で本望















真に何を企んでいるのかはほとんどわからないような男だったけれど

佐川がそれなりに自分のことを必要としているのは、なんとなくわかっていた。

尤も、それは別に心の拠り所とか、そういう美化されたような意味合いでもなくて

利用価値が“まだ”あるというだけの話ということも知っている。

佐川がある日突然マンションへ転がり込んできて、しばらく匿ってくれと当たり前のように言い放った時も

本当はまだ自分に価値が残っていたことを再認識できて、嬉しく思ったりもした。



「これ、いくらすんだ。」



このマンションに転がり込んでから数日間、佐川は本当に一歩も外へ出なかった。

こういう時は大概厄介なことをしでかした後で

追われているのは正義になのか悪になのかは、たくさんの意味でわからなかった。



「どれ?」

「これだよ、これ。」



仕事を終えて帰宅し、シャワーを浴びたばかりのなまえに

佐川は突拍子もなく問うた。

ソファに我が物顔で腰掛ける彼が指さす方向を追うと、古いアンティークの置時計があった。

骨董品を集めるのが好きだった、今は亡い身内の遺品に紛れていたもので

生前あまり親交はなかったが、さすがに葬式くらいはと出席した際に

形見分けで余ったものを分けてくれた、大した思い入れのない品だ。

身内が亡くなって数年後に、意外と価値があるということが判明したのだが

その時にはもうあちらの親戚とは交流はなかったし、なんとなくそのままで

ぜんまいすら巻かずに、長いこと止まったまま適当な時刻を指している。



「知らない。」



まだ半乾きの髪をタオルで擦りながらなまえが応えると、佐川はふぅんと呟いて

勝手に取りだしたなまえのワインを傾けた。

骨董品屋にでも持っていけばまとまった金になるのだろうけど

田舎で一生を終えた故人の唯一と云って良い程の趣味だったことを鑑みると

ちょっと気が引けてそのままにしてある品を

わざわざ最新型の家電製品が並ぶ部屋の中で指名するあたり

目敏い男だなとつくづく思う。



「売りゃあ、金になるんじゃねぇのか。」



テーブルに置かれたワインのボトルには、もうあんまり残っていないようで

仕方なくなまえは冷蔵庫からビールを取り出した。

この分では、キッチンの棚にあるワインや日本酒なんかはあっという間に

なまえの知らない間に無くなってしまうような予感がしてならない。



「何、お金が必要なの。」



プルトップを開けながらソファの隣に座る。

部屋の景色に溶け込み過ぎて近頃意識すらしていなかった置時計が、恨みがましく

そして心配そうに見つめてくるような目線を感じた。



「そういうわけじゃねぇけどよ。」



今度はなまえがふぅんと返す。

金が必要なら、現金でいくらか渡してやることはできるけれど

佐川は女に金をせびる様な真似のできない男だった。



「お前は良いよな、何でも持ってる。」



ワインボトルの隣に置かれた、ビニール袋を開けただけのナッツもそろそろなくなりそうだ。

大方、夕食の代わりにでもしたのだろう。

新宿の輸入食品店で購入した、裏面ですら英語で書かれたナッツは

スーパーで2袋100円で売っているような、ケチなものではない。



「何でもは、持ってないわ。」



収入の安定した、社会的地位のある仕事。

東京の繁華街の広いマンション、2年前に買った愛車、セラーに残っているフランス産のワイン3本。

輸入食品のナッツ、それなりにモテる容姿、健康な身体、最新型の薄型テレビ。

これ以上欲しいものは大してないけれど

全てを手にしたというには、まだ全然足りない。



「人間ってすげぇんだ、失う時は。いっぺんだ。」



佐川がちろりとワインを舐めて呟いた。

ここへ隠れなければならない理由を深く問い詰めたりはしなかったけれど

たぶん、また、人を

どうにかしたのだろう。

なまえはビールを喉へ通しながら、すぅっと背筋まで冷えていく感覚を味わった。



「そう。」



彼にどうにかされたのが男なのか女なのか、中年なのか若者なのか知らないが

なんとなくその人の気持ちが解るような気がした。

なまえは確かに、過不足なく必要なものを贅沢に持っているけれど

慎ましい人生を一絡げに奪い去って行く薄情な男という役どころに

佐川は皮肉な程ぴったりと、よく似合った。





翌日、何時も通り仕事を終えて家に帰ると佐川は居なかった。

セラーの中のワインは残り3本のままで、ベランダに干したバスタオルは2枚だったけれど

あの置時計は、どこにもなかった。






嘘で





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