razzin












引き籠りがちな休日を、無理やり外に出る口実を作るようにしている。

仕事で必要な資格の参考書を持って外に出た土曜日の昼下がり。

流行らない喫茶店は人も疎らで静か。

ホットの珈琲を頼んで上着を背もたれに掛けた頃に、当たり前のような顔で馬場が向かいに座った。



「どちら様。」

「相変わらず冷たいなぁ、なまえさん。」



へらへらと笑いながら、ちょっと困った顔の店員に馬場は満面の笑顔を向けて

同じ珈琲をオーダーした。

毎週毎週、どこからかなまえの居場所を嗅ぎつけては

何をするでもなくただ隣に居る。

恋人である冴島の部下であることは知っている、一度彼から邪魔やったら言うとくでと言われたけれど

別に害がある訳でもないし、一言構わないと返しただけだった。



「デートもないの、休日なのに。」

「そっくり返すよ、その言葉。」



馬場と目を合わせないままなまえは参考書を開く。

集中できなくもないけれど、めちゃくちゃ集中できる訳でもない。

喫茶店で勉強をする人というのはとどのつまり、頑張って居る姿を誰かに見て欲しいだけなのかもしれない。



「冴島さん、会いたがってると思うよ。」



小さなグラスの水を飲んで、馬場が足を組み直した。

右手の通りに面した大きな窓からは燦々と注ぐ日差しが街路樹に阻まれて

疎らにテーブルに影を落とす。



「物理的に無理でしょ。」



繁忙期があるのか知らないが、最近はやたらと忙しいらしい。

律儀な冴島は会えないことを詫びるような旨の電話をかけて寄越したけれど

なまえもなまえで別に暇人というわけではない。

寂しい気持ちは仕事の波に紛れて、全然感じなくなりつつある。



「冷たいなぁ、なまえさん。」



店員が珈琲をふたつ運んできた頃に、馬場が同じ台詞を吐いた。

ミルクを置こうとする店員に、ブラックでと呟くと彼女はミルクポットを引っ込めた。

帰りしな、なまえと馬場の脇にそれぞれ違う銘柄の煙草が置かれているのを見て

隣のテーブルから二つ目の灰皿を移動させた彼女は若く見えるけれど

結構頭の回る、要領の良いお嬢さんなんだろうなと思った。



「会いたいって思わないの。」



据え置きのシュガーポットから砂糖をひとつまみ珈琲に入れて

くるくるとかき混ぜながら馬場が問う。

ミルクを入れたり、入れなかったり、砂糖を入れたり、2匙入れたり。

馬場の珈琲の好みはその日の気分によってころころと変わる。



「別に。」



ペンを手に持って、組んだ膝の上で参考書を広げたなまえが返す。

ふぅん、と呟いた声はBGMの中でもよく聞こえた。



「ねぇ、なまえさん。」

「何。」



くるくると指の間でペンを弄ぶのは、学生時代からの癖だ。

今も0.5の黒いボールペンが、なまえの細い指の間で弧を描いている。

馬場が小さなテーブルの上に突っ伏するように腕を伸ばし、上目遣いで問いかける。



「峯さん、って誰。」



ぱち、と指にペン軸が当たる音がして回転が止まった。

なまえの顔は無表情のまま、相変わらず参考書に向けられているけれど

薄い色の瞳が一瞬、右へちらりと動いたのが見える。



「…元彼よ。」



数年前、冴島と出会う前に知りあった峯は金以外に興味のないような男で

知りあった時には堅気だった癖に、あれよあれよという間に裏社会で一端にのし上がって

結果、呆気なく死んでいった。

葬儀すら碌に開かれなかった、彼のことはなまえの恋愛遍歴のひとつに過ぎないと思っていたけれど

別れないまま死んでしまった男というのは、いつか美化されて結局誰も敵わない所まで到達する。

冴島と付きあい始めたのも、冴島自身の人柄に惹かれたというのも勿論あるが

頑固で不器用な一本筋の通った所が、なんとなく彼に似ていたからというのも否定できないでいる。



「冴島さんは、知らないんでしょ。」



馬場のことは好きではないけれど、彼の素晴らしいところはその洞察力とカマのかけ方の上手さだ。

じっと相手の痛い所を観察して、ここぞという場面で口八丁を振りかざす。

ハイエナや禿鷹に似ている獰猛さを、その爽やかな仮面の下に隠している。

なまえが返事をしないでいることを肯定と取ったのか、馬場は満足そうに珈琲を啜った。



「良いのかな、あの人あれで結構ナイーブだから。」



わざわざ過去の恋愛を洗いざらい暴露する程、なまえと冴島の仲は若々しくはない。

お互いこの歳になれば色々あるだろうと、織り込み済みの恋愛だけれど

冴島に峯のことを話せばたぶん、聡明な彼はなまえが峯の面影を冴島に重ねていることに気付いてしまうだろうから。

そうして離れて行かれることは、普通に嫌われて捨てられるより何倍も辛いことだから。

思いやりという名の皮を被った自己満足を押し付けている関係を、馬場は面白そうに笑う。



「何が言いたいの。」



とっくに頭に入って来なくなった参考書からやっと顔を上げる。

まだ湯気の立つ珈琲を飲みたかったけれど、動揺を悟られたくなくて

なまえはきっと馬場の目を見据えた。



「別に。思ったことを言っただけ。」



今度は馬場が目を逸らす。

木漏れ日の落ちる土曜日の往来は、薄着になった人々の顔も真冬より少し明るい。

抱かせろとか、金を寄越せとか、直接的な脅しを掛けない分性質の悪いこの男は

なるほどやっぱり極道に向いている。



「卑怯な人ね。」



溜息交じりに伝えたなまえの声は刺々しく、ザラついて馬場の耳に届く。

少し機嫌を損ねたような顔を一瞬、すぐにいつものへらへらした笑顔に戻って

馬場はなまえが煙草を取り出す様を見つめていた。



「困った顔が見たいだけだよ。」



今日の成果は得たとばかりに彼は珈琲を飲み干すと席を立った。

置きっ放しの伝票を見て、ハイエナの方が随分マシだったのにと頬杖をつく。

吐き出した紫煙の向こうで揺れる馬場の背中を見つめながら、たぶん馬場はイルカに似ているのだと思った。

遊んでいる内におもちゃを壊してしまう、イルカに似ている。






真綿で






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