ZrO2










物凄く派手に転んだ。


新宿のど真ん中の、夜も昼も人通りの多い街の往来で

大して段差もない、本当に何もないようなところですっ転んだ。

顔からいかなかったのはせめてもの幸いだったのだろうけれど、倒れる拍子についた膝の皿が

割れてるんじゃないだろうかってくらい痛む。

それでもなまえはそんなことより飛んで行った携帯をアスファルトの上から救出する方が先決で

もっと先決なのは人々の驚きと心配と、笑っちゃいけないというちょっとした気遣いの目線の中から

一刻も早く立ち去ることだ。



「え、どこ行ったの、ちょっと…」



とっとと立ち去りたい気持ちとは裏腹に、携帯はどこかへ滑っていってしまったようでなかなか見つからない。

せめてこの汚いアスファルトから早く立ち上がりたいと思うのに、左足の足首をたぶん捻っている。

大都会の真ん中で、地べたを這いつくばるスーツ姿の女を通り過ぎる人々は

どんな気持ちでなまえを見ているのだろう。

クライアントの着信を掛け直しながら、片手で手帳を取りだそうとしたのが運の尽き。

肩に携帯を挟んでメモを取ろうとした瞬間に重力はなまえの敵になった。

あぁ、事務所に着いてから掛け直せば良かった。

考えても後の祭り、なまえは這いつくばって人々の足の隙間から携帯の探索に必死だった。

それと、顔から火が出そうな恥ずかしさに耐えること。



「なんや、行儀悪いなぁ。」



頭上から掛けられた声に振り返る。

意味なく肩に金属バッドを乗せた真島が、愉快そうな顔でなまえを見下ろしていた。

その左手の親指の先に、なまえの携帯をぷらぷら挟んで

犬でもあやすかのように目の前で揺さぶる。



「ウケ狙いか、身体張っとんな。」



礼も言わず真島の指先から携帯を奪い取る。

クライアントからの着信は切れてしまっているようだ、早く掛け直さなければ。

そこまで考えて、いや、やっぱり帰社してからにしようとなまえは思い直した。



「どうも。笑って頂けたなら、幸いです。」



ただでさえ恥ずかしいこんなシチュエーション、知り合いに見られたなんてそれこそ穴があったら入りたい。

なまえはそそくさと携帯をバッグに仕舞い、ふと気づく。



あ、ペンもない。



数年前プレゼントで貰った1本1万はくだらない結構お高い仕事用のペン。

なまえが慌てて辺りを見まわすのを、一頻真島は笑っていた。

笑いたければ笑えば良い、恥より仕事の方が大事なのだから。

そう言い聞かせながら相変わらず地面に座りこんだままのなまえの隣で真島は膝を屈めると

先程携帯を挟んでいた指に、今度はペンを挟んでいる。



「よう物失くすやっちゃな。」



今度こそなまえは呆れたようにペンを奪い取り、それもキチンとバッグへ戻した。

口の中でだけ礼を呟き、やっぱりそそくさとその場を立ち去ろうと試みる。

大都会のど真ん中で派手に転んだ件に加え、目立つ風貌の男に絡まれているという状況で

人々の目線が突き刺さる程に痛いから。

掌の汚れを払って立ちあがろうとすると、不意に左足首が傷んだ。



「ッ!」

「あぁ?」



なまえが一瞬顔をしかめたのを、真島は相変わらずヤンキー座りのまま訝し気に覗き込む。

これ以上関わり合いになりたくなくて、なまえがもう一度自力で立ちあがろうとすると

また真島の手が目の前に現れた。

今度は指に何も挟んでいない代わりに、掌をこちらへ向けて差し出している。

束の間、なまえはぼんやりとその意図を図りかねるように真島を見上げた。



突然靴が脱げたって、現実世界じゃシンデレラのようにはいかない。

自力で立ちあがって、自力で歩いて行くしかない。

彼女ならきっと爽やかな金持ちの王子様が助けに来てくれるはずなのに

自分には柄の悪い、突拍子もない服装の極道者が揶揄いながら絡んでくるだけだ。



でもきっと、彼女は次の打ち合わせ時刻をメモしながら歩いていた訳でもないだろうし

携帯の向こうで騒ぎ立てるクライアントに急かされていた訳でもないだろう。

お似合いなのだ、そういう意味では。



「…どうも。」



なまえの目の前の真島の手が、一度急かすように軽く揺さぶられた。

礼を言いながらその手を掴むと、連行される宇宙人のようにぶらんと大きく引っ張られた。

先程より近くなった目線に少し満足げに笑うなまえを、不審な顔つきで見返す真島を見つめながら

もうちょっと頑張れそうな気分になった。








コミカルでシニルでロマンティック





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