U and I










東京へ出てきて数年が経った。

仕事は順調、別に郷愁も感じなければ都会の騒音にも慣れた。

それでも慣れ親しんだ関西弁が酷く特別に感じられるこの街に違和感を覚え始めて

ついには都心のマンションを引き払って、荷物をまとめて新幹線へ乗った。

仕事なんてパソコンひとつ、携帯ひとつあれば良い。

私はあなたに会いたいのだ。



「ただいま。」



懐かしいバーの一番奥の席はひとつ空いている。

その隣に見慣れた男が座っている。

長いこと付きあっていた時は組をひとつ持っているだけの、武闘派と呼ばれこそすれ

組織の一部に過ぎなかった彼は今その頂点に鎮座している。

隣に立つ女が居ないと風の噂で耳にした。

自分の為に空けてくれているとは思わなかったけれど、もしも願いが叶うなら

一分で良いからその隣に居たいと強く願った。



「誰や思たわ。」



渡瀬はウィスキーのグラスを持ったまま、ちらりとなまえを見遣ってまた視線を戻した。

当たり前のようになまえが一番奥の席にかけるのを咎めないあたりに

少し安堵している自分に驚いた。



「出世したんですって、おめでとう。」

「なんや今頃、虫のええ女やな。」



まるで渡瀬の昇進に尻尾を振ってついてきたかのような口振りで、彼は笑った。

言いながら店員に、なまえが昔好んだ銘柄のバーボンを頼む素振りに

一抹のノスタルジーを感じてしまう。



「姐さんになりに来よったんか。」

「違うわ、やめてよ。」



かつてなまえを抱いたしゃがれ声はそのままで、背筋も相変わらずシャンとしていた。

それでもどこか疲れを感じさせるのはきっと眼の奥にあのギラギラした、狩りをする獣のような野心が消えて

自分だけでなく組織のことや、業界のことを考える様になったからだろう。

横顔を晒すサングラスの奥の目を見つめながら、それはそれで結構

セクシーだな、と思う。



「しばらくまた、こっちに戻って来ようかと思って。」

「ほぉ。」



店主がなまえの前にグラスと、灰皿を静かに置いた。

何度も禁煙を試みた煙草は結局やめられないまま、それでもカウンターにはまだ出していなかったのに

何年も前の常連の嗜好を覚えている、優秀な場末のバーなのだ。

頬杖をついてグラスの淵をなぞるなまえに一言相槌を打つと

振り向いた渡瀬の顔は思ったより穏やかに笑っていた。



「家でも買うたんかい。」

「まさか、賃貸よ。」



質問の意味を図りかねて、なまえは乾杯をしないままグラスに口を付けた。

定住しろと言いたいのか、戻ってくるべきではないと言いたいのか

はたまた住処を共にしたいのか、ただの軽口なのか。

交際していた頃より随分短くなった髪を弄んで視線をずらしながら

なまえは曖昧に笑って見せた。



「もう、戻ってけぇへんと思とったわ。」



煙草に火を点けた渡瀬が揶揄うように吐き捨てる。

同じ銘柄を吸う人間は何人もいたのに、違う匂いがするのは何故だろう。

同じように煙草に火を点けるなまえの煙の匂いも、そう感じてくれているだろうかと

口に出せない女々しい願望が首を擡げている。



「あなたの勘は、あてにならないのよ。」



含み笑いをしながら紫煙を吐き出すと、昔に戻ったような気がした。

頑固で義理堅くて、意外と真面目で根回しの早い男の癖に

彼はよく競馬の予想を外していた。

なまえの意図に気づいた渡瀬は一瞬苦々しい顔をしたかと思うと

残り少なくなったグラスを傾けてお茶を濁した。



「でね、その賃貸なんだけど。」



歳を取ったはずなのに、変わらない仕草を懐かしく思いながらなまえが切りだす。

頬杖をついて、座っても見上げる高さの横顔を見つめながら

渡瀬がグラスを置くのを見つめていた。



「結構広くて、良い部屋なの。見に来ない。」



静かなバーの天井に、ゆっくりと紫煙が立ち昇って散って行くのを感じながら渡瀬の次の言葉を待つ。

彼が私をどうするかは勝手にすれば良いけれど

私は二度と彼を置いて行ったりはしない。







something about this place 









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