言わせ















自己紹介をしながら名刺を渡してきた、雑誌の名前は忘れたけれど

なまえという名前と、何も塗っていない綺麗な爪をはっきり覚えている。

警察密着なんたら、という企画を組むにあたって四課から誰かを借り出す際に

上司が「谷村くん頼むよ。君、顔は良いんだから。顔は。」と思わせぶりな口調で言った。

撮影と打ち合わせをした先週の帰り際、なまえはぜひ今度お食事でもと言いながら

びっしり書き込んだノートをバッグにしまった。

あれから一週間が経つ。



「どうした、今日は真面目に仕事してんのか。」



同僚が揶揄いながら、隣で煙草に火を点けた。

警邏に出ようと上着を羽織ったのを、例の上司に咎められて

今日は一日署に缶詰だ。



「いつも真面目なんだけど。」



ぶっきらぼうに言い返すと隣で同僚が笑った。

書類仕事は嫌いなものだから、一日中署に居ると煙草の本数が増えて仕方がない。



「こないだの美人、どうなったんだよ。」



もう食ったのかと下品に笑う同僚を鼻で笑いながら、2本目の煙草に火をつけた。

デスクに戻ったところで集中できる気がしない。



「何もねぇよ、音沙汰なし。」



社会人の常套句、食事の誘いの口約束を交わした女は大体がその日の内に電話をしてきて

いつなら空いてますかと猫なで声で問うのが常だ。

もしくは3日程経った頃に、なぜ電話をかけてこないのかと恨みがましく留守電に残す。

そのたびに仕事が忙しいだのと言い訳をするのが面倒で、今回もいくつかの言い訳を用意はしていたものの

なまえからの着信はついぞ、液晶に残ることはなかった。



「マジかよ、イケメンの名折れだな。」

「うるせぇ。」



揶揄う同僚に舌打ちをしながら煙草をもみ消し、さて怒られる前に戻るかと喫煙所を後にした。

屋外の錆びかけた階段を下りる途中、ふと気になって液晶を確認する。

相変わらず着信は残っていない。



「二枚舌の社会人め。」



誰にともなく悪態をついて携帯をポケットにしまおうとした瞬間、バイブが指先を揺らす。

慌てて落としそうになるのをなんとかキャッチして番号を確認すると

噂をすればなんとやら、なまえの名前が表示されていた。



「…はい。」

『お世話になってます、谷村さん。みょうじです。』



番号は表示されているというのに、なまえは電話の向こうで改めて名を名乗った。

まさか谷村が番号を登録しているとは思わなかったのだろうか。

いや、考えすぎだとかぶりを振って、谷村は適当な返事をした。



『先日の特集の件、ゲラ送ったんですけど御覧になられました?』



電話の向こうのなまえは余所行きの声で、遠くからは電話の音や男の声が聞こえていた。

おそらくオフィスにいるのだろう。



「ゲラ…、あー、なんか届いてた気がします。」



警察には個人宛の郵送物なんて滅多に届かないものだから、朝デスクに置かれていた大きい封筒を

ひょいと脇によけて、そのままにしてあった。

たぶんあれがなまえの送ったゲラなのだろう。

電話の向こうでやっぱり、となまえが笑った。



『ちゃんと見てくださいね。写真も、結構イケメンに撮れてますから。』



カチカチ、とマウスをクリックする音が聞こえた。

きっとデスクでPCを眺めながら電話をかけてきているのだろう。

忙しいと噂の出版業界で、コピー用紙の山に埋もれながら

その長い脚を投げ出してデスクに向かうなまえの横顔さえ見えるような気がした。



「元が良いですからね。」



階段を下りきって、嫌味に一言呟くと

なまえはふふっと愉快そうに笑いながら、そうですねと冗談を流した。

電話越しでは愛想笑いなのか、それとも真顔で笑い声だけを作っているのかわからない。



『修正があれば、できれば今日中に連絡ください。お忙しいとは思いますけど。』



週刊誌の締め切りは早い。

毎週締め切りに追われるハードスケジュールの中で、彼女はそこそこ出世しているようだった。

要件を伝え終わり、では、と電話を切ろうとするなまえを思わず呼び止める。



「みょうじさん、飯。」



短い単語だけを繋げて、相手に続きを促す。

モテる男の手練手管というものはこんなところにも表れるのかもしれない。

なまえは一呼吸間を置いてから、あぁ、と無駄に明るい声を上げた。



『お誘いしようと思ったんですけど、谷村さんもお忙しいかと思って。』

「俺も、みょうじさんって忙しそうな人だなぁって思ってたんですよ。」



すれ違う人も少ない廊下をぶらぶらと歩きながら、しれっと言って退ける。

なまえは適当な返事をしながら続きをはぐらかす。



『谷村さんって凄く素敵じゃないですか、恋人さんに申し訳なくって。』

「生憎特定の彼女は居ないんですよ、広く浅くって感じで。」

『警察学校時代はファンクラブがあったとか。』

「昔のことを気にするタイプには、見えませんでしたけどね。」



応接室のソファに座って、膝の上に広げたノートにペンを走らせたうつむき加減の額を思い出す。

考え事をする時に、ペンを唇に押し当てる可愛らしい癖を覚えている。

背筋を伸ばした歩き方を、よく通る高い声を、気の強そうな大きな目と髪をかける癖のある耳の形を。

指輪をしていないなまえは、自分と同族に思えた。



『近いうち、どこか美味しいものでもご一緒しましょう。』

「社交辞令も使いすぎると嘘つきになりますよ。」



なかなか誘いを切り出さないやり取りにいら立つけれど

こちらから誘う気もサラサラない。

誘われたら行ってやろうとする主導権争いを繰り広げる様は、高校生のようだ。



『男性から誘うのも、一周回って素敵ですよ。』

「みょうじさんみたいな美人に誘われちゃあ、断る理由はないでしょう。」



なまえの笑い声が、今度は漏れ聞こえるように電話口で響いた。

今ならどんな顔をしているか解る。

ちょっと困ったような、唇を軽く噛んではにかんだような笑顔だろう。

その頬に触れてみたいと純粋に思う。



『意地悪ですね。』

「お互い様です。」



廊下を渡り切った頃になってやっと、なまえが本音をちらりと漏らす。

とにかくゲラを見ておいてくださいねと早口に言って電話を切ったなまえが困っていると良いと思いながら

つくづく天邪鬼な男だと、ため息をついてデスクに戻った。











好きだと言わない






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