「また仕事のこと?それとも恋愛のこと?」



色気なく足を組んで、小さな椅子にどっかりと座るなまえの目線は

センスのないタイトルを流し続けるカラオケ画面の、古き良きブラウン管を見ていた。



「仕事に決まってんじゃん。彼氏もいないのに。」



そうだったと笑うマスターに少しムカついて、灰皿を催促する。

まるで親のように甘えられるこの場所の居心地は何物にも代えがたい。

アロマバスや泣ける恋愛映画が馬鹿らしく思える今日を、ここで洗い流してしまおう。



「なまえちゃん、可愛いのにもったいない。ねぇ?」



人の好さそうなマスターが、隣の男に話を振った。

何も言わずちびちびと熱燗をやっていた男がふいに振り向く。



「…まぁ、上品とは言えねぇけどな。」



指摘されて、大きく組んでいた足を正した。

苦笑いをするこの男も、なんだか高そうなスーツを着ては居るけれど

決してガラが良いとは思えない雰囲気があった。



「いいのよ、別に。仕事があれば。」

「その仕事にストレス感じてる癖に。」



意地悪なマスターのせいで、今日あった嫌なことを思い出してしまった。

口を横に広げて威嚇をして、空になったグラスを渡すと

呆れたようにそれを受け取って、次の酒を作ってくれた。



「もっと強いの、ないの。」

「だめ。付き合ってあげるから、これで我慢しなさい。」



自棄酒など身体に悪いだけで、美味くもなんともないと言う人もあるが

ぶすぅ、とした顔で呑む酒でも、やっぱり酒は美味かった。



「じゃあなマスター、また来る。」



隣に居た男がおもむろに立ち上がって、万札を一枚カウンターに置いた。

愛想良くマスターがそれを受け取って、もう帰るのと声をかける。



「のんびりしてぇのは山々なんだが、俺も仕事が残っててな。」



飲んだ後に仕事をするとは、どういう仕事なのだろうと少し考える。

こんなスナックには様々な事情の人が来るし、あまり深く考えるのは止めた。

マスターと和やかに別れ際の談笑を交わす声を、聞くともなしに聞いていると

なまえの手元のグラスはまた空になってしまった。



「あ、それとあの焼酎1本入れてくれ。」



思いついたように男が棚の焼酎をキープした。

比較的高いその酒をマスターが戸棚から下すと、男は何も言わずまた万札を置いた。



「この姉ちゃん、今夜はそれで呑ませてやってくれ。」



なまえの方を見遣りもせず言った男は、じゃあと短い挨拶をして安っぽい扉へ向かった。

驚いてなまえが呼び止める声に振り向いた男の顔は外の蛍光灯に照らされて

初めてなまえは彼の顔を見た。



「受け取れません、初対面の人に。」



若いのだろうが、色々と苦労が伺える翳を湛えている表情の所為で随分年上に見える。

オールバックにした髪はキチンとし過ぎていて近寄りがたいけれど

きっとあれを下したら、気の良い兄ちゃんなのだろうと思った。



「今日散々だったんだろ。良いことのひとつもねぇと、割に合わねぇよ。」



眉を下げて笑う笑顔に、なまえは何も言えなかった。

せめてお礼をと思ったけれど、扉はもう閉じかけられていて

高そうなスーツの肩の向こうには、なまえが入店した時にはなかった黒塗りのセダンが停まっていた。



ぱたん、と扉が閉まる。

マスターが新しいグラスに、先ほど男が入れてくれた焼酎の水割りを作っていた。



「良い人ね、あのひと。」



なまえが浴びる様に呑もうと決めていた安い焼酎と違って、新しい焼酎はまだ温かい干物に良く合った。

ちびり、とやると喉を優しい甘さが通り抜けた。



「良い人… うーん、どっちかっていうと悪い人かな。」



歯切れの悪いマスターに、眉をひそめて返す。

そういえばあのセダンは発進するエンジン音すら聞こえなかった。



「あの人ね、東城会の会長さん。」



水割りを舐めていた手が止まる。

東城会と言えば、堅気のなまえでも知る一大極道組織だ。

そこの大物に奢って貰ってしまって大丈夫だろうかと一瞬頭を過るけれど

あの柔らかい笑顔に他意はないような気がして、そのまま口に流し込んだ。



「そっかぁ、そうなんだぁ…」



良い人か悪い人かと言われたら、確かにたぶん悪い人なのだと思う。

今日は本当に散々だ。

仕事で嫌なことがあって、何ひとつ上手くいかなくって、終いには極道の会長さんに奢られた。

でも、



「イイ男だったなぁ…」





Gonna find out who’s naughty and nice.


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