ポートレ
















起きてみるとよく晴れた休日だった。

久々に休前日に酒を呑まずに寝たせいで随分と身体が軽い。

こんな朝なら毎晩酒を呑まずに眠れば良かったと一瞬だけ思うけれど

日が傾いた頃にはすでにアルコールを欲している自分は想像に難くない。

とりあえず服を着て、とりあえず街に出て、とりあえず馴染みのブランドを一通り見て回った。

先週買い物をしてしまったせいであんまり物欲がわかないな、なんて思っていると

秋山から携帯に話があるのだと着信があった。

適当にそこらへんを見渡して、目についた喫茶店の名前を伝える。

喫煙席の方が禁煙席より空いているようになったのは、いつからだっただろう。



「どうしたの。」



なまえは手元の本から目を離さないまま呟いた。

向かいに座った秋山は、席に着くときも一言も話さないものだから

店員が本当に連れなのかと訝しんでいる目線を向けていた。



「何が?」



ホットコーヒーをブラックで啜りながら秋山が眉を上げた。

なまえが喫茶店に着いたのは電話を受けてから10分後。

秋山が無言でなまえの向かいに腰掛けたのは、それから更に1時間後だ。

灰皿は一度店員が変えてくれたけれど、底がほとんど見えない程には埋まっていた。



「話があるって。」



ボックスの中の煙草は残り2本、ころんと転がっている。

ZIPPOのライターを足さなければ。



「そんなこと言った?」

「言ったわ。」



話があるんだなんて出し抜けに言うものだから、てっきり別れ話なのかと思った。

それか、そろそろ付き合おうかとか。

いづれにせよなまえと秋山の曖昧な恋人関係を揺るがすような出来事は起こりそうにない。

少なくとも今日は。



「言ってないよ。」



左手で煙草を燻らせながら、秋山はしれっと珈琲を口に運ぶ。

なまえもすっかり冷めた2杯目の珈琲を啜りながら、ふぅんと短く呟いた。



「なら、そういうことにする。」

「うん。」



本のページをぱらりとめくる。

小説なんて学生以来読んでいない。

最近は専ら経済書やら資格の参考書なんかを必要に応じて読むくらいで

書店の奥の漫画コーナーや、逆に入ってすぐの文庫本コーナーも長いこと足を踏みいれてすらいない。

たまには勇者が冒険をする話に没頭してみたいとは思うけれど

やっぱりそんなに暇じゃない。



「愛してるよ。」



店内にはピアノとシンセサイザーの静かなBGMが流れている。

時折、キッチンで水を流す音と食器が触れる陶器の音。

遠くのボックス席のカップルの会話の合間に、秋山が甘言を吐いた。



「知ってる。」



無駄な努力をすべきではないと語る経済書の著者の前作を以前読んだ。

理想論ばかりで為にならないと思ったのに、また同じニュアンスの本を購入してしまった。

結局、今回も理想論ばかりだった。



「おかしいな、言ったことなかったのに。」



テーブルの脇にビニール袋に入ったまま置いてあった別の本を勝手に捲って秋山が応える。

今持っている資格の上位資格の参考書をパラパラとめくって

うへぇ、と苦々しく顔をしかめた。



「そうかな。でも、知ってるもの。」



通りに面した窓ガラスの向こうで信号が青になった。

一斉に人が歩き出し、一斉に人がこちら側へなだれ込む。

どうして誰もぶつからないのだろうと不思議な気分になった。



「じゃ、そういうことにする。」



頬杖をついて窓の外を見つめるなまえの左耳に、秋山の声が聞こえた。

もうすぐ信号が点滅し始める頃だろう。

煙草を吸おうか、でもさっき吸い終わったばかりだと逡巡しながらちらりと横目で盗み見ると

同じように頬杖をついて足を組んで、秋山も窓の外の人々を見つめていた。



「うん。」



ZIPPOに伸ばしかけた手を引っ込めて短く返事をすると、なまえもまた再び頬杖をついた。

もう少しだけ、同じ景色を見ていたい。










あと一曲、あと一杯、あと一本






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