It’s a wonderful world















取引先との商談を終えて駅へ向かおうと歩いていると

湿った暗い雨雲から、ぽつりぽつりと雨粒が滴り落ちて頬を濡らした。

歩幅を早めて目についたコンビニの軒先に駆け込んだ頃には

ざぁざぁと音がする程に夕立は酷くなっていた。



「傘、持ってないし…。」



予報をきちんとチェックしておけば良かった。

ここのところ外れてばかりなものだから、全く宛てにしていなかったけれど

傘を持っていない時に限って、雨には降られる性分だ。

バッグからハンカチを取り出して濡れたバッグと肩を拭いて、空を見上げる。

止みそうで止まなさそうな、不安定な空だった。

駅までは半分以上来ているし、歩いて5分程の距離は走れば何分程になるだろう。

今日の外回りはもう終了だけれど、会社に戻ればやることはたっぷりと口を開けて待っている。

少し爪先の濡れたパンプスの感触を確かめて、走れるかどうかを見定めてみた。



「止めた方が良いよ。きっと、すぐに止みますから。」



素っ気ない声色で、けれども優しい口調に振り向くと色の白い男が立っていた。

男は大きな目をしていて、コンビニの前に据えられた灰皿でゆったりと煙草を蒸かしている。



「えぇ、でも…」



やることは沢山残っている。

仕事用の携帯も今日は鳴りっぱなしで、早く充電をしたいと思っていたところだ。

先ほどの商談の内容も早く纏めて、見積もりを送らなければならないし

上司の承認印だってタイミングがずれればなかなかつかまらないかも知れない。

なまえが相変わらずパンプスを踵に嵌めたり、少し脱いだりしているのを

男は横目で見ながら鼻で笑う。



「雨が止むのも待てない人生なんて、って思いませんか。」



言い様に少しムッとして、それでもどこか腑に落ちてしまう。

男の言いなりになっているようで癪だったけれど、確かに今にも止みそうではあるし

走ってスーツが濡れた頃、雨が上がるのも癪だ。

なまえはバツの悪い顔で、何か今の内にできることはないかとバッグを漁ってみたけれど

充電の切れかけた携帯と走り書きの手帳のメモたち、とても片手では広げられない重さのファイルを見ただけで

結局煙草を取り出して火を点けた。



「良い子ですね。」



馬鹿にしたように笑う男の方をチラリと見て、それから視線を遠くへ向けた。

バッグで頭を隠して、足早に駅方面へ走っていくサラリーマンのスーツの裾が濡れている。

もう少しゆっくり生きれば良いのに、とつい感化された思想を抱いてしまう。

3口目の煙草を吸ってもまだ残る煙草の先に積もった短い灰を

指先で灰皿に落とすと同時に、男もまた灰を足元に落とした。

きれいな長い指はセクシーだった。

つい見惚れてしまう彼の所作から目を逸らし、腕を組んで煙草を口に運ぶ。

こんなにゆっくり煙草を吸ったのも、随分久々だ。



「ほら、上がった。」



男の煙草がほとんどフィルターギリギリに短くなった頃、彼はぽつりと呟いた。

なまえも駐車場のアスファルトを見ていた目を上げると、まだ雲はどんよりと重いものの

水溜まりに広がる波紋は段々小さくなり、消えた。



「天気予報士か、何かなの。」

「まさか。」



男は最後に煙草を吸い切ると、茶色い水の濁った灰皿に吸殻を投げ捨てた。

なまえも最後に一口大きく吸いこんで、まだ彼の吸殻の煙の立つ灰皿に

ぎゅっともみ消してから投げ入れる。



「明日も、雨が降るかしら。」



バッグを肩に掛け直すと、やっぱり重かったけれど

ほんの少し疲れが取れて、心地の良い重みが肩の筋を圧した。

男は伸びをしながら空を仰いで、さぁ、と吐息交じりに言い放った。



「明日の天気はわからないけど、明日もあなたが来るなら僕もここに来ますよ。」



腕時計で時間を確認すると、思ったより時間のロスは少なかった。

このたかが数分の為に濡れて帰るなんて、やっぱり馬鹿らしかったのだなと省みる。



「何それ。」



なまえが笑いながら雨上がりのアスファルトを歩き出すと、

相変わらず笑顔で男はバイバイ、と指の長い手を振った。










この世は今日も




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