le jeu
















勤務中の外出は、壁のホワイトボードに行先と戻り時刻を記載する規定になっている。

なまえがデスクに張りついてPCとコピー用紙の間に埋もれているのを横目に

谷村がきゅきゅっと水性ペンで書き込んで腕を掴みあげた。



「行くぞ。」

「は?」



同期の谷村には正直、友人が居ない。

それでも喫煙所仲間としてなんとなく話している内に、案外性格は悪くないことを知った。

時折、やっぱり違うかもなんて思ったりもするけれど。



「ちょ、どこ行くの。」

「悪質なキャッチの取締。」



捕まれた左腕を必死で抵抗して、右手のマウスで保存をクリックしながらホワイトボードを見る。

汚い、一見して谷村の文字だと分かる文字でなまえの名前の横の欄が埋まっていた。



「聞いてないし、課長に承認貰わないと。」

「今言った。貰った。」



再び行くぞと声をかけた谷村にいよいよ椅子から引き剥がされた。

課長は自分のデスクで、さも忙しいような顔をしている。

ここの所課長ですら谷村の勤務態度には手を焼いているものの口を出せないでいるのは

一重に検挙率がトップを爆走している所為。

そもそもあの繁華街の住人なんて、誰を捕まえても叩けば埃が出るようなもので

万引きから殺人、立小便、強盗、違法駐車なんか当たり前のように蔓延っている。

先程から何度も、特に何も記載していないコピー用紙を見たり置いたりしている課長をちょっとだけ睨んで

なまえは谷村の後について署を出て行った。



「キャッチなんてもっと深い時間の方が捕まりやすいのに。」

「馬鹿かお前。」



繁華街に着くと、正論を述べるなまえの隣で谷村が煙草を蒸かす。

まだ日が高い午後に往来を闊歩する人はせいぜい観光客か、物流関係か出勤前の飲食店の店員くらいだ。

いきなりの暴言になまえが顔をしかめても、谷村はどこ吹く風だ。



「サボりに決まってんだろ。」

「はぁ?」



公務員だって別に暇じゃない。

ただでさえ残業続きのこの頃、報告書の整理なんかを終えてしまいたいのに

同期の汚職刑事のお散歩に付きあっている暇なんてありはしないのだ。

怒って踵を返そうとしたなまえの腕を、谷村はまた瞬時に掴んだ。



「うそ、嘘。悪質なキャバクラの勧誘の尋問があんだよ。」

「本当?信憑性ゼロなんだけど。」



訝し気な目線を投げるなまえの腕を引っ張って、ほらここと谷村が指さしたのは

何でもない雑居ビルだった。

金融関係を連想させる社名の張られた窓を見上げるなまえを他所に

勝手知ったる何とやら、とばかりに谷村が外階段を登っていく。



「こんちはー。」

「あら、お久しぶりです。」



谷村が入って行くのにつれてなまえが覗き込むと、如何にも普通のOLのような制服を着たふくよかな女性が声をかける。

知り合いの事務所のようで、やっぱり嘘だったかとなまえが溜息を吐いた。



「どうしたの、谷村サン。何も悪いことしてないけど。」

「存在が悪なんだ、仕方ない。」



奥の大きな椅子でほとんど寝そべっていた男が起き上がって谷村と軽口を叩く。

なまえはどうしたものかと逡巡しながら、なんとなく事務の女性に会釈をした。



「何、女連れじゃん。」

「珍しいだろ。」



当たり前のように応接ソファに座った谷村が、いつの間に持ってきていたのか

紙袋を事務の女性に手渡した。

中身を確認した女性は嬉しそうに顔を綻ばせると、珈琲を淹れに隣室へ向かった。

すわ袖の下かと彼女の動きを見張っていたものの、給湯室で彼女が紙袋から冷蔵庫へ移したものは

どう見ても洋菓子の箱にしか見えなかった。



「初めまして。何、お姉さんも刑事なわけ。」

「みょうじ、谷村の同期です。」



ソファへかけるよう促され、なまえも応接セットへ向かう。

男が差し出した名刺を受け取って、なまえも簡単に自己紹介をした。



「こんな同期が居ると大変じゃない?ウチのキャバクラに転職したら。」



秋山と名乗るその男が腰掛ける前に、谷村が簡単に彼の経歴を紹介した。

返答に窮していると、事務の女性が珈琲を運んできてくれた。



「な、悪質な勧誘だろ。」



当たり前のように珈琲を受け取った谷村がしれっと呟く。

秋山に勧められて同じくソファに落ち着いた女性は花ちゃんと呼ばれていた。

