ちょっと頼まれて欲しいと電話があったのは、一日の仕事を終えて

コンビニで買ったビールをぶら下げて家に着いたまさにその時だった。

佐川からこんな電話がある時は大概厄介で面倒な案件で

既にオフモードになっていた、乳酸の溜まった足を再び街へ運んだ。



「いやぁ、すまねぇ。変な時間に呼び出してよ。」



事務所に着くなり佐川が直々に出迎えた。

普段不愛想なこの男は解り易いご機嫌取りをする。



「どうされました。」

「ちょっとお困りごとっつーのがあってよ。」



言いながら佐川はなまえを応接セットに通し、自分も対面に腰掛けた。

大きな造りの灰皿を二人の中間に寄せる。

佐川の事務所の弁護関係を担当しているのは、いわば成り行きだ。

簡単に言えば、行きずりの男と寝て入れ込まれた。

その男というのが、佐川の叔父分にあたる男だったようだ。

彼はなまえを大層気に入り、組のお抱え弁護士として重用したけれど

3年前に死んでしまった。

白々しい顔で葬儀に参列する佐川に、今回の殺しの黒幕はあいつなんじゃないかと噂が流れていたけれど

入籍はおろか、同棲すらしていなかったなまえの感想は正直

ふぅん。



「お困りごと、ですか。」

「あぁ。なるべく早く、明日の朝にゃなんとかしてくんねぇかな。」



大方三下が起こした痴漢だかなんだかを、警察に行かれる前に示談にしてくれというのだろう。

なまえは出された珈琲を一口飲んで、面倒臭そうな視線を投げかけた。



「そんな面すんなって。別嬪が台無しだぜ。」



軽い調子で言いながら、佐川は断りもなく煙草に火を点けた。

極道の世界というものは不思議なもので、なまえを引きこんだ男が亡くなった後

彼の組は自然に佐川の傘下に収まった。

野生動物の世界のように、以前のボス亡き後は全てを一新するものだろうと思っていたが

良きものは残し、不要なものは捨てていく

言うなれば進化のような形態を取って、誰一人文句も言わず組は運営されていった。

なるほど、裏社会がなくならない訳だと他人ごとのように感心しながら

自分が残された理由はたぶん、他にこんな芸当をやる腐れ弁護士が居ないからだろうとわかっていた。



「2割増しになりますが。」



なまえが金の話をするなり、佐川の表情は変わる。

いや、表情は同じ飄々とした不気味な笑顔のままだけれど

目の奥の色がギラついたように変わるのだ。



「わかってるよ、“可愛い”なまえちゃんの頼みじゃ仕方ねぇよな。」



形容詞を殊更強調して、佐川は煙草を振り回した。

違法なことをしているのだから、普通の弁護士に頼むよりも遥かに高額な報酬を得るのは当たり前だと思っている。

それでも佐川は請求書通りの金額をキッチリ払って寄越したことは一度もなかった。

大体が2割か3割程減額されて入金されているのが常で

面倒なので一度も問い質したことはないけれど、きっと佐川は手間賃だとか経費だとか

色々それっぽいことを言って、結局払わないのがオチなのだろうと思う。

尤も、佐川とつまらないやり取りをする1時間があるなら、他の案件を片付けた方が儲かるので

そのまま野放しにしているなまえにも、責任があるといえばあるのかもしれない。



「おべんちゃらは不快だわ。」



簡単にまとめられた、相手側の家族構成やら何やらが書き込まれたコピー用紙を片手に

珈琲を啜って呟くと、佐川が鼻で笑った。



「そう冷たいこと言うんじゃねぇよ。俺となまえの仲じゃねぇか。」



さも愉快そうに笑う佐川の声は大きい。

叔父分を打った上に女を抱いたとなれば箔はつくけれど批難も多かろう。

知ってか知らずか、佐川は言葉の節々で他人の神経を逆撫でするきらいがあった。



「あなたは私が嫌いじゃないですか。」



コピー用紙に書かれていた情報は粗方頭に入った。

示談まで持ち込むのも慣れたもので、大体はパターンのルーティーン。

明日の朝までに片付きそうな案件に肩の荷が下り、なまえもバッグから煙草を取り出すと

逆撫でされた神経で佐川の神経を逆撫でしてやろうと、これ見よがしに咥えて見せた。

相変わらず不気味な笑顔のまま、不服そうな佐川は一瞬置いて

諦めたようにZIPPOでなまえの煙草に火を点けた。



「まぁ、そうだけどよ。」



佐川がZIPPOを閉じるのを見つめながら、深く深く紫煙を吸いこんで満足げに吐き出す。

今、彼がなまえを敵に回すわけにはいかないのだ。

少なくとも明朝までは。

なまえはいつもより少し美味く感じる煙草を2口ゆっくり吸いこんで、書類をバッグに仕舞った。

二重底になっているバッグの中には、なまえの堕落した向日葵が咲いている。



「私は結構好きですけどね、佐川さんのこと。昔から。」



まだ長い煙草を灰皿に押し付けて消しながら呟く。

一瞬の間があって、佐川が鼻で笑った。



「なら抱いてやろうか。」



少し草臥れ始めたバッグを肩に掛けて、事務所の出口へ向かう。

佐川が長くなった煙草の灰を落としながら揶揄うのを、なまえは無視を決め込んだ。










夜露交じりの酒にかれて






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