結局、谷村の持ってきたケーキを囲んで優雅なティータイムになってしまった。



「悪質なんて、酷いなぁ。」

「刑事って知ってて勧誘するの、アンタくらいだろ。」



へらへら笑う秋山が頭を掻いた。

手持無沙汰に珈琲を飲んで居ると、向かいの花が甘い物は嫌いかと勧めてきたので

チラリと谷村を見て、なまえは諦めたように一口食べてみた。



「なんだ、やっぱり検挙する気ないんじゃない。」

「まぁ、ねぇよな。」



明後日の方向を向いたまま谷村が応える。

顔見知り、しかも結構仲良さげな団欒になんとなく愛想笑いで付きあって

そそくさとケーキを食べ終えるとなまえは立ちあがった。



「あれ、もう行っちゃうの。」

「えぇ、仕事がありますから。」



珈琲ご馳走さまでしたと伝えると、なまえは脇に置いたバッグを肩に掛けた。

とっとと署に戻って、先程の続きを終えてしまいたい。

ついでに課長にチクリと一言言ってやろう。例えば『課長ってイケメンに弱いんですね』とか。



「また遊びに来てね、なまえちゃん。」

「秋山さんが悪いことをしてたら、すぐに遊びに来ますよ。」



ひらひらと手を振りながら、ソファに座ったまま秋山が見送った。

扉をくぐる前にお別れの冗談を言ったつもりが、彼の顔を少し困らせてしまった。

なまえが去ると、少しだけ静かになった事務所の中で

谷村は相変わらずマイペースにケーキを口に運んだ。



「どういう意図ですか、あんな子連れて来て。」

「別に、なんてことないけど。」



秋山が煙草に火を点けると、谷村も胸ポケットから煙草を取り出した。

テーブルの脇に置いてあった灰皿を、秋山が少しだけ動かす。



「美人じゃないですか、みょうじ。」

「うん、綺麗だと思うよ。」



遠くで聞こえて居たなまえのパンプスが外階段を蹴る音が消えた。

今頃きっと早足で駅へ向かって居る頃だろう、心の中で谷村に悪態をつきながら。

2人がゆっくり紫煙を吐き出すと、事務所の電話が鳴って花が席を立った。



「秋山さんの好みじゃないかなぁって。」

「うん、そうだね。口説きたくなる。」

「俺もそう思うんですよ。」



刺々しいやり取りは、花が応対をしている声に紛れて消える。

冷めかけた珈琲を口に運びながら、谷村が足を組みかえた。



「おもちゃの自慢をしに来たんだ?」

「まぁ、そんなところです。」



街の雑踏が聞こえては消える。

遠くでタイヤがアスファルトを削る音がする他は、本当に繁華街なのかと思える程静かだ。

昼夜逆転のこの街は、昼間は案外静かなものだ。

秋山がゆっくりと煙草をふかしながらにやけた笑いを谷村に向ける。



「なるほど、意外と臆病な男なんですね。」



どこか馬鹿にしたような物言いに谷村が少しだけ眉を上げる。

花の電話は長くかかりそうだ。



「惚れてるなら口説けば良いだけじゃないですか。」

「それができたら苦労はしないですよ。」



目を伏せたまま谷村は再び珈琲を口に運ぶ。

なまえが選んだ男が自分以外であるなら、自分の縄張りの人間であれと思う。

適当な難癖をつけて検挙して、マエのひとつでもつけば

仕事人間のなまえはきっと刑事としてのキャリアと天秤にかけるだろう。

そうして片っ端から取りあげて、消去法的に谷村しか残らなかったとしても

自分を選んでくれたことに変わりは無いのだから、それで良いのだ。

少し吸ったきり弄んでいる煙草を指先に挟んだまま秋山が頭を掻いた。



「意外に素直に認めるんですね。」

「えぇ、まぁ。」



煙草を乱暴に鎮火して、谷村がソファを立った。

デスクで電話を続ける花が目線だけで見送りの会釈をしてくれた。

谷村も、下げたのか下げてないのかわからないような会釈を返すと

扉をくぐる背中に秋山の声が届いた。



「こう見えて俺、結構ヤリ手なんですけどね。」



何か言い返そうかと唇を軽く開き、そっすかと小さく呟いただけで

結局何も言い返さないまま谷村は事務所を後にした。

舐められるのが嫌いな負けず嫌いの男が勝つか、用意周到な臆病な男が勝つか

真昼の月はぽかんと空に浮いている。









水面の一手






